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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第9章 正しい世界へ導く者

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第39話

翌朝、ハザマは港湾冷却網の中継区画にいた。


 前日の高架下で耳にした会話どおり、南区の病床より先にこちらを触るという話が本当に動いているらしかった。海から上がってくる風は冷たく、埠頭の上には白い霧のような排熱が薄く流れている。巨大な冷却塔は低く唸り、輸送コンテナの外壁には温度維持の表示灯が整然と並んでいた。


 港は騒がしくない。

 荷役の音はある。指示の声も飛ぶ。だが怒鳴り合いにはならない。誰もが、自分の持ち場の少し先までをあらかじめ知っているように動いていた。


 管理棟の受付で身分を示すと、応対した女は端末を一度見ただけで頷いた。

「評価協力の方ですね。見ていただくなら今日でよかったです。ちょうど切替日なので」


「切替日、ですか」


「ええ。冷却優先の配分が変わります。以前は病院を先に触るはずだったんですが、港湾側を先に安定させたほうが効率的って提言が出まして」


 その説明は、あまりにも当然のものとして口にされた。


 女に案内されて上階へ上がる。ガラス越しに見えるのは、温度帯ごとに色分けされたコンテナ群だった。食料、薬剤、培養資材、義肢部品。どれも人が生き延びるためのものばかりだ。


