五話 花咲あいりの彼氏の正体
結論から言って、光一と翔は後悔した。
では何に対しての後悔だろうか。答えは簡単。この事件に関わってしまったことが、だ。
現在光一達はタイタンズマンションの一室にいた。光一と翔と、ストーカーの三人が。
マンションの管理人に頼めばあっさりと合鍵が手に入った。当然、管理人は同行しようとしてきたが強引に追い返した。
万が一この部屋が谷川宗次の家でなければどうにかしてやるつもりだったが、どうやらその必要はなさそうだった。
偽装のためか部屋の表札には「高崎」という文字が刻まれていたが、リビングや寝室からも彼の部屋だという証拠を発見できた。
他にもトイレやキッチンなどの部屋も調べつくし、最後に今いるいわゆる趣味部屋と呼ばれる部屋に三人は立っていた。いや、この部屋を「趣味部屋」などという愛嬌溢れる名前で呼んでいいものだろうか。光一はすぐにそれを否定した。
「どういうことだ、これは」
光一は思わず呟いた。「どういうことだろう」などという疑問は本来頭の中で考えていればよいものだ。誰に聞いても答えが返ってくるはずもないし、そもそも驚嘆であって疑問ではないので言葉にする必要もない。それでも言葉にしてしまうほど、この部屋の光景は異常だと言わざるを得ない。
「今風にいうなら「ヤバい」でしょうね」
翔は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。ちなみに昔からも「ヤバい」という言葉は使われていた。意味は違っているかもしれないが。
「ちょっと、これは予想外、ですね」
ストーカーも驚いているようだ。人道から外れた人間にまでこう言わせてしまう。
谷川宗次の部屋は花咲あいりの写真で四方八方埋め尽くされていた。
雑誌の切り抜き、テレビ番組での様子を現像したもの、写真集を切り分けたものもある。だがそんなものは大したことではない。アイドルのファンならそれぐらいあって当然だろう。
最も目を見張ったのは花咲あいりの「プライベート」での光景を映した写真だった。春夏秋冬朝昼晩。あらゆる表情をした花咲あいりが壁や天井が見えないくらいに部屋中に広がっていた。
それぐらい行き過ぎたファンならいるだろう、という反論もできるだろう。だがそれはただの一ファンならの話。
谷川宗次は花咲あいりの彼氏だったのだ。その彼がこのような変態的、犯罪的な行為に走る必要がどこにあるだろう。
そんなことをしなくとも彼女の心は彼に向いていたし、彼が彼女に頼めば写真などいくらでも撮ってくれただろう。
「これが谷川宗次の正体、ってことかよ」
彼は花咲あいりのボーイフレンドなどではなく、彼こそが最大のストーカだったということだ。
光一の頭からは呪いがかかわっているかもしれない、ということなど吹き飛んでいた。
「僕、そのパソコン調べてみますね」
花咲あいりの写真が貼られている部屋には長机が壁際に設えられており、その上にはこれ見よがしにパソコンが数台設置されていた。
パソコンの調査は専門的な翔に任せるのがいいだろう。
光一は呪いの痕跡がないか調べることにした。人間に呪いをかけるにはいくつか方法がある。藁人形、ぬいぐるみなどの道具を使う方法や、血や髪の毛などかけたい相手の体の一部を使用する方法など、それらを混ぜて行うこともある。他には呪いを引き寄せるアイテムを家の中に置いておくという方法もある。
どのような方法であっても何かしらの痕跡が残る。光一はそれを探し始めた。
ストーカー(弱性)はリビングで待たせてある。
「あの、僕もう帰ってもいいですか?」
彼はそう言ったが、
「お前は後で警察に突き出す」
彼は絶望した表情で逃げようとしたが光一に肩をキメられて諦めたようだった。
数分後、すべての部屋を隅々まで光一は探し終えた。
写真の部屋に立ち、改めて室内を見渡す。異常な部屋だが、呪いの痕跡はなかった。光一はあくまで呪いのプロではないので、確実なことは言えないが谷川宗次に呪いはかかっていなかったと見て間違いないだろう。
「光一さん、見てください。これ」
部屋の片隅でパソコンをいじっていた翔が振り返った。
「どうした?」
「光一さんは普通の人なので見ただけじゃわからないと思うので、簡単に言います。谷川宗次はハッカーです。それも凄腕の」
かなり余計な前置きがあったが光一はすべて聞き流した。
「なんでそう思ったんだ?」
「デスクトップを見ればイチコロですよ。普通にパソコンを使っていれば絶対に使わないようなソフトが入ってるんで。というか……」
翔はそこで言葉を区切った。パソコンの画面と光一を交互に何度か見まわした。言いにくい、というよりも自分自身が目の前の出来事が信じられないといった様子だ。
「なんだよ。言ってみろよ」
光一にはパソコン関連のことはわからないかもしれないが、何も言われなければわかるかどうかの判断すらつかない。言いたいことがあるなら早く言ったほうが良い。
翔はもう一度パソコンの画面を見た。
それから息を吐いた。溜息というよりも、気合を入れるために息を吐いた。
「この人、谷川宗次さんは『アンダー』です」
翔は解析したパソコンからわかることを光一に説明した。
