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13 フィナーレ

13 フィナーレ


 市民文化会館の玄関に、三井拓海作演出の演劇『変態教師の末路』の大きなポスターが張られていた。夏休みの最後の日、まもなく小ホールで芝居が始まる。観客には、小峰中学校の校長や副校長を始めとした教員全員と多くの生徒、それに保護者たちが観に来ていた。夏休みの間に、小峰中学校の変態教師騒動はすっかり治まり、生徒たちにとってはずいぶん昔の騒ぎのことのように思えた。教師たちも夏休みの間にかれらの心の傷を癒していた。そんな小峰中学校の関係者の多くが集まったのは、若菜が半ば強引にチケットを売り歩いたからである。彼女ににっこりと笑ってチケットを差し出されると、誰でも買わざるを得なくなってしまうのだ。それでも、生徒たちは夏休みの宿題をしなければいけないからとチケットを買うのを渋ったが、若菜が先生たちに頼んで宿題の提出日を遅らせてもらうからと言って半ば強引に売りつけた。実際、宿題の提出日が一週間延びることになった。


 「ネットに小海中学校に変態教師がいますという書き込みがあったぞ」、と一人の教員役の男が叫びながら舞台に走って登場し、芝居が始まった。

 観客席で、「これうちの学校の話だよ」と母親に説明している者がいた。小峰中学校を小海中学校に名前を替えただけだと客席から失笑が漏れた。生徒の中には「小峰中学校の間違いじゃねえ」と声に出して言う者もいて、隣の席の人から「シー」と言われて黙った。

 生徒役の男女2人が登場して、次々に架空の変態教師の名前をあげて、二人して誹謗中傷していったが、すぐにこの生徒役が江川さくらと阿久津漣であることが誰の目にも明らかになった。客席の生徒たちは小さな声で二人の名前を確かめ合った。「阿久津も大きな声で喋れるじゃん」という呟きが聞こえた。

 舞台では、二人が誹謗中傷したすぐ後に、後方の真っ暗な中に据えられているひな壇に座っていた顔のわからない20人くらいの男女が、矢継ぎ早にあらん限りの罵声を教師に浴びせかけていった。教師役の役者は耳をふさいだり、ふさいでいる両手をとって彼らの声を聴いたりして、もがき苦しんでいる。入れ替わり現れた何人もの教師に江川と阿久津が誹謗中傷を繰り返し、それにひな壇の席の役者たちがこだまのように激しく罵詈雑言を浴びせていく。ひな壇に座っている連中がネットの書き込みをしている顔の見えない匿名の人間を表しているのは明らかだ。観客はシーンと静まり返っていった。

 最後の教師役として登場した女性に対して罵声が浴びせられた後、後ろのひな壇に座っていた男性や女性が代わる代わるに降りてきて、檀上にいる時とは豹変したように、笑みをたたえて優しい口調で女性教師に慰めの言葉を投げかけた。そして彼ら彼女たちがひな壇に戻ると、再びひどい罵声を浴びせかけた。そのうち女性教師は近寄ってくる男女からカルト教団への入信をすすめられ、彼女は入信していろいろなものを買わされた。女性教師の笑い声はどこか卑屈になっている。よく見るとこの教師を演じているのは若菜舞だ。若菜は舞台に立つとこんなに美人で魅力的なんだと観客の全員が思った。舞台上で、若菜が責められている理由は、小学生の頃に30円のお菓子を万引きをしたことがあるというものだった。

 スポットライトを浴びた若菜の手足に天上から降りた糸がかけられ、操り人形のように、音楽に合わせてぎこちなく踊った。どこか孤独にみえた。

 音楽が止むと舞台は暗転し、突然、「ネットに匿名で誹謗中傷を繰り返している人の名前を明らかにするぞ」という天の声が響き、ひな壇いる人たちはパニックになった。そしてそれまで暗かったひな壇に明かりが照らされ、みんなの顔が白日に晒された。そして、その者たちはみんな顔を覆ったが、みんなはニヤッと笑った白い仮面を付けていた。この仮面を被った者たちこそ若菜に近づいて入信させたカルト教団の信者たちだった。標的になる者に誹謗中傷を投げかけて入信させていたのは、実はカルト教団の組織的犯行だったのだ。

 このひな壇の中でただ一人仮面を被っていない男がいた。彼は慌てて顔をふさいだが、それがひときわ大きな罵声を浴びせかけていた男であることは誰の目にも明らかだった。客席から「白鳥先生だ」という声が飛んだ。観客はどよめいた。

 取り乱した白鳥に対して、仮面を付けた信者たちから、白鳥一人に罪を擦り付けるような罵声が浴びせられた。白鳥がうろたえて舞台上を右往左往した。そして、白鳥が誹謗中傷を浴びせていた女性の顔を覗き込むと、それは彼のかつての恋人だった。白鳥は彼女に懺悔した。すると彼女はカルト教団から抜けるために、カルト教団から購入したこの巨大な仏壇をどこかに捨ててきて欲しいと頼んだ。巨大な仏壇が舞台の中央に据えられていた。この巨大な仏壇は、阿久津の家から昨夜ここに運び込んできたものだ。