「前はもっと非効率だったんですか」

 ハザマが言う。


「非効率というか、間に合わなかったですね」

 女は歩きながら答えた。

「港を守っても病院で足りなくなる。病院へ回しても途中で傷む。どちらを先に助けても、もう片方で人が困る。今は順番がずいぶんスムーズになりました」


「その順番は、誰が決めているんです」


「決めているというより、なんだろう、絞ってくる感じです」

 女は少し考えてから言った。

「決めるのは基本的には現場です。でも、提言が来ると無駄な枝が急に減るんです。この案はあとで詰まる、この順で回すと南側が持たない、って」


「提言者本人に会ったことは」


「ありません。映像もないです」

 女は苦く笑った。

「でも、いないとは思えません。ここまで当たる偶然は、さすがに続かないので」


 管制室には十人ほどの職員がいた。

 温度推移、風向、港湾交通、都市内消費予測。画面は多いが、人の動きは少ない。慣れているのだろう。誰も慌てない。慌てなくていい仕組みが、すでにできている。


 そのとき、壁面の一枚が黄色に変わった。


 北岸搬入路 一時閉塞予測/誤差更新中


 室内の空気が、ごくわずかに変わる。


「事故ですか」

 ハザマが言う。


「まだ予測です」

 女は端末を開いた。

「砂塵流が強くなってます。閉塞まではいかないと思いますが……」


 別の画面が続けて点る。

 冷却車列の一部遅延。南区医療保管庫の余剰時間、四十九分。港湾食品棟、七十二分。義肢部品棟、百一分。


 職員たちはすぐ動き始めた。

 だが数秒後、その動きがぴたりと止まる。


「次の提言、まだですか」

 若い職員が言う。


「更新窓は二十一分後」

 別の男が答える。


「二十一分も待てませんよ。北岸が詰まれば南区のワクチン保管が先に危ない」


「わかってる。だから暫定案を出してるだろ」


「でも前回、それで西側がひどいことになったでしょう」


 声は荒くない。

 だが荒くないまま、迷いだけが露出していた。


 ハザマは画面を見る。

 全員が考えている。考えてはいる。だが考えた先で、見えない誰かの更新を待つ癖がある。


 依存、というほどではまだない。

 しかし、自分たちで決める筋肉が少し細っている気配はあった。


 壁際では年配の技師が一人、手計算で別系統の流量を書き出していた。若い職員がその紙を覗き込む。


「東環路を開けたらどうです」


「開ければ冷却損失が増える」

 技師は短く答えた。

「ただ、全部を待つよりましだ」


「提言なしで切りますか」


「切らないと、次の提言を受け取る箱が先に腐る」


 その言い方に、妙な説得力があった。


 女職員がハザマを見る。

「すみません、少し騒がしくなりましたね」


「いえ」

 ハザマは壁面の残時間表示を見た。

「南区の保管庫は、単独で切り離せるんですか」


「できますが、通常はしません。連結前提ですから」


「切り離して保冷を優先するだけでも、更新までの猶予は伸びるはずです」

 ハザマは言った。

「港湾側の損失は増えますが、南区の医療資材は守れます」


 女はすぐに端末へ視線を戻した。

 数式が流れ、数秒後に小さく息を吐く。


「七分伸びます」


 年配の技師が紙から顔を上げる。

「東環路を細く開けて、南区だけ切る。港湾棟は温度上昇を許容。いける」


「責任者承認を取りますね」

 女が走るように通信卓へ向かった。


 誰かを救った、というほどのことではなかった。

 ただ、待つ以外の手を一つ見つけただけだ。


 それでも室内の動きは戻った。

 若い職員が一斉に持ち場へ散る。義肢部品棟の優先を一段落とし、南区向け冷却車列を分離、東環路の閉鎖率を部分解除。操作は滑らかだった。決められれば、現場はまだ動ける。


 二十分後、事態はそれ以上悪化しなかった。

 北岸搬入路は半閉塞で止まり、更新提言は十七分遅れで届いた。表示された内容は、ほぼ現場が取った措置と同じだった。


 管制室に、安堵とも苦笑ともつかない空気が流れる。


「またか」

 若い職員が椅子に沈みながら言った。

「結局、先にやったことと大差ない」


「大差ないから価値があるんだろ」

 年配の技師が返す。

「俺たちの勘がまだ死んでないってことだぜ」


「でも、提言がなかったら最初に切れました?」


 その問いに、技師はすぐには答えなかった。


 ハザマはその沈黙を見た。


 昼過ぎ、港を出て南区の保管施設へ向かう。

 冷却車は無事に着いていた。施設の係員は「今日は危なかった」と笑いながらも、深刻にはしていない。


「最近は、ここまで詰まること自体が珍しいんです」

 係員は言った。

「前は毎週でしたけどね。今は、たまに遅れてもどこかで帳尻が合う」


「帳尻を合わせているのは、現場ですか」


「現場も、上も、それから……」

 係員は曖昧に笑う。

「見てる人、ですかね」


 見てる人。


 先生、提言者、見通しの人。

 呼び方は揃わない。だが都市のどこに行っても、同じ空白だけがある。


 夕方、ハザマは診療所へ戻った。前日に見た受付の男が、薬剤棚の前で在庫を確認している。


「今日は港で少し詰まったそうですね」

 ハザマが言う。


「聞きました」

 男は頷いた。

「でも間に合ったみたいで。前なら、こっちが先に諦めてました」


「今は、諦めなくていい」


「ええ。だから助かってますよ」

 男はカートリッジを棚へ戻した。

「ただ、みんな少し贅沢にはなりましたね。前なら自分でやってた場面でも、今は“次の提言を待てばもっといい手が来るかもしれない”って思う。悪いことじゃないんでしょうけど」


「決めるのが遅くなる」


「たまに」

 男は笑った。

「でも、当たり続ける正解って、人をそうしますよ」


 その言い方は責めていなかった。

 むしろ、少し感謝している響きすらあった。


 居室に戻るころには、都市はまた静かな均衡を取り戻していた。

 灯りは揺れず、航路表示も整っている。昼の詰まりは、日報の一行になるだけだろう。


 端末を開き、ハザマは観測二次報告を入力する。


 提言網は実務深部に浸透。現場の判断能力は残存。ただし、更新待ちを前提とした思考傾向が一部で観測される。依存構造は未成熟だが、芽はある。


 そこまで打って、指を止めた。


 芽。

 その表現は適切だった。

 だが同時に、それは救われた命の上に生えた芽でもある。


 ハザマは窓の外を見る。

 昼に守られた保管庫の灯りが、遠くで小さく続いていた。


 正しすぎる順番は、順番のない事態に弱い。

 だが順番のある日々を、確実に多く救ってもいる。


 その両方が、もう切り離せなかった。

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