悪魔
ジュダと話し込んだ明け方のことだ。
――空が真っ黒に染まり始めた。
焼けた臭いに導かれ、ジュダと共に走る。荒屋からの火災であることは間違いなかった。
「オズが……オズがまた……」
吐く息が荒い。ひっ、ひっと喉の奥が悲鳴をあげた。
過呼吸が止まらなくなって、歩みが止まる。
ぼうぼうと燃え盛る火の粉は、礼拝堂まで飛んできていた。
何をやってるんだろう。歩かないと、あそこにいけないのに。
――火に飛び込んだオズの姿が頭から離れない。
「……お、オズ、が……ッ」
「……ドロシー?」
「……、オズ」
「……落ち着きなさい。ゆっくりと息をして」
目の奥がチカチカする。力が入らない。
ジュダに背中を擦られ、息を深く吐き出す。悲鳴をあげていた奥の喉が、ゆっくりと動きを止めていく。
落ち着いたのを確認して、ジュダは落ち着いた、ゆっくりとした声でドロシーに語りかける。
「君はここで待っていなさい」
「でも!」
「火の近くは危険だ。こちらに怪我人を運ぶようにする。君は修道女達と手当を」
「ま、待って。待ってください」
ドロシーも行く。走れるのだと、立とうとした。けれど、やはり力が抜けて、立てなかった。
「いやです。私も」
「落ち着きなさい。大丈夫……君の幼馴染は必ず私が連れてくるよ」
「オズが死んじゃう!」
……もう。頭がぐちゃぐちゃで何が正しいのか分からない。
ただ、オズに死んでほしくなかった。ドロシーが好きとか嫌いとかどうでもいい。
もう、オズが死ぬところを見たくない。
足が動かないなら、這って歩けばいいんだ。
「……分かった。連れていく。私の背に捕まって、落ちないように」
ジュダは諦めたようにそういうとドロシーを抱き上げた。むっと寄った眉間をすぐに戻して走り始める。ジュダはドロシーが走るよりもずっと速い。燃えている荒屋がすぐに近くなった。
荒屋の前には車椅子の女がいた。
歳の頃はドロシーと同じぐらいだろうか。
月が擬人化したようなシンとした美しい少女だった。
近付くと、しとしとと涙を浮かべている。顔を歪めずに涙を溢す人をドロシーは初めてみた。
「君はいったい……」
ただ、彼女は指を炎を指差した。包帯で包まれたその先を見遣る。
……オズが倒れていた。
首を掻き切られていた。下半身が炎にのまれている。まるで荒屋から出てきたところを殺されたと言わんばかりだった。
手に、あの手紙があった。
「大丈夫か! おい、答えなさい!」
ジュダが声をかけるが、オズはぴくりともしない。
そもそも、足が燃えているのだ。意識があれば悲鳴をあげていたはず。
――あげないということは死んでいるということ。
ジュダがオズを引っ張り上げ、火を消そうと懸命に外套を被せている。
ストンと腰が抜けた。駆け寄ることが出来なかった。
ジュダはずっとドロシーと一緒にいた。彼に犯行は不可能だ。
そもそも、犯人ならば今、助けたりはしないだろう。
「ドロシー! どうか手伝ってほしい。彼の名前を呼んで」
「死んでいます、ジュダ様。もう、息をしていません」
「……クソっ!」
「オズが、なんで」
手に持った手紙がくしゃりと歪んでいる。ジュダは目を伏せて、祈りの言葉を口にした。
ドロシーはごうごうと燃える荒屋を見つめる。子供達はどこにいるのだろう。あそこで一緒に燃えているのだろうか。
もう、どうでもいい。
結局。子供達は全員焼死した。真っ黒な遺体をひとつひとつ拾い集め、ドロシーは墓をつくってあげた。
オズの死体は明らかに他殺だったが、誰もが出火が原因の焼死だということで片付けたがった。ジュダが強固に主張したが、犯人を示す何かがあるわけではない。
せめてもと、ジュダはオズの葬式をしてくれた。きちんと儀礼に則ったものだ。綺麗だった上半身に錬金術師の見習い服まで着せてくれた。
……その日は雨が降った。土に棺を埋めながら、ぼんやりと空を見上げる。
ジュダはドロシーに声をかけて、心配そうな眼差しを向けて去っていった。一人になりたかった。
全身が濡れている。ドロシーにはもう、誰もいない。
真っ赤な傘が近付いてきた。
身長の高い紳士が、ドロシーの後ろにぴったりと張り付く。傘を持っていないドロシーに分け与えるように、頭の上で傘を傾ける。
帽子が濡れていた。
思えば、その帽子を落としてしまったことが何もかもの始まりだった。
「死んでしまったね」
言葉は軽く、ウキウキと上擦っていた。
「魔王オズマ」
「オズ、です」
「そうか。オズと名乗っていたのだったか。ドロシー、俺の名前を覚えている?」
男を振り返る。とけるような金髪が雨で濡れている。
「……ジル様」
「ジルで構わない。君にジル様なんて他人行儀に呼ばれるのは気恥ずかしい」
「貴方が殺したのですか」
墓地に視線を戻す。ジルは違うよ? と困ったように首を傾げた。
「アレを殺しはしない。いつだったか、君が彼の死を追って自殺未遂をしたことがあるもの」
「……そんなこと、していません」
ドロシーには本当に覚えがなかった。オズと一緒に殺されるか、人々に殺されるか、ジルに殺されるか。
自殺はしたことがない……はずだ。
「君の話ではないからね。数ある君のたった一つの可能性の話だ」
「何の話だか、分かりません」
「そうだろうね、ドロシー。俺だけが分かっていればいいことだ」
墓碑にはオズと刻まれている。その下には子供達の名前もあった。
皆、ここで眠り、ドロシーを置いていってしまった。
置いていった。おかしな話だ。前はドロシーこそ皆んなを捨ててシャイロックを見つけにいったのに。
「……オズは魔王にそんなに似ているのですか」
「倒したから覚えているだろう? あの怜悧な紅い瞳と真っ黒な髪は忘れられるものではない」
「オズは魔王に似ているから殺されたのですか?」
「さあ。殺人鬼がお喋りだといいが。あいにくと犯人を知らない」
「本当は知っているのでしょう!?」
睨み上げ、飛びかかった。
ジルが今ここにいることこそ何よりの証拠だ。
この男が殺したに決まっている。
押し倒して、首に触れる。力は緩めなかった。精一杯、力をこめて首を絞めた。
ジルはとても愉快そうだった。笑ってさえいた。
――……普通に、息をしていた。
ドロシーの握力では締めることさえままならなかった。
ゆるゆると力が抜けていく。殺してやると思ったのに、非力なドロシーでは殺すこともままならなかった。
真っ赤な傘が落っこちている。取手部分が水溜まりに落ちている。
「可愛いなドロシーは」
「貴方が殺したんだ。貴方しかいないッ!」
「違うよ、ドロシー。俺ではない」
「違わない。違うはずがない……! ジュダ様は私と一緒にいた。ならば、殺したのは貴方なんです。他の誰が火をつけたりするんですか!?」
貴方は、孤児が嫌いなのでしょう?
殺すには十分な理由だ。貴族にとって孤児なんて道端の石と同じはずだ。
気に入らなければ遠く遠く、見えないところまで蹴飛ばす。それを許される。
「俺ではないよ。だって、君に火をつけてしまうