第3話
『その勇者、消すには少し惜しいと思わないか?』
声は広場の上から落ちてきた。
男とも女ともつかない。若くも老いてもいない。ただ、こちらを面白がっている響きだけが、やけにはっきりしていた。
ユウトが顔を上げる。
村人たちもつられて空を見たが、彼らには何も見えていないらしい。ただ、見上げてしまうような不快さだけが、その場に降りていた。
ハザマは端末の表示を素早く切り替えた。
《外部通信を遮断》
《失敗》
《認証階層にノイズ混入》
予想どおりだった。
雑だが速い。アナーキー・コードらしい介入だ。
『はじめまして、勇者くん。いや、工藤悠斗くんのほうがいいか』
ユウトの肩が跳ねた。
さっきまでハザマに向けていた怒りとは別種の硬さが、その顔に走る。
「……誰だ」
『君の味方、と言いたいところだけど、そういう安い言い方は嫌いでね。訂正すると、君を道具扱いしてる連中よりは、少しだけ君の側だ』
ハザマは空間ノイズの座標を追った。
発信源は一点ではない。複数の層を経由して声だけを滑り込ませている。直接の侵入口を見つけにくい手口だった。
「対象との接触を中止しろ、アナーキー」
『おや、名前を呼んでくれるんだ。光栄だよ、特務官。君、もっと無愛想なタイプかと思ってた』
ハザマは返さない。
応答回数が増えるほど、相手に足場を与える。
だが、向こうは構わず続けた。
『勇者くん。そいつの言ってること、半分は本当だよ。君は不法侵入者だ。後付けの異物だ。剣の補正も、加護も、色々盛られてる』
「……っ」
『でも、だから何だ? って話だよね』
その一言に、ユウトの目が揺れた。
ハザマは内心で舌打ちした。
そこを突く。必ず突く。
『誰かを救った事実は消えない。助けられた人間の涙も、感謝も、全部本物だ。なのに、そいつは「許可されてないから削除します」で終わらせる。綺麗だろ? 綺麗すぎて吐き気がするくらいに』
「黙れ」
ハザマが言うより早く、ユウトが叫んだ。
「おまえも俺のこと知ってる口ぶりで――何なんだよ、何なんだよおまえらは!」
広場の端で、リリサがびくりと身を縮める。
ユウトは気づいていない。視界が狭くなっている。
アナーキーの声は、楽しげに笑った。
『いいね。その混乱は正常だ。むしろ、ようやく正常になってきた』
「ふざけるな……!」
『じゃあ、もっとはっきりさせようか』
次の瞬間、ユウトの目の前に青白い板が何枚も開いた。
本人にしか見えないはずのステータス画面が、異常な数で重なっているらしい。ユウトの視線が左右に揺れ、呼吸が浅くなる。
「何だ、これ……何だよ……!」
ハザマの端末にも同じ情報が流れ込んだ。
《対象インターフェースへ外部表示注入》
《遮断不能》
《閲覧ログ汚染進行》
画面の断片。
職能付与ログ。
加護の書き換え履歴。
致死回避の発火回数。
戦闘補正の自動修正。
そして、一番まずいものまで混じっていた。
――地球側死亡記録。
――再起動処理。
――投下先世界候補群。
「やめろ」
ハザマの声が、今度はわずかに低くなる。
『珍しい。怒るんだ』
「住人接触域だ。余計なログを流すな」
『余計? 本人の人生だよ?』
ユウトが頭を押さえて膝をつく。
光の見えない村人たちには、ただ急に苦しみ出したようにしか見えない。何人かが駆け寄ろうとして、ハザマが一歩前に出たことで止まる。
「ユウト様!」
「来るな!」
叫んだのはユウトだった。
顔色は紙みたいに白い。
「来るな……見るな……!」
リリサが足を止める。
その傷ついた顔を見て、ハザマは一瞬だけ目を伏せた。
こういう場面があるから、現場は嫌いだ。
『ほら、見ろよ勇者くん。君は選ばれたんじゃない。書き込まれたんだ』
ユウトの喉から、うまく言葉にならない音が漏れる。
『でも、それが悪いことか? この世界の人間は君に救われた。なら、君のほうが本物じゃないか。最初から決められた運命とやらより、後から入り込んだ君の意思のほうが、よほど生きてると思わない?』
ハザマは端末を閉じた。
正面からの遮断は捨てる。別の手段に切り替える。