 白鳥は縦横2メートル、奥行きが1メートルもある巨大な仏壇を太い荒縄でぐるぐる巻きにして、自分の肩に荒縄をかけた。観客の誰もがさすがに持ち上がらないだろうと思った。彼は何度も踏ん張った。ついに巨大な仏壇が少し持ち上がると、客席から「おおっ」というどよめきが起こった。白鳥は前かがみになりながら右足をスローモーションを見るように踏み出した。その足が着地した時、一瞬膝が崩れそうになった。観客から「ああ」と大きなため息が聞こえてきた。白鳥はなんとかそれを持ち直し、一歩目の足を踏ん張った。しばらく間をおいて、次に左足をゆっくりとだが大きく前に出した。少し仏壇が傾き、白鳥はバランスを失いそうになったが、なんとかそれを持ち直した。客席は固唾をのんで見守った。観客席にいた阿久津の母親が両手を合わせて祈っていた。そして客席の誰ともなく「頑張れ」という声が上がると、客席はその大合唱となった。

 白鳥が三歩目となる右足を出した時、観客の誰もが一瞬時間が止まったように思えたが、すぐに時間は動いた。白鳥の両膝が崩れ、白鳥は巨大な仏壇の下敷きになった。客席から大きな悲鳴が聞こえたのと同時に、幕がストーンと下りた。

 客席はボー然となった。今起こったことは芝居の演出なのか、それとも事故だったのか。もし事故だとしたら、巨大な仏壇の下敷きになった白鳥は生きているのだろうか。観客みんなが不安に駆られた瞬間、後方の席から「ブラボー」という歓声が上がった。すると、前の方の席の人も立ち上がって「ブラボー」と声をかけ拍手した。それを見た観衆はみんな安心して涙を流しながら立ち上がり、あらん限りの拍手をした。最高のフィナーレだった。


 「あの時は、「ブラボー」というしかないだろう。「事故です」って騒いでもどうしようもなかったものね。俺の後に間髪入れずに、前の方の席にいた校長や副校長、和泉さんが「ブラボー」って言ってくれて助かったよ。あの時観客はみんな半信半疑だったんだろうけど、あれで演出ってことになったから」

 病院のベッドの上で、ミイラのように全身を包帯で巻かれて身動きできないでいた白鳥には、三井が豪快そのものに映った。

「それに役者が舞台で死ねるなら、それは本望なことだぜ」。三井はまだ芝居の興奮から覚めていないようだった。

「あの、ぼくは役者ではないんですけど」

白鳥は包帯の隙間に空いていた口を動かした。明るい声だった。

「あの巨大仏壇背負いをやったんだから、あんたはもう立派な役者だよ」

「でも、3歩目に潰れました。聞かされていませんでしたけど、私は何歩歩けばよかったんですか。何歩歩いた後に、どうすればよかったんですか?」

「俺も考えちゃあいなかったよ」

「そりゃあひどいな」

「いつものことよ」と笑いながら若菜が口をはさんだ。

「でも、私だって、白鳥先生が死んじゃったと思ったわよ」と若菜が言った。

「会場中に凄い音が鳴り響いたからな。俺も終わったなって思ったよ」と、三井が少し真顔になったように思われた。

「仏壇の下でぴくぴく体を動かして、「生きています」っていう声が聞こえたから、生きてるのがわかりましたけど」と若菜が話した。

「あの時、救急車を呼んでくれなかったんでしょう? 三井さんの車でこの病院に運ばれたんですよね。ひどいな」と白鳥が喋った。

「呼べるわけないじゃない。芝居で事故起こしたことがばれたら、次には会場を貸してもらえないものね」と三井があっけらかんと話した。

「それにしてもバカ受けだったな。言っちゃあなんだけど、俺の芝居でこんなに受けたことはこれまでないよ。和泉さんも最高の芝居だったって絶賛してくれたよ」と三井は嬉しそうだった。

「でも、再演はできませんよね。仏壇も壊れてしまったし」と白鳥が言うと、

「仏壇は修理すればなんとかなるよ。白鳥さんの怪我が治ったら、再演に向けて稽古を開始しようか」と三井が明るく応じた。

「お芝居が終わった毎に入院するのはいやですよ」と白鳥の泣きが入った。

「やっぱり私の言った通り、変態教師騒動を芝居にしてよかったでしょう。配役もばっちりだったし」と若菜が誇らしそうに言うと、

「舞から、巨大仏壇と白鳥先生、カルト教団の話を聞いた時に、すぐにこの芝居が浮かんだんだ。これは面白いものができるってね」と三井は嬉しそうに言った。

「白鳥先生、無理やり主役をお願いしてすみません。今回の芝居の主役は白鳥先生以外にいないと思ったんです」と言ったが、若菜は全然申し訳なさそうに思っている風ではなかった。

