勇者の宝剣と、夜の打ち明け話
苦手な要素のある方はご注意ください。
「……」
「……」
地下にしては天井が高く比較的広い部屋の中央に、仏頂面のアーシュと余裕の微笑を浮かべているサラスが向かい合って立っている。そして、二人を取り囲むようにして、優に四十人を超える盗賊、俺とパレットがその様子を見守っていた。部屋にはピンと張りつめた糸のような緊張感と、神妙な雰囲気が満ちていて、皆固唾を呑んで中央を注視している。
と。心底嫌そうな表情で押し黙っていたアーシュが、額に手を当てて深い溜息を吐いた。
「……納得いかねぇけど、フェイの頼みだ。水に流してやるよ」
ゆっくりと歯切れ悪く言葉を紡いだアーシュは、「これでいいだろ」とばかりに人垣の最前列、アーシュの真横にいる俺の方を向いて肩をすくめた。
俺はこくりとアーシュに頷いて、今度はサラスに視線を向ける。それを受けて、涼しげな笑みを一層深めたサラスも口を開いた。
「そうだね、ここはフェイオンに免じて、私も溜飲をさげよう」
この言葉で、空間の緊張感がふっと弛んだ。俺も内心ほっとする。
アーシュが盗賊全員をしばいたことと、サラスが俺を誘拐したことを穏便に纏める為に、関係者全員の前で和解しようと提案したのは、パレットだった。ことの発端はサラスにあるとしても、これ以上の面倒は勘弁してほしかった俺は早々に賛成したのだが、どうにもこうにもアーシュが断固として拒否するものだから、結構な時間がかかってしまった。ここまでくるのに、かれこれ二時間は浪費している。まぁ、アーシュが俺が被った被害に対して憤慨するのは最もだし、それを俺も嬉しく思ってはいたのだが、何せこのままではことが進まない。
それに、俺達は勇者の宝剣をどうにかして譲ってもらう必要もあるのだから。
俄かに騒ぎ出した盗賊達を横目に、アーシュが急いで俺のところへ戻ってきた。やはり不機嫌そうに眉を顰めて、何か言いたげに口元を歪めている。俺を見る目が酷く複雑そうだ。黄緑色の瞳が、僅かに陰りを帯びて沈んでいる。
「フェイ、本当によかったのか? お前、もう少しであいつに……」
俺は人差し指でアーシュの唇に封をするように触れ、微笑して首を左右に振った。アーシュの表情は一層険しくなったが、もうそれ以上は何か言うことはなかった。
代わりというわけでもないだろうが、口に添えていた俺の指を取って、力なく頭を垂れて目を伏せ、懺悔するように唇を落とした。
その姿が異様に神々しい美しさで俺の胸に迫り、一生このアーシュを忘れないだろうと、悟るように感じた。
「アーシュ、お前が落ち込まなくても……」
あまりにアーシュがらしくない行動をするものだから、俺は戸惑ってしまった。さっきのように、怒鳴り散らしてキレる方がよっぽどアーシュらしいし、正直を言うと対応にも困らない。
今まで付き合ってきて、こんな風に傷つくアーシュを見たのは、過去にたった一回だけだった。それもずっとずっと幼い頃の話で、原因を思い出せないくらいだ。それでも、今みたいに苦しそうな表情をしていたことだけは記憶に刻みついている。確か、これも俺に関することだった気がする。
と、急に誰かにローブの裾を引っ張られて、俺は追憶の底から意識を掬い上げられた。横を向くと、パレットの満面笑顔が目に映った。
ああ、パレットの笑顔はこっちも元気にしてくれる。俺は微笑を返して首を疑問の形に少々傾げた。
「どうした?」
「あのね、今勇者の宝剣を持ってきてくれるみたいだよ。サラスさんがお詫びに何でもくれるって言うから、僕勝手に言っちゃったけど、いいよね?」
「そうか、案外簡単に話がつきそうだな。パレット、ありがとう」
何だか、旅に出てからパレットにお世話になりっぱなしだ。俺は改めて自分もしっかりしなければ、と思った。
「あはは、今日は沢山褒めてくれるね~、フェイオンさん。僕も遣り甲斐があるよ」
ニコニコと笑うパレットは、俺とアーシュの鎮静剤的役割を担ってくれているように感じる。パレットがいるだけで場が和やかになるから、喧嘩をしてても馬鹿らしくなってしまう。険悪になっているより、楽しく過ごしていた方がどれ程いいか、そういうことを忘れないように、互いに思いやることが大切なんだと教えてくれているようで、たまに自分よりも大人に見えることもしばしばだ。
「フェイ~、パレットのことばっか褒めないで、オレのことも褒めろよな。ずるいだろ」
