六話 名前の呼び方は面倒くさい
美柑と志川から離れて走った距離は二百メートルほどだった。
大して長くもないこの距離を戻ってるが、光一は数秒も経たないうちに憂鬱な気分になっていた。
その原因は一つ。
「いやー。ほんとにすごいですね光一さんは! あんなにあっさりと幽霊、あ、悪霊でしたね。悪霊を退治できるなんてもうすごいとしか言いようがありませんよ! 僕からしてみればそもそも悪霊なんてオカルトが存在すること自体が驚きなんですけどそれを退治して回っている人達がいるという事実は度肝を抜かれるなんてもんじゃないですよ! もう心臓でも抜き取られた気分ですよ! あ、心臓を抜き取るのは悪霊ですよねアハハ。世界がひっくり返るとはまさにこのことです!」
とまあこの調子だ。
少年に襲い掛かっていた幽霊を追い払った後、やべえ奴だとは思いつつもとりあえず「大丈夫か?」と声をかけたのが運の尽きだった。
興奮気味に空を仰いでいた少年は光一の方に向き直ると「成瀬川翔」と名乗り、妖怪や幽霊について事細かに質問された。
歩きながらだというのに成瀬川の言葉は途切れるこ
となく、不気味なくらいにひとりでに話続けている。もはや成瀬川の口の方がその辺の妖怪よりも怖いとさえ光一は感じ始めていた。
「実は僕がこうして幽霊や妖怪を追い始めたのはつい最近のことでして。あ、興味は昔からあったんですよ。小さなころは水木しげるの妖怪図鑑なんて読みふけっていたものです。周りのみんなはポケモンとかやってた時に僕はずっとそんなものばかり読んでいたものですからやっぱりクラスでは浮いた存在でしたね。そう、幽霊のように!」
「おい」
「はいはいなんですか? 何かおかしなことでもあったのでしょうか? あ、おかしなとこと言えばさっきの幽霊はやたらと僕の顔を見ていましたがあれはなんでなんでしょうね? 幽霊ってみんなそうなんですか? そういえばこの辺りって少し肌寒いですよね。これも幽霊の仕業、あ、妖怪のせいって奴ですか。今の笑いどこですよ光一さん」
光一はため息を吐いた。
言いたいことがあったから呼び掛けたというのになぜか質問されていた。
「少し静かにしてくれ。お前のために安全な道を探しながら歩いてるんだ。俺を集中させるのはお前にとっても大事なことのはずだ」
「んーそうですね。僕もさすがに死にたくはないのでここは大人しくしてるとしましょう。ところでこれってどこに向かっているんです? 後、僕のことは気軽に翔って呼んでください」
光一は呆れた。
こいつ、今自分が言った言葉の意味が分かってないのだろうか。
そうは思ったが成瀬川は騒ぎ立てるようなことはしなかった。それでもぶつくさと「幽霊さーんどこですか」「怖くないですよー」と後方から聞こえてくるので光一は少し殴りたい気持ちになった。
その後、何事もなく美柑と志川の元に戻った。
二人は一瞬、肩を震わせたが光一の顔を見るとすぐに緩んだ。
「あ、戻ってきた」
「ど、どうだったんだ?」
「いたよ。こいつが襲われてた」
光一がうしろを指さすと成瀬川がひょこと顔を出した。
「どうもどうも成瀬川翔と申します。いやーさっきは危ないところを光一さんに助けていただきまして。それより仲間がいるなんて聞いてませんでしたよ光一さん。とても綺麗な方じゃないですか。それにそちらは……知らないおっさんですね。というかその白い円の奴は何なんですか? 石灰、じゃあありませんよね? あ、もしかしてお二人も何か専門家ですか? 光一さんみたく怪物を倒しているとか?」
「えーと……」
美柑がポカンと口を開いている。
光一よりは積極的な美柑でさえ手に負える相手じゃないようだ。
「とりあえず、翔君でいいのかな。呼び方は」
「ええ! ええ! よろしくお願いします!」
図らずして希望通りの呼び方をしてもらい、成瀬川は嬉しそうに頷いた。
「私、高島美柑。ところで翔君はそこの金髪ウエスタンのことを『光一さん』って呼んでるの?」
「そうですが。何か問題でも?」
ジトーっとした視線を感じるが光一は気にしないことにした。そもそも『光一さん』は却下した覚えはないので責められるいわれもないのだが。
「ま、いいや。質問に答えるけどこれは塩で悪霊から身を守ってくれるものなんだ」
「へええー。塩がそんな効果があったとは。玄関に置いてある塩って意味があったんですね!」
あの塩は市販の塩の場合が多いのでほとんどが効果はないだろう。せいぜい気休め程度だ。
「後、私と横のおっさんは別に光一と同じ妖怪狩りじゃないよ」
「おや、それではどうしてここに?」
「色々あるんだよー。い・ろ・い・ろ」
美柑の仕草はどことなく古臭さを感じさせるものだった。
「それはそれはそこのおっさんはどうなんです?」
