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二人の魔女  作者: signal
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【前編】 深淵の手前で

「魔法は使うものだ。決して飲まれてはいけないよ」

おばあ様はいつもそう言っていた。


けれど私は、どうしても深淵を覗きたくなってしまった。




今の生活には満足している。

本を閉じ、顔を上げてそう思った。


朝の光が庭に落ちている。

風が草を揺らし、さっきまで読んでいた本のページがかすかに鳴った。


「レイナちゃん、また本を読んでいるの?」

振り返ると、そこには彼女――ナタリーが立っていた。


「おはよう、ナタリー。ええ、今日は静かで、ちょうどよくて」


朝起きて庭で本を読む。

私はこの時間が好きだ。


「でも本ばかり読んで、動かないのもどうかと思うよ。」


そう言って、ナタリーは手を差し出してきた。


「ねぇ、朝の散歩でも行こうよ」


私はその手を取った。


「ええ、いきましょう」


しばらく歩いていると、ナタリーがふと尋ねてくる。


「今日はどんな本を読んでいたの?」


「雨続きだったでしょう? 畑の土が重くなっていたから、水だけ抜く魔法を調べていたの。

……加減を間違えると、今度は干からびちゃうんだけどね」


そこまで言って、少し意地悪したくなる。


「あなたが使えない魔法ね」


ナタリーはむっとして、眉を寄せた。


「もう、レイナちゃんってば!」


「冗談よ、ごめんなさいね」


クスクス笑いながら謝罪する


「あーあ、私も雷以外の魔法、使えるようにならないかなぁ」


彼女は寂しそうにつぶやく。

雷の魔法以外を使えないことを、ずっと気にしている。


でも、それで困ったことなんて一度もない。

その分、家事を積極的にしてくれるし、電力の補充もしてくれる。


私には私の得意なことがあって、彼女には彼女の得意なことがある。


……まあ、“人”じゃなくて魔女なんだけど。

そんなこと些細な問題よ。


「レイナちゃんはいいなぁ。なんでもできて」


「なんでもはできないわよ。ただ、あなたより少し器用なだけ」


「その“少し”が大きいんだよ」


そんなことを話しながら塔まで戻る。


塔の扉を押し開けると、少し遅れて風が入り込んできた。


石の階段はいつもより冷たく感じた。


「先に上がってて。すぐ行くから」


ナタリーはそう言って、螺旋階段を軽やかに駆け上がっていった。


魔女の塔――ここが、私たちの家だ。

キッチンは四階。毎日がちょっとした運動になる。


「まったく、おばあ様はどうしてこんな住みづらい高い塔なんて建てたのかしら…」


ここは、ナタリーのおばあ様が住んでいた塔だ。

おばあ様とナタリー、二人で暮らしていたのだが、私は塔の前に捨てられていたらしい。

——と、聞いたことがある。


当時のことはよく覚えていないが、今は別に気にしていない。

住む場所にも困らないし、大好きな友達もいる。

それだけで十分だ。


息を切らして階段を上るとキッチンが広がる。

まずは朝食の準備だ。


「レイナちゃん、おまたせ。何か食べたいものある?」

少し遅れてナタリーもキッチンに上がってくる。


「朝だし重くないものがいいわ、パンとスープ、あとは卵でも焼きましょうか」

そう提案する。


「レイナちゃんは座ってて、すぐ作っちゃうから」

「ナタリー? 私が炎の魔法で焼いたほうが早いと思うのだけど」


疑問をそのまま口にすると、ナタリーは困ったように笑った。


「でもこの間、卵を真っ黒にしてたよね?」

「…そうだったわね」


ぐぅの音も出ない。

それでも、まだ何かできるはずだ。


「じゃあ卵の殻を割るわ。それくらいならできるわよ」

「前にそれで、卵がじゃりじゃりして作り直しになったこともあったよね」

「……」


失敗したことはある。

でも、それと“できない”は別の話だ。


「……悪いけどお願いするわ」


ここは素直にまかせよう。

決して、私が料理できないわけではない。


…今に見てなさい。


ナタリーが手際よく朝食を作り始める。

私は椅子に座ったまま、することもなくキッチンを眺めていた。


……暇だなぁ。