俺を背後から抱きしめて項垂れていたアーシュも、いつの間にかいつもの調子を取り戻して、俺に体重をかけてきた。
「うっ、アーシュ、俺は非力なんだから、やめろっ」
内心ほっとしつつ、俺も魔法使いの意地を見せる為に不必要に頑張る。だけど、本当のこと言ってかなり辛い。アーシュは俺より頭一つ分背が高いし、図体もでかいのだから。
「あははっ、アーシュさん、フェイオンさんが潰れちゃうよ~」
と、俺達が場所も状況も考えずにふざけていると、サラスが盗賊達の間を縫ってこちらに向かってきた。両手に一振りの剣を持っている。
サラスは俺達の前まで近づくと、ふっと笑ってそれを差し出した。
俺はその装飾の緻密さと厳然たる美しさに、一瞬呼吸を忘れてしまうほど心奪われた。
柄部分は金色で龍の形を模しており、胴体部分の途中から二頭に分かれてそのまま鍔になっている。瞳には赤い宝石が埋め込まれていて、手には緑色の宝石が握りこまれていた。鞘はきらきらとそれ自身が光を放っているとしか思えない白銀で、絡まりあう稲妻のような模様がびっしり彫り込まれている。やや広い剣幅を持ち、全長もアーシュくらい身長がないと引きずってしまいそうなくらい長いその宝剣は、触れるのを躊躇わせる、もっと言えば畏怖の念さえ起こさせる波動を放っていた。これは魔力を注ぎ込まれた魔法剣だ。勇者の装備としては申し分ない。
どうやら見とれていたのは俺だけではないらしい。アーシュとパレットもそれぞれ口を開けて、憑かれたように一心に宝剣を見つめていた。
「これが勇者の宝剣だよ。美しかろう」
サラスがうっとりと目を細めて溜息を吐くと、アーシュは首肯して神妙な声音で呟いた。
「持ってみてもいいか?」
「どうぞ。だけど気を付けて。相応しくない者が鞘から抜くと、その者に絶え間ない災厄と凄絶なる不運が降りかかると言われているからね」
俺はその言葉に一方ならぬ不安を覚えて、咄嗟に宝剣へ伸びたアーシュの腕を掴んだ。息が苦しくて、体が震える。もし、アーシュが相応しくないと判断されたら? だって、そもそもこの職業になった理由が理由だし、特段勇者らしいこともしていない。アーシュにそんな呪いがかかったらどうしよう? アーシュがもし、命を落としてしまったら、俺は……。
アーシュは伸ばしかけた手を止め、俺の方を見下ろした。腕を指が白くなるくらい強く掴んでいる俺の手に、自分の大きな手を重ねて、心中を読んだように優しく微笑んだ。
「大丈夫だ、フェイオン。俺は正真正銘の勇者だぜ。ほら、落ち着けよ」
きゅっと握ってくれた手がとても温かくて、一瞬俺は泣きそうになった。本当はこのままアーシュの腕を押さえていたかったが、そういうわけにはいかないことも承知している。この貴重な勇者装備を取り逃したら、魔王と対峙する時に絶対的に不利なことは明白だ。どっちにしろ、俺達に選択の余地はない。
俺は恐る恐る手を離した。
アーシュはニッと口の端を持ち上げて笑うと、宝剣に向き直ってその豪奢な柄を握った。サラスの手から慎重に持ち上げて、鞘にもう一方の手をかける。
俺の心臓が煩く鳴りだし、体が冷たくなっていくのを感じた。隣に立っているパレットが、微かに息を呑む音が聞こえる。
今や、部屋の中は人口密度に反比例して、水を打ったように静まり返っていた。
一呼吸置いて、アーシュは宝剣の鞘を引き抜いた。
僅かな音を立てて、スラリと姿を現した刃は、鞘と同じく自ずから眩く輝いていた。闇を一掃し、邪気すら遠ざけることができそうな神聖な光に、俺を含めほとんどの者が目を覆っただろう。
程なくして白光が収束すると、やっと俺は目を開けれるようになった。
真っ先にアーシュを振り仰ぎ、何でもなさそうに宝剣を見やっている様子を確認して、ほっと息を吐いた。アーシュは本当に勇者だったみたいだ。失礼だが、俺はやっとここでアーシュの職業が勇者だと認めた。
「アーシュ、大丈夫か?」
それでも心配で声をかけると、アーシュは剣を収めてサラスに返した。俺の方に向き直ったアーシュは、ちょっと肩をすくめて見せて、悪戯っぽく口元に笑みを浮かべた。
「この通り、何ともねぇよ。実際拍子抜けしたな。全然、普通の剣と変わんねぇんだから」
俺は脱力して肩を落とした。何だか一気に安堵と疲労が押し寄せてきた。
サラスはふむふむ、と一人頷いていたが、やがて例の泰然とした微笑を湛えてアーシュに言った。