「工藤悠斗」
ユウトが顔を上げる。
眼球が細かく震えていた。
「今見えているものは、相手が都合よく切り出した断片だ。全部を見るな」
『うわ、親切』
「おまえは黙れ」
ハザマは一歩だけ距離を詰めた。
「あなたが救った事実はある。そこは否定しない」
『ほら、認めた』
「だが、そこに乗っている“勇者としての全能感”は別だ」
ユウトの呼吸が止まりかける。
ハザマはそのまま、容赦なく言葉を置いた。
「あなたが守りたかったのは村人か。それとも、勇者でいられる自分か」
ユウトの顔が凍った。
アナーキーの笑いが、一瞬だけ止まる。
ハザマは続ける。
「この世界に来てから三年。あなたは人を助けた。だが同時に、助けられる側であることを許さなかった。常に上に立つ役割を選んだ。感謝される位置、期待される位置、必要とされる位置に自分を固定した」
「違う……」
「違わない」
「違う!」
ユウトが立ち上がる。
涙と怒りが混ざった、みっともない顔だった。だがそのみっともなさのほうが、さっきまでの勇者の顔よりずっと人間らしいと、ハザマは思った。
「俺は、本当に助けたかったんだ……!」
「そうでしょう」
「だったら!」
「その善意の中に、自分を肯定したい欲が混ざっていないと断言できますか」
沈黙。
リリサが、何も言えずにユウトを見ている。
その視線に耐えられなくなったように、ユウトは剣を握りしめた。
重いはずの刃を、無理やり持ち上げる。
『いいねえ』
アナーキーの声がまた弾む。
『そうだよ勇者くん。綺麗に裁かれるな。人間なんて、善意も承認欲求もごちゃ混ぜで動く生き物だ。それを「混ざってるから失格」にするのが管理局だ』
「工藤悠斗」
ハザマは最後通告の声で言った。
「あなたはいま、二つの外部系に引っ張られている。相手の声に乗るな」
『ひどい言い方だな。そっちは引っ張ってないとでも?』
次の瞬間、ユウトの剣に青白い火花が走った。
権限の再注入。
アナーキーが強引に補正を戻したのだ。
刃が一瞬だけ、元の聖剣めいた光を取り戻す。
村人たちから歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。
ユウト自身も、戻ってきた力に目を見開いた。
『ほら、まだ立てる』
ハザマは舌打ちもせず、ただ右手を上げた。
空間に薄い矩形が立ち上がる。見えない壁ではない。論理の枠だ。
「整合性確認」
短く告げる。
「この世界において、聖剣は“ただひとりの正当な勇者”にのみ応答する」
ユウトの顔が強張る。
ハザマは止めない。
「ならば問います。外部からの権限注入を受けなければ成立しない勇者は、その定義と両立しますか」
青白い火花が、音もなく散った。
剣から光が消える。
今度は一瞬で、完全に。
ユウトの目が見開かれる。
ハザマの周囲で、空気が冷える。論理矛盾による権限失効。力の出どころそのものを、定義にぶつけて折ったのだ。
『あーあ』
アナーキーの声が、少しだけ本気でつまらなそうになる。
『やっぱり上手いな、君』
ユウトの剣が手から落ちた。
重い音がして、土に半ば埋まる。
そのときだった。
リリサが、震える声で言った。
「……でも」
ハザマもユウトも、そちらを見る。
「でも、ユウト様は……ユウト様は、本当に助けてくれたわ」
小さな声だった。
理屈なんて一つもない。
ただ、自分が見たことを守ろうとする声だった。
ハザマは、その言葉に一拍遅れて反応した。
遅れた、その一拍がまずかった。
上空のノイズが裂ける。
『それだ』
アナーキーが笑う。
『その“でも”がある限り、世界は管理しきれない』
空間に走った亀裂の向こうから、何かが落ちてくる。
人影。細い、黒い、こちらの規格にない輪郭。
ハザマは即座に端末を展開した。
住人保護より先に、侵入体排除へ切り替える。
落下してくるそれを見上げながら、ハザマは低く言った。
「追加個体、来るか」
そして、初めてユウトは、自分ひとりの案件では済まなくなったことを知る。




