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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第9章 f正解の世界

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第3話

『その勇者、消すには少し惜しいと思わないか?』


 声は広場の上から落ちてきた。

 男とも女ともつかない。若くも老いてもいない。ただ、こちらを面白がっている響きだけが、やけにはっきりしていた。


 ユウトが顔を上げる。

 村人たちもつられて空を見たが、彼らには何も見えていないらしい。ただ、見上げてしまうような不快さだけが、その場に降りていた。


 ハザマは端末の表示を素早く切り替えた。


《外部通信を遮断》

《失敗》

《認証階層にノイズ混入》


 予想どおりだった。

 雑だが速い。アナーキー・コードらしい介入だ。


『はじめまして、勇者くん。いや、工藤悠斗くんのほうがいいか』


 ユウトの肩が跳ねた。

 さっきまでハザマに向けていた怒りとは別種の硬さが、その顔に走る。


「……誰だ」

『君の味方、と言いたいところだけど、そういう安い言い方は嫌いでね。訂正すると、君を道具扱いしてる連中よりは、少しだけ君の側だ』


 ハザマは空間ノイズの座標を追った。

 発信源は一点ではない。複数の層を経由して声だけを滑り込ませている。直接の侵入口を見つけにくい手口だった。


「対象との接触を中止しろ、アナーキー」


『おや、名前を呼んでくれるんだ。光栄だよ、特務官。君、もっと無愛想なタイプかと思ってた』


 ハザマは返さない。

 応答回数が増えるほど、相手に足場を与える。


 だが、向こうは構わず続けた。


『勇者くん。そいつの言ってること、半分は本当だよ。君は不法侵入者だ。後付けの異物だ。剣の補正も、加護も、色々盛られてる』

「……っ」

『でも、だから何だ? って話だよね』


 その一言に、ユウトの目が揺れた。


 ハザマは内心で舌打ちした。

 そこを突く。必ず突く。


『誰かを救った事実は消えない。助けられた人間の涙も、感謝も、全部本物だ。なのに、そいつは「許可されてないから削除します」で終わらせる。綺麗だろ? 綺麗すぎて吐き気がするくらいに』


「黙れ」


 ハザマが言うより早く、ユウトが叫んだ。


「おまえも俺のこと知ってる口ぶりで――何なんだよ、何なんだよおまえらは!」


 広場の端で、リリサがびくりと身を縮める。

 ユウトは気づいていない。視界が狭くなっている。


 アナーキーの声は、楽しげに笑った。


『いいね。その混乱は正常だ。むしろ、ようやく正常になってきた』

「ふざけるな……!」

『じゃあ、もっとはっきりさせようか』


 次の瞬間、ユウトの目の前に青白い板が何枚も開いた。


 本人にしか見えないはずのステータス画面が、異常な数で重なっているらしい。ユウトの視線が左右に揺れ、呼吸が浅くなる。


「何だ、これ……何だよ……!」


 ハザマの端末にも同じ情報が流れ込んだ。


《対象インターフェースへ外部表示注入》

《遮断不能》

《閲覧ログ汚染進行》


 画面の断片。

 職能付与ログ。

 加護の書き換え履歴。

 致死回避の発火回数。

 戦闘補正の自動修正。


 そして、一番まずいものまで混じっていた。


 ――地球側死亡記録。

 ――再起動処理。

 ――投下先世界候補群。


「やめろ」


 ハザマの声が、今度はわずかに低くなる。


『珍しい。怒るんだ』

「住人接触域だ。余計なログを流すな」

『余計? 本人の人生だよ?』


 ユウトが頭を押さえて膝をつく。

 光の見えない村人たちには、ただ急に苦しみ出したようにしか見えない。何人かが駆け寄ろうとして、ハザマが一歩前に出たことで止まる。


「ユウト様!」

「来るな!」


 叫んだのはユウトだった。

 顔色は紙みたいに白い。


「来るな……見るな……!」


 リリサが足を止める。

 その傷ついた顔を見て、ハザマは一瞬だけ目を伏せた。


 こういう場面があるから、現場は嫌いだ。


『ほら、見ろよ勇者くん。君は選ばれたんじゃない。書き込まれたんだ』


 ユウトの喉から、うまく言葉にならない音が漏れる。


『でも、それが悪いことか? この世界の人間は君に救われた。なら、君のほうが本物じゃないか。最初から決められた運命とやらより、後から入り込んだ君の意思のほうが、よほど生きてると思わない?』