「私の見立ては外れていなかったようだ。君が今回の勇者なんだね」
アーシュは眉を顰めて不満そうな声をだした。
「見立てってなんだよ」
「フェイオンに街中で目を付けた時、隣を歩いていた君から強い波動を感じたんだ。で、これはもしかすると、と思ってたんだよ」
俺もふと思いついてサラスに尋ねた。
「ずっと疑問だったんだが、お前は高位の魔法使いだろ? どうして盗賊の頭領なんてやっているんだ?」
サラスが尋常じゃない魔力の波動を身に秘めていることは、再三に渡る恐怖体験で確認済みだ。ここまで力のある魔法使いが盗賊の頭張っているなんてどう考えてもおかしい。大抵の高位魔法使いは高齢なことが多い為か、自宅でひっそりと薬草なんか研究しながら暮らしている。そして必要とあらば国に召し上げられて働くこともある。勿論、高給取りなのは言うまでもない。サラスのような在野の魔法使いは珍しいのだ。
俺の質問にサラスは「ああ」と軽く頷くと、実にいい笑顔で答えた。
「家に引きこもって詰まらない薬学ごっこなんて、私は真っ平なんだよね。盗賊をやっていると暇つぶしにはなるしお金も儲かるし、いいことだらけなんだ。国に仕えるのは考えられないし。もう唯の魔法使いになんて戻れないよ」
何となくその気持ちが分かる気がした。俺だって家にいるより外で働く方が好きだ。自由奔放になれる盗賊はサラスにとってなかなか魅力的なのかもしれない。盗賊がいいものか悪いものかは置いといて。
「おい、てめぇ、盗賊だったら勇者装備とか魔王の情報の一つや二つ知ってんだろ? 教えろよ」
アーシュは何故か偉そうに腕組みをして、サラスを睨んだ。まだ俺のことで蟠りを抱えているみたいだ。
サラスはちっとも堪えていない様子で微笑むと、「まぁね」と頷いた。
「勇者装備については、残念だけどこの宝剣だけなんだ。鎧とかは自腹ってこと。まぁ、頑張ってよ。魔王については君達が知っていること以上は教えられないな。巷に流布している噂しか私も知らないんだ」
俺とパレットに向かって「ごめんね」と謝るサラスは、アーシュを全く見なかった。仲直りは一生無理なんだろうな。俺は二人の様子をみて相容れないものを感じとった。
「色々あったが、ありがとう。宝剣が手に入っただけでも大収穫だった」
そろそろお暇しようと俺が口を開くと、サラスは眉を寄せて悲しそうな顔をして、いきなり俺の体を抱き寄せた。抵抗する間もなかった。
「ああ、私のフェイオン。こんな勇者に囚われているなんて、できることなら解放してあげたいよ」
俺は疲れておざなりな返事を返しただけだったが、アーシュが黙っているわけがない。俺とサラスを強引に引きはがして俺を腕に抱き込み、殺気と怨念が凝縮された低音で言葉を放つ。
「オ・レ・の・フェイだ。誰がてめぇになんか渡すかよ。てめぇにフェイはもったいなすぎるっ」
サラスも極上の笑みを張り付けたまま、怖いくらいの棒読みで反撃する。
「ふふふっ、その台詞、そっくりそのまま君に返すよ。フェイオンと君では釣り合わない」
二人は互いに睨み合いながら俺の腕を左右に引っ張り始めた。ああ、腕が痛い。
「なぁ、貴様等いい加減にしろよ……」
怒る気力もない俺は、半ばうわ言のように呟いた。今日は色々ありすぎた。もう眠ってしまいたい。
二人を取り囲んで騒ぎ、険悪な雰囲気を煽りたてている盗賊達の声が。俺を闘争の中心から助け出そうと尽力してくれているパレットが。
ああ、全部遠くの出来事のようだ。
ふぅ、全くもってやたらと疲れるな……。
ヒシュタの街にやっと戻ってこれたのは、その日も夜になってからだった。
何だか今日のできごとが何日にも渡って続いていたように感じる。長い一日だった。
帰りがけに公衆浴場にてふらふらになりながら入浴し、前日に泊った宿屋で部屋をとったら、なし崩し的にまたアーシュと同室になってしまった。どうしてもアーシュが俺から離れないのだ。言葉通り、ずっと俺の体の一部に触れている。おかげで俺の疲労は山を越えて、もう疲れているのかそうじゃないのか分からない。
体を引きずるようにして部屋に入った俺は、アーシュをやっとこさ押しのけてベッドに倒れ込んだ。ああ、幸せだ。俺はふかふかの安らかな感触に身を預け、これ以上ない幸福を味わった。
が、しかし何だろう。今日は厄日なのだろうか。