視線をそらすと、ふと廊下の奥に目が向いた。

おばあ様の部屋だ。


もう誰も使っていないその部屋は、

いつも薄暗くて、どこか冷たい空気が漂っている。


「……少し、片づけでもしようかしら」


そう呟いて立ち上がる。

朝食ができるまでの、ほんの短い時間のつもりだった。


「ナタリー、少しおばあ様の部屋の掃除をしてくるわ」

「わかったー」


ナタリーの声を背中に受けながら、部屋の前まで歩く。


扉を開けながら、昔ここで怒られたことを思い出す。

天井に水魔法の陣を仕掛けて室内豪雨にしたときなんて、

おばあ様に本気で追いかけ回されたっけ。


部屋の中は少し埃っぽい。

今度、ちゃんと大掃除をしたほうがいいな。

そう思いながら窓を開け、風魔法で埃を舞い上げる。


何度か左右に風を操作してから、窓の外へ埃を追い出す。


風が舞い上げた埃が、朝の光の中でゆっくり沈んでいく。

その様子を見ていると、ここだけ時間が止まっているみたいだった。


棚の上には古い魔法具や、使われなくなった薬瓶が並んでいる。

どれも触れれば壊れそうなくらい古いのに、

なぜか“まだ動き出しそう”な気配があった。


「……相変わらずね、この部屋」


おばあ様、魔法実験が好きだったな。

豪雨の仕返しとばかりに、部屋中を静電気だらけにされたこともあった。

あのときの私は、まるでハリネズミみたいに尖っていたっけ。


そんなことを思い出していたとき、

棚の隅に布をかぶった小さな箱が目に入った。


……見覚えがない。


前に掃除したとき、こんなのあっただろうか。


気になって布をめくると、

中には一冊の本が入っていた。


黒い革表紙。

金の文字はほとんど消えて読めない。

触れた瞬間、指先がわずかに痺れた。


「……何の本かしら」


開くつもりはなかった。

ただ、手に取っただけ。

ほんの、軽い興味。


そのとき、


「レイナちゃーん、ごはんできたよー!」


ナタリーの明るい声が廊下に響いた。

その声に驚いて、本を胸に抱えたまま振り返る。


「今行くわ!」


返事をして、

私はその本を“何も考えずに”懐へしまい持ち出した。


キッチンに戻ると、焼き立てのパンと卵、温かいスープが二人分並んでいた。

いいにおいがして、何も考えずに席に着く。


「今日は畑でとれた野菜を使ったスープにしたんだけど、どうかな?」

ナタリーが少し得意げに笑う。


「ええ、とてもおいしそうだわ」


パンをちぎり、スープに浸して食べる。

やっぱり、ナタリーの料理はおいしい。


……私も、負けていられないわね。


——そういえば、さっきの本をまだ持ったままだった。


懐から本を取り出し机の上に置く。


「レイナちゃん、その本…」


ナタリーが不思議そうな目で本を見つめる。


「おばあ様の部屋にあったの。こんな本あったかしら?」

「うーん、見覚えないね?前に部屋を掃除した時には見当たらなかったと思うけど…」

「もしかするとおばあ様が隠し持っていた本なのかもね」


ナタリーは笑いながら本へ手を伸ばす。


私ほどではないにしろナタリーも本が好きだ。

おばあ様が隠し持っていた本ならなおさら興味があるのだろう。


その仕草はいつも通りなのに、

指先が表紙に触れた瞬間——

ほんの一瞬だけ、彼女の動きが止まった。


「……」


「どうしたの?」


「…ううん、なんでもないよ」


そう言って笑うけれど、

その笑顔はどこかぎこちない。


ナタリーは本をそっと持ち上げ、

表紙をじっと見つめた。


「これ……すごく古いね。

でも、なんだろう……不思議な感じがする」


そういってナタリーは本を開く。


パラりとページをめくる。

その瞬間、ナタリーの動きが、ほんの少しだけ止まった気がした。


「ナタリー?」


返事はない。

ナタリーの目は、ページの一点に吸い込まれたように動かない。


「ナタリー!」


思わず声が大きくなると、

ナタリーは肩をびくりと震わせて顔を上げた。


「ご、ごめんね。ちょっと……ぼーっとしちゃった」


笑ってはいるけれど、

その目はまだどこか“本のほう”に残っている。


さっきまでのナタリーなら、こんなふうにはならない。


「大丈夫? 具合でも悪いの?」


「ううん、平気。ほんとに、ちょっとだけ……ね」


そう言いながら、

ナタリーはそっと本を閉じた。