 ハザマは端末を閉じた。

 正面からの遮断は捨てる。別の手段に切り替える。


「工藤悠斗」


 ユウトが顔を上げる。

 眼球が細かく震えていた。


「今見えているものは、相手が都合よく切り出した断片だ。全部を見るな」

『うわ、親切』

「おまえは黙れ」


 ハザマは一歩だけ距離を詰めた。


「あなたが救った事実はある。そこは否定しない」

『ほら、認めた』

「だが、そこに乗っている“勇者としての全能感”は別だ」


 ユウトの呼吸が止まりかける。

 ハザマはそのまま、容赦なく言葉を置いた。


「あなたが守りたかったのは村人か。それとも、勇者でいられる自分か」


 ユウトの顔が凍った。


 アナーキーの笑いが、一瞬だけ止まる。


 ハザマは続ける。


「この世界に来てから三年。あなたは人を助けた。だが同時に、助けられる側であることを許さなかった。常に上に立つ役割を選んだ。感謝される位置、期待される位置、必要とされる位置に自分を固定した」

「違う……」

「違わない」

「違う!」


 ユウトが立ち上がる。

 涙と怒りが混ざった、みっともない顔だった。だがそのみっともなさのほうが、さっきまでの勇者の顔よりずっと人間らしいと、ハザマは思った。


「俺は、本当に助けたかったんだ……!」

「そうでしょう」

「だったら!」

「その善意の中に、自分を肯定したい欲が混ざっていないと断言できますか」


 沈黙。


 リリサが、何も言えずにユウトを見ている。


 その視線に耐えられなくなったように、ユウトは剣を握りしめた。

 重いはずの刃を、無理やり持ち上げる。


『いいねえ』


 アナーキーの声がまた弾む。


『そうだよ勇者くん。綺麗に裁かれるな。人間なんて、善意も承認欲求もごちゃ混ぜで動く生き物だ。それを「混ざってるから失格」にするのが管理局だ』


「工藤悠斗」


 ハザマは最後通告の声で言った。


「あなたはいま、二つの外部系に引っ張られている。相手の声に乗るな」

『ひどい言い方だな。そっちは引っ張ってないとでも?』


 次の瞬間、ユウトの剣に青白い火花が走った。


 権限の再注入。


 アナーキーが強引に補正を戻したのだ。

 刃が一瞬だけ、元の聖剣めいた光を取り戻す。


 村人たちから歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。

 ユウト自身も、戻ってきた力に目を見開いた。


『ほら、まだ立てる』


 ハザマは舌打ちもせず、ただ右手を上げた。

 空間に薄い矩形が立ち上がる。見えない壁ではない。論理の枠だ。


「整合性確認」


 短く告げる。


「この世界において、聖剣は“ただひとりの正当な勇者”にのみ応答する」


 ユウトの顔が強張る。


 ハザマは止めない。


「ならば問います。外部からの権限注入を受けなければ成立しない勇者は、その定義と両立しますか」


 青白い火花が、音もなく散った。


 剣から光が消える。

 今度は一瞬で、完全に。


 ユウトの目が見開かれる。

 ハザマの周囲で、空気が冷える。論理矛盾による権限失効。力の出どころそのものを、定義にぶつけて折ったのだ。


『あーあ』


 アナーキーの声が、少しだけ本気でつまらなそうになる。


『やっぱり上手いな、君』


 ユウトの剣が手から落ちた。

 重い音がして、土に半ば埋まる。


 そのときだった。


 リリサが、震える声で言った。


「……でも」


 ハザマもユウトも、そちらを見る。


「でも、ユウト様は……ユウト様は、本当に助けてくれたわ」


 小さな声だった。

 理屈なんて一つもない。

 ただ、自分が見たことを守ろうとする声だった。


 ハザマは、その言葉に一拍遅れて反応した。


 遅れた、その一拍がまずかった。


 上空のノイズが裂ける。


『それだ』


 アナーキーが笑う。


『その“でも”がある限り、世界は管理しきれない』


 空間に走った亀裂の向こうから、何かが落ちてくる。

 人影。細い、黒い、こちらの規格にない輪郭。


 ハザマは即座に端末を展開した。

 住人保護より先に、侵入体排除へ切り替える。


 落下してくるそれを見上げながら、ハザマは低く言った。


「追加個体、来るか」


 そして、初めてユウトは、自分ひとりの案件では済まなくなったことを知る。

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