何かに偏重する人がいれば、その人々は自然と集まり、コミュニティを形成する。カードゲームだったり、ゲームだったり、漫画だったり、ボルダリングだったり、野球だったり。
なんにでもだ。
ハッキングにもそれは当てはまる。
翔はハッカーではあるがクラッカーではない。プログラミングが好きな仲間と自作のホームページを作り、そこへの侵入速度を競ったり(これも犯罪的に危ういが)して楽しんでいただけである。企業や他人のデータを盗んだことは一度たりともない。ないはずである。
その中で翔のライバルとして肩を並べていたのが『アンダー』。すべての底を理解する、という意味の名前を名乗っていた彼は一年十一か月前、翔の前から姿を消した。
実際に会ったことはなく、ネットのみでの関係だった。
その時『アンダー』に何が起こったのか。
そうである。
花咲ありいと出会ったのだ。
彼は動画サイトで発見した彼女の動画を見てしまったのだ。まさに一目惚れだったようだ。彼の検索履歴やハック履歴、こっそり書いていただろう日記はある日を境に「花咲あいり」一色に染まった。
彼は電子の海に沈んでいた「花咲あいり」の情報を片っ端から集めた。好みの食べ物から、蒙古斑がなくなったのはいつか、という情報まで。
卒業文集、実家のテレビに保存していたホームビデオ、学友とのプリクラ、あらゆつ「花咲あいり」を集めきった。
そこで彼は知ったのだ。
彼女は運命的な出会いを望んでいることを。彼女は幼少期から少女漫画を愛読書としていた。そのことが彼女のパーソナリティに大きく影響し、いわゆる王子様にあこがれるようになった。
それを知った『アンダー』は自分を変えようと決心した。陰気な生活を送っていた彼だったが、少女漫画から乙女心を、恋愛ドラマやイケメンタレントからイケメンの立ち居振る舞いを、美容家の動画から身だしなみを学んだ。
そうして彼は二か月後、どこに出ても恥ずかしくない見た目と性格を手に入れた。
彼は握手会に出向いた。
そして言ったのだ。
「結婚しよう」
強烈である。
握手会に初めて訪れた人間の第一声が今の言葉だということがいいか悪いかはさておき。印象的なことは間違いないだろう。
花咲あいりはこの日、初めて出会ったイケメン男性に求婚されたのだ。自身が憧れ、夢見ていた王子様の出現だ。
彼女はこう答えた。
「はい……!」
二人は結ばれ、ハッピーエンドとなった。いや、むしろここからがスタートだろう。
幸福の絶頂期の始まりだ。
『アンダー』は焦がれたアイドルと、あいりは憧れていた王子様と。理想的カップルだ。しかし、理想は所詮理想だ。現実にはならない。
彼らのような理想的、幻想的と言い換えてもいい。そんなカップルは長続きしない。付き合っていくうちにお互いの現実が見え始め、熱が冷める。やがて好きだと感じていた部分は転じて欠点に感じられる。そうして理想のカップルの多くは決別する。
バッドエンドだ。
だがそうはならなかった。
他ならぬ『アンダー』がそうさせなかった。彼は理想を守り切った。本来とは違う性格をした自分をたゆまぬ努力により維持し続けた。
そして年月が経つ。
彼の日記の最後のページはこうあった。
「限界だ。だがせめて理想の俺のまま彼女にすべてを捧げよう」
彼の人格維持が限界に達したのだ。最後までのページには求められた「自分」と本当の「自分」が乖離していく状況が何度も綴られていた。
「……ということらしいです」
「いい話、ではないよな……?」
「人によって変わりますね」
翔は肯定はしなかった。
「とりあえず戻るか。部屋に呪いはないし花咲を呼んでも問題ないだろう」
「そうですね」
光一と翔は部屋を出てストーカーを探しにリビングに入った。
「あれ?」
先に入った翔が気の抜けた声を出した。
続いて入った光一もすぐに違和感に気づく。
「あいつはどこだ」
ついさっきまでリビングにいたはずのストーカーの姿が部屋から消えていた。
光一達は家の中を探した。探すといっても隠れられそうな場所がそもそもない。軽く部屋を見て回り、ベランダに出て隣のベランダを見た。
だがやはりいない。
ありえないとは思いつつ、飛び降りた可能性も考慮して下を見下ろしたがいなかった。
「じゃあ、ドアから出たってことですかね」
光一達は谷川宗次の過去について見ていた。集中していたがドアの開閉音に気づかないほどではなかった。
(いや、どうだろうか)
無造作に開閉したなら音は聞こえただろう。だが音が出ないように注意していたなら、聞こえなかったのかもしれない。
光一はそれを確かめるために玄関に向かった。
鍵はもともと閉めていなかった。ドアのレバーに手をかけ、下におろし、ドアを開いた。
光一の頭部に衝撃が走る。
それは一度ではなく、他の体の部位にも何度も繰り返された。
突然のことに光一は戸惑った。身構えていなかったせいもあり、ダメージは大きい。それでもただやられるだけの光一ではない。
衝撃の方向から敵の位置を瞬時に判断し、胸ポケットのナイフを振り抜く。光一の手には切りつけた感触が伝わる。
身体が攻撃に耐えきれなくなり、光一は沈み込むように崩れ落ちた。
倒れざまに見上げると、そこには見たことのない男が数人光一を見下していた。
その中にはさっきまで一緒にいたストーカーの姿もあった。