服を適当に脱ぎ散らかしてシャツと下着だけになった俺が布団に潜り込むと、同じく軽装になったアーシュがベッドに侵入してきた。
「……おい、何勝手に入ってきてるんだよ」
抗議を完全無視してごそごそと俺の体に腕を回したアーシュに、向かい合う形でぎゅうっと抱きしめられる。
「んー、いいじゃねぇか一緒に寝るくらい。あー、やっぱりフェイは抱き心地がいいなぁ」
アーシュは俺の髪を腕枕している方の手で梳き、もう一方で抱きしめるだけ。どうやら本気で添い寝するだけらしい。俺はそれなら別に構わない、というか追い出すのすら面倒だから、アーシュの胸に顔を押し付けて目を閉じた。
「……ごめんな、フェイを守ってやれなくて」
心地よいアーシュの鼓動を聞いていると、暫くしてから静かな声がそう言った。囁きに近いその声音は、甘くて少しだけ悲しげだった。
俺は胸から顔を上げて、俯き加減のアーシュと視線を合わせた。また眉間に苦渋が刻まれている。小さく微笑むと、一段と腕に力が込められたのを感じた。ちょっと苦しいけど、これはくらい我慢する。
「アーシュは守ってくれただろ。助けにきてくれて嬉しかった」
俺がそう言うと、アーシュは「違う」と呟いて俺の髪に顔を埋めた。
「守れてなんかいねぇよ。犯されかけてた。結局、一発も殴れなかったし」
そう言えば、アーシュはサラスに実害を与えていない。唯の一度も、かすり傷さえつけなかった。俺はアーシュが誰も殺さなかったことを喜んでいるのだが。
「いや、確かに危なかったけど、結果的にそんなに酷いことされたわけじゃ……」
「っ、フェイ、あいつに何された?」
あっ、余計なことを言ってしまった。
アーシュは上半身を起こして俺の肩を半ばベッドに押し付けるようにして、やや強い口調で言った。俺は自分で掘った墓穴に内心自己嫌悪に陥っていたが、いつまでもじっと目を見据えてくるアーシュが真剣過ぎて、少し泣きたくなった。
「大したことされてないって。微妙に脱がされかかっただけだし」
「本当か? 他に、変なことされてないか?」
「ああ、別に何も」
口付けられたことは黙っていた。思い出すのも嫌なのに、言葉にするなどできるはずがない。それに、アーシュが動転してサラスを殺しに行きかねない。
俺はアーシュの両頬を掌で包み、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だって、な? 俺はもう引きずらないし、お前もそうしろ」
アーシュは不得心顔で俺の瞳を捉え、微かに首を横に振った。
「違うだろ、嘘吐くなよ。平気なら、どうしてオレが駆け付けた時に泣いてたんだよ。あんなに、沢山」
そう言って、アーシュは体を低くして俺に口付けた。優しく快い感触と温度に、ふっと安心して体の力が抜ける。やっぱり、俺はアーシュじゃないとだめみたいだ。
やや長めの口付けの後、アーシュは二度三度、深く甘いそれを続けた。
「……本当に、俺、大丈夫だって。信じろって」
「信じてないなんて言ってねぇだろ」
少しイラついたようにアーシュは語気を荒くした。どうしたんだろう。
「アーシュ、俺が何か気に障るようなこと言ったのか? 何を怒ってるんだ?」
心配になって赤髪に触れると、アーシュはまたもどかしそうに首を横に振った。黄緑色の瞳が、蝋燭の橙色を反射して、潤んでいるように見える。
あ……。
俺はやっと一つ思い当った。ゆっくりアーシュの顔を引き寄せて、自分から一度口付けをする。
「もしかして、不安なのか? 俺がお前を置いて行くかもしれないって?」
アーシュは僅かに頷いて俺をまた腕の中に隠し込むように抱きしめた。まるで、何か得体の知れない敵から、俺を守るかのように。
「そうだったのか。ごめんな、すぐに気付かなくて。アーシュ、俺は何処にも行かないぞ。ずっと、お前の傍にいるからな」
アーシュの胸に顔を押し付けたまま、声が震えないように気を付けながら言葉を紡いだ。
俺と同じ想いを、背負うには辛すぎる想いを、アーシュも抱いていたんだと分かって。いつものふざけた調子で今まで隠してきたんだって分かって。俺をすっぽり収めてしまえるくらい大きい体だけど、心にはそんな余裕がなかったって分かって。
俺はアーシュが堪らなく愛しくなった。
何だか、場所が一向に進みませんが気にしないでください(;一_一)
今回も読んでくださりありがとうございます。楽しんでいただけたら幸いです。