「こいつは件の悪霊を過去に殺した人物だね。要するに極悪人だよ。後で処分するから安心してね」
「な、なに!?」
殺人をしたことをばらされたことと突然の殺害宣言に志川は飛び上がった。
「ジョークだって。鬼さんジョーク」
そう言って美柑はあっはっはと笑う。成瀬川も同じように高笑いしている。
志川は縋るように光一に視線を向ける。手を振ると志川はほとっと息を吐いた。
「ともかく、悪霊がいるのは間違いなくなった。この目で確認したからな。さっさと死体の場所に案内しろ」
「え、死体? 死体があるんですか? うわーやばいやばい。もしかして僕何かやばい事件に関わってるんじゃ? もしかして死体ってさっきの幽霊の死体ですか? なんでそんなものがこの山にあるんです? てっきり僕は昔っから存在するそれこそ江戸時からいる土着の幽霊だと思ってたんですけどそうじゃないんですね。面白い!」
「ねえ、何この子?」
一人で勝手に盛り上がる成瀬川から離れて美柑は光一に尋ねた。
「多分イカれてる。気にすんな」
「イカれてると気にすんながどうやって共存できるか気になるとこだけど」
「知らねえよ」
「お、おい。さっさと行くんじゃないのか? 場所はたしかこっちだ」
痺れを切らした志川が移動するように促す。
ここで話していても時間の無駄でしかない。成瀬川のことは一先ず置いておいて、ここは悪霊退治に向かうとしよう。
光一が先頭を歩き、その後ろに志川、最後尾に美柑。
さっきと同じ布陣で進もうとしたのだが、最後尾である美柑の後ろにもう一つ頭があった。
「おい、待て。お前はこのまま山を下りるんだ。ついてくるのは危険だ」
助かったはずの成瀬川がなぜか後ろにいた。
いやまあ、正直こうなるとは光一も思っていたがやはり正気とは思えないのだ。
「え、嫌ですよ。僕はちゃんと幽霊を消滅させるまで帰りはしません」
「……忠告はしたからな」
蹴り飛ばしてやってもよかったがそこまでして助けてやる義理はない。一度助けた時点で妖怪狩りの義理は通している。その後のことまで面倒を見てやれるほど状況は楽観的には見れない。
説得は諦めた。
光一は美柑から塩の入った袋を預かり、背中にひっかけた。パイプと懐中電灯を両手に握る。
四人は光一を先頭に森の中を進んだ。
月明かりと懐中電灯が道を照らし、志川の案内の下に進む。
「多分、こっちだ」
「次は……右かな」
「そこは、左だ」
「そこの木を左に避けてくれ」
「その小山を右から昇ってくれ」
志川はほとんどない記憶を擦って何とか道を指示する。道を辿るごとに記憶がよみがえってきたのか、語気は段々と強くなっていた。
やがて。
「お」
懐中電灯が何度か点滅してそのままライトは消えた。
「……寒い」
美柑が両腕で体を抱いた。
なぜ、寒いのか。それは美柑が薄いロンティーにミニスカートという肌の露出の多い格好をしているから、ではない。
その理由は、
「来るぞ」
光一がポツリと告げる。
何が、と問う者はいない。全員その一言で察したのだ。
いる。悪霊が。
冷えた空気を風が攫う。肌寒さが一層増し、迫りくる気配に美柑の前の志川が目に見えて震え始めた。
「来る、来たんだ。私のところに。きっと、私を殺すために……」
「ちょっと。落ち着いて」
美柑がなだめるも志川の耳には入らない。
「そうだ。そうに、違いない。やはり、来るんじゃなかった……。くそ、どうしたら、どうしたらいいんだ―――ひっ!」
「おい、どうした?」
光一が振り返るも周囲には何もいない。悪霊は様子をうかがっているのだろう。
志川が叫んだ原因もわからない。風は吹いているが、ただの風だ。恐れることは何もない。
美柑も同じように何が起こっているのかわからないようだ。
「い、嫌だああああああ!」
光一が顔を覗き込もうとした直前、志川はいきなり走り出した。光一は咄嗟に右腕を伸ばすが、志川の肘を掠っただけで止まることはできなかった。
「なんだってんだよ!」
「わかんない。けど、多分風を悪霊だと感じたんだと思う」
美柑の言ったことは当たっていた。
志川は悪霊の存在を実感し、今まで感じるはずだった恐怖を一気に味わったのだ。この悪霊が彼を狙っているのは火を見るより明らかだ。志川もそのことは理解していた。
殺される。そう思った志川の感覚は過敏になり、過剰に反応する。その結果、ただの風を悪霊だと思い込み精神が限界に達し、逃げ出したのだ。
光一の元から離れる。その行為こそが最も危険であるとは考えずに。
「くっそ。とにかく追うぞ」
「うん」
「ええ、行きましょう。そしてその行く末を見守るのです!」
若干返事がうるさかったが、三人は志川の後を追った。
こんにちは、奈宮です。今回で9話になります。よく喋る人って、たまにいますよね。




