第1話 桜色の強制換気、或いは花を愛でよ
授業と授業の隙間時間、地味なモブ子である私が次の教室移動のために立ち上がって、ボッチらしく一人で準備をしていると、不意に背後から何者かが忍び寄る気配を感じた。が、決して鋭くは無い私が気配を察せれた時点で、勝敗は決している。既に二手三手遅い。結果、
「隙あり!」
そんな誰かの発語と同時に、私の半身を覆っていたプリーツスカートがふわりと舞った。生足の強制換気に加えて、桜色の小さな布地が明るい日差しに晒される。
「今日はピンクか! いつもありがとう!」
振り返ると、加害者と思しき男子生徒は私の手が届かないところまで逃げており、待ち構えていた友人たちと成功を祝うハイタッチを交わしていた。彼の台詞からも解る通り、初めての事では無い。ここ最近は日常化している休み時間の風景であり、敢えて違う点を上げるとするならば、今日はピンクである。
さて、どうしたものか。面倒ではあるが、全くの無反応というのも世間体が悪い。数瞬考えてから、
「どういたしまして」
と、私は乱れたスカートを直しながら、そんな言葉を紡いだ。囁くように、ほぼ独り言みたいに呟いた。
私は己を知っている。きゃー!とか、わー!とかの感嘆詞で応じるには遅きに逸していたし、私の演技力では間違いなく棒だろう。そもそも、スカートめくりの被害者として私は、他の多く女子生徒が懐くような強い怒りとか、悲しみとか、羞恥心といった情動に乏しい。どうして皆はあんなに嫌がっているのか、よくわからない。
なので、私が選んだのは、彼の捨て台詞そのものへの機械的な返礼だった。挨拶には挨拶。感謝には感謝。世間一般的な倫理観に準じた、我ながらベストな対応である。義務は果たしたし、もういいだろう。
「さて、と」
当初に作業である移動準備をテキパキと終えた私は、何故か若干キョドっている加害者、田中君たちの横をすいっとすり抜けて廊下に出た。何名かの女子の視線が私に向けられていて、何事か囁き合っている事にも気付いていたが、まあ、実害は無いので放置。次の授業開始を告げる呼鈴が鳴るまではまだ随分と余裕があるので、私は春の穏やかな日差しが溢れる校内をのんびりと、左右の下肢を交互に動かして歩みを進めて行く。
聞くところによると、怒るという行為には平均して約8.2kcalの消費を伴うのだそうだ。そうすると私は、きっとK-Pg境界のワニみたいな省エネな女なのだろう。
そんなことを考えながらふと窓の外を見ると、校庭に植えられている満開の桜が目に入った。北の試される大地であるここでは、連休明けの今が見頃である。
別に狙ってそうしたわけじゃないのだが、視界いっぱいに咲き誇るソメイヨシノは、私が今穿いているショーツと全く同じ色をしていた。そのせいで、私のパンツがいっぱい吊るされているような錯覚に襲われた。
一応これでも麗若き乙女の一端に所属する身なので、ただの薄い布を見るだけのスカート捲りに没頭する田中君ら男子生徒のリビドーは、私の理解の範疇に無い。けれど、それはもしかしたら、私がこうして花を愛でるのと同じようなものかもしれない、と納得した。
話は少し遡る。
時期は先月の半ばぐらい。雪解けがようやく程々に完了して、将軍との別れを惜しみつつも再会を誓い合っていたあの頃、何がきっかけだったかは定かではないが、通う学校の同学年で、急に「スカートめくり」が流行り出した。一種の流行り病である。
この低俗的で、原始的で、純粋な「遊び」の流行は、瞬く間に我がクラスも飲み込んだ。そこに所属する私自身も否が応無く巻き込まれて、現在である。
で、だ。流行り病との比喩が示す通り、あっという間に広まって、あっという間に終息した。