「痛いけど、楽しかったよ。若菜先生が盗聴しているなんて知らなかったけどね。でも、そのおかげと言ってはなんだけど、小峰中学校の変態教師騒動も素晴らしい幕引きができたものね」

「盗聴してすみませんでした。あの時は白鳥先生のことが心配で」

若菜は心にもないことをさらっと口にした。

「お医者さんの話では入院一か月にリハビリが一か月かかるらしいから、若菜先生、申し訳ないけど、私の代わりに3年3組の担任をしばらくお願いします」

「任せてください」

「ホームルームで『変態教師騒動のその後』なんて話し合いはしないでくださいね」

「もっと面白いテーマを考えます」

「若菜先生は面白いな」

「生徒たちが白鳥先生を待っていますから、早く元気になって学校に出てきてくださいね。みんなで待っています」


 翌日、白鳥の病室に阿久津漣と江川さくらの二人が見舞いに来た。

「漣君、ご両親はお芝居を楽しんでくれたかな?」

「とっても面白かったって嬉しそうに話していました。父と母のあんな嬉しそうな顔を見るのは初めてです。白鳥先生は「大丈夫なの」と聞かれたので、「大丈夫だよ」と答えておきました。入院しているなんて言えませんでした」

「それでいいよ。仏壇を壊して申し訳なかったね」

「両親はみんなの前で派手に壊してもらって、心底すっきりしたと喜んでいました」

「そう言っていただけるとありがたいけどね」

「母は、先生が巨大な仏壇を背負って歩く姿が、ゴルゴダの丘を十字架を背負って登るイエス・キリストのように神々しく見えた、と言っていました」

「えっ、そんな偉そうなもんじゃないよ」と気恥ずかしそうに白鳥が言った。

「ゴルゴダの丘って何?」と江川が訊いた。

「イエスが磔になった場所だよ」と阿久津が答えた。

「ふうん」

「カルト教団の連中も大勢で芝居を見に来ていたそうなんです。ぼくも知った顔がいくつもありました。最後の場面を見て、みんな真っ青になって、そそくさと帰って行ったそうです」

「それは先生も見てみたかったな」

「そう言えば、江川、凄いんですよ。あの巨大な仏壇が倒れる瞬間、先生を助けようとしたんですから。ぼくなんか身が竦んで動けなかったのに」

「ええ、そうなの。有難う」

「ううん、あの時は先生を助けようとして倒れていく仏壇の下に飛び込もうとしたんだけど、漣君が私の腕を強く握りしめて動けなかったんだ」

「それでよかったよ。それでよかったんだ。江川さん、阿久津君、有難う。本当に有難う」

白鳥の目から涙が滲んできた。

「先生、入院して気が弱くなったんじゃないの。泣かないでよ。先生らしくないよ」

江川はポケットから皺くちゃなハンカチを取り出して、白鳥の涙を拭った。

「先生、将来、私、若菜先生のような女優になろうと思うんですけど」

「若菜先生は教師でしょう。女優じゃないよ」

「でも、舞台の上ではあんなに輝いている女優さんだよ」

「ああ、そうだね。若菜先生はきれいな女優さんだったね」

「やっぱり人生には目標が必要だよね。私の目標は女優です」

江川は目を輝かせて言った。

「頑張ってね」と白鳥が励ました。

この時、阿久津は自分も人生の目標を持とうと思った。

白鳥が病室にあるラックの上に目をやると、花瓶の中に大きな向日葵が挿してあった。

「この向日葵は江川が持って来て活けたんです。江川にこんな女の子らしいところがあるなんて初めて知りました」と阿久津が軽い口を叩いた。

「漣君は知らないでしょうけど、教室の花瓶にフリージアやカーネーションの花を活けてくれていたのは白鳥先生なのよ。先生はみんなに秘密にしていたのかもしれないけれど、私は知っていたんだ」

 これが私の秘密だったのか。他愛ない秘密にはほのぼのとした幸せが潜んでいるんだ。

「先生、いま生徒たちの間で、陰口やネットでの誹謗中傷はやめよう、という機運が盛り上がっているんです」と阿久津が言った。

「どうして?」

「そんなことをすると、空から巨大な仏壇が落ちてきて天罰が下るって、まことしやかにささやかれているんです。先生が仏壇の下敷きになったことがみんなに強烈な映像として残ったようなのです」と阿久津が教えてくれた。

「会場に爆弾が落ちたのかと思うほどの凄い音がしたものね。怖くて泣き出した生徒もたくさんいたのよ」江川が真顔で言った。

「ぼくが大けがをしたのも少しは意味があったんだ」と白鳥はしんみりと言った。

「先生、早く元気になって戻ってきてね。学校のみんなが待っているから」

 白鳥は教師を続けて行くことを決めた。

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