プロローグ 冷や飯食い
トーン。トン。
おさなごが鞠まりを宙になげると、鞠はまるで生きているようにクルクルと回転して下に落ちる。
「ほれ、トーントン」
もう一度投げる。
鞠は宙で消えた。
―― パチパチパチ。
それを面白そうに縁側に座って見ていた清雅きよまさは、思わず拍手をおくってやった。
「もう一回。もう一回やってくれ」
時は江戸幕府が長きにわたり続く泰平の世。
行き交う人々は小袖に草鞋。
しかし、髷まげを結っている人は少ないようだ。
1603年の開府から、すでに300年を越えようとしてる。
―― そう。この時代は今知られている時代とは、まーったく違う。
明治維新がこなかったのだ!
武家が権力を持ち、西洋文化をことごとく拒絶する時代遅れの時代。
「清雅ー!」
奥の部屋から、しわがれた声がする。
「主はいつまで妖と遊んどる!!」
怒号のような声に恐れ、おさなごは鞠を残してスッと姿をかき消した。
「あー出たよ。またおじさんが騒いでる」
清雅は面倒くさそうに、小袖に手を入れ何かを探る。
そこには
「チョコレート」
それを一口頬張ると、声のする奥の部屋へとだるそうに足を運んだ。
チョコレートは西洋の食べ物である。
もし、武士がそんなものを食べていることが世間様にでも知られたものなら……
「切腹じゃー!!切腹じゃー!!!せっ……ゲホッ!ゲホゲホゲホ」
「え?なんで、むせるの?」
清雅は声の主を冷めた目でみやった。
その視線の先には、怪しく光る妖刀が刀掛台にデーンと置かれている。
「九曜には口がないでしょう」
「やかましい!刀であろうと、むせることくらい……ゲホッゲホ」
「……年寄りだからの」
妖刀九曜は、戦国武将の怨念が取り憑いた刀で、清雅の愛刀でもある。
九曜の声が聞こえるのは、この近衛家の中でも、清雅くらいだろう。
それくらい、清雅の霊力は強い。
「俺が、チョコレートを食べたことは誰も知らない。ましてや、漫画なるものをよんでいることもな」
言って、袖の内に両手を納め、そそくさと部屋を出て行った。
「まんがー!?主はまだそんなものをーーーーー」
この物語の主人公は近衛家次男の清雅という。
次男坊はこの時代「冷や飯食い」である。
人とはまともに喋れない。
武家が禁止されている西洋文化をことごとく愛し、妖と対話する。
一風かわった主役ではあるが、この時代もまた、ずいぶん変わった世界でもあるので、深くは考えず、付き合ってほしい。