まあ、当然だろう。流行すると、被害を受ける一方な女子のガードは固くなる。そもそものリスク回避で、学校指定のスラックスで登校する者も増えた。警戒心マックスな乙女のこうした奮闘によって、成功率はほぼゼロ
とまで呼べる状態になる。さすがの男子たちも、成果のない遊びを延々と繰り返すほどサルではないので、2週間と持たずに流行は終わった。うちのクラスを除いて。
そうなのだ。うちのクラスだけは未だ、スカートめくりというパンデミックの只中にある。終息の気配はまだ何処という暗中模索な状態だった。
では、なぜうちのクラスだけなのか。
理由は単純。成果が無いから終わったのと逆で、成果があるから続いてる。聞き齧りの心理学か何かの説明によると、ギャンブルやゲームなどの依存性は成功体験の積み重ねによって高まるものらしい。つまり。
——まあ、きっと、私のせいである。
理由は簡単だ。
私は警戒しない。フリをするだけ。
だから成功する。
成功するから調子に乗る。
調子に乗るから続く。
極めて単純な生態系である。
因みに、男子たちも別に私だけを狙っているわけではない。彼らは平等だ。誰彼構わず捲ろうとするのだが、
「甘い!」
クラス委員長である佐藤さんが、背後から忍び寄る鈴木君の手首を掴む。そのまま捻る。
「あだだだだだ!」
「先生呼ぶ?」
「ごめんなさい」
即座に謝罪。平和的解決である。
まあ、ここまで出来る女子は稀ではあるのだが、他の生徒も、警戒心マックスであることには変わりない。
「またあんた?」
「今日こそ!」
「懲りないねぇ」
女子三人組に囲まれた男子生徒が返り討ちに遭っていた。人類は集団を形成することで猛獣に対抗したらしい。歴史の正しさを感じる。
皆が学習し、対策し、防御し、適応した。
私以外は。
放課後。
「田中ー!」
「なんだよ!」
「今日まだ零件だぞ!」
「マジか!」
「頑張れよ!」
そんな長閑な会話が聞こえた。
一日の終わりに、各々の成果報告を行なっている。
遊びにも統計は重要である。
「田中、お前は?」
「一件」
「おお!」
「やったな!」
祝福されていた。
「相手は?」
「朝倉」
「なんだ。安牌じゃん」
彼らの中で安牌であるらしい私は、その横を通り過ぎて、廊下に出た。
————
当然、帰宅部である私は、いつものように颯爽と踵を返して退散することにした。彼ら彼女らの輝かしい未来のために、私はさっさと視界から消えるのが吉である。
フルシチョフカを連想させる靴箱団地から私物のローファーを取り出して、履き替えようとしたところ、
「なに?」
視線を感じて、私は訊ねた。
F4のキャンパスとイーゼルという、如何にも美術部なアイテムを持った少年が私を見ていた。
イケメンだ。そして見た顔だ。興味が無いので名前は思い出せないが、その顔の造形には微かに記憶があるので、つまりはクラスメイトである。アメリカンなマッチョと反発する文系美少年が、私を視線で射抜いていた。
「…………」
訊ねてみたが、返答はない。
私は少し黙考した。
彼はクラスメイトである。男子生徒である。
視線を落とした。
やはりこれか。
私はスカートの埃をぱぱっと払って、
「どうぞ」
と、促した。
今日びの花は、出たがりさんである。桜はやはり、愛でられる運命にあるようだ。
早く帰りたいので、めくるなら、早くして欲しい。
ところが。
「…………」
沈黙。
私の顔だけをじっと見つめる。
不快ではないが、愉快ではない。
やがて。
「……はぁ」
呆れたような溜息を吐き出して、彼は何処かに行ってしまった。残された私は恥ずい。
「ふぅ」
誰もいなくなった空気だけの空間に向かって、私も息を吐き出す。
意味がわからない。
取り敢えず確かなのは、無駄にカロリーを消費したことだけである。
帰ったら、プリンを食べよう。
そんな決意を胸に、校舎を後にした。