けれど、

指先だけは、まだ表紙に触れたままだった。


「レイナちゃん、この本、私が持っててもいいかな?」


「……ええ、構わないわよ」


拒否する理由はない。

だが胸の奥に少し引っかかりを感じた。


「ナタリーがそこまで気になる本なんて珍しいわね。読み終わったら私にも読ませてね」


「うん、もちろんだよ」


朝食を食べ終わり、食器を片付ける。

ナタリーは調子が悪そうなので部屋で休ませることにした。


ご飯は作ってもらったし、片付けくらいはやらないとね。

そういって水の魔法を起動し、皿を洗いながら

さっき読んでいた本のことを思い出す。


「さっき調べた魔法、ちょうどいいし試しにいこうかしら」


独り言のように呟いて、

水の流れを細く調整する。


畑の土から“水だけ”を抜く魔法。

加減を誤ると干からびる——

そんな危険な魔法を、私は平然と扱える。


おばあ様がよく言っていた。


「魔法は使うものだ。決して飲まれてはいけないよ」


その言葉を思い出しながら、

私は水の流れを止めた。


……ふと、静かすぎることに気づく。


いつもなら、

「レイナちゃーん、片付け終わった?」

なんて声が聞こえてくるはずなのに。


今日は、何も聞こえない。


「……寝ちゃったのかしら」

起こすのも悪いし、あとで様子を見に行けばいい。


そう思いながらも、

胸の奥に小さなざわつきが残った。


畑に出て“水だけ”を抜く魔法を流し込む。

すると、土の奥に溜まっていた重たい水が、じわりと動き出した。


「役に立ちそうでよかった」

そう呟いて水を抜き、状態を整える。


この畑の野菜も、町の人たちに渡る。

人間との関係も、悪くはない。


町へ行けば、ナタリーと一緒に笑って買い物をする。

たまに頼られることもあるし、魔法で手助けすることもある。


……あの子、今日は大丈夫かしら。

そう思いながらも、私は畑の土を整え続けた。


「そろそろ様子を見に行こうかな」

あれから少し時間が過ぎた。


太陽は真上に上り、お昼を少し過ぎたあたりだ。


もしかすると起きておなかを空かせているかもしれない。


私はパン一切れ用意し、その上にハムと野菜を乗せた簡単な軽食を用意した。

飲み物に先日もらったミルクも添えた。


……今からちゃんと用意すると時間がかかるしね。


そう自分に言い聞かせ、ナタリーの部屋をノックする。


――返事はない


もう一度ノックする。


「ナタリー、入るね」


声をかけドアを開いた。


ナタリーは起きていた。

机に座り本を読んでいる。


右手が止まらず動き続け、紙の上に何かを書きつけていた。


「起きていたんだね、具合は大丈夫?」


「うん、問題ないよ」


ナタリーは振り向かず、本を読み続けたまま返事をする。


……少しだけ、引っかかる。


「あれからずっと読んでたの?おもしろい?」


「…面白いというより、うーん、なんだろう?」


ナタリーは振り返り困ったように笑う。

本当にわからないといった様子だ。


「私が言えたことじゃないけど、ほどほどにしないとだめよ」

「ほんとにね。レイナちゃんなんて、放っておくと一日中本読んでるんだから」


二人して笑う。

よかった、いつも通りだ。


「昼食、ここに置いておくね。食欲なかったら残してもいいけど、ちゃんと休むのよ」

「うん、ありがとうレイナちゃん」


そう言った後、ドアへ向かい手をかける。

振り向くとナタリーは急いで机に戻っていくのが見えた。


ここまで夢中になるなんて、本当に珍しい。

ドアを開けて閉め、私は自分の部屋へ向かった


そういえば、自分の分用意してなかったな。

……あとでいいか。




ページをめくる、文字を読む。

自分でもよくわからない。

ただ、本を読むことをやめられない。


せっかくレイナちゃんが昼食を持ってきてくれたんだ、ちゃんと食べなきゃ。


……机の端に置かれたままの皿が、少しだけ視界に入る。


それでも、本から目を離せない。


「私、さっき何を話していたんだっけ」


考えようとしたが、やめた。

今は、続きが気になる。


もう少しだけ。


そう思って、ページをめくる。


——それが何度目かは、わからなかった。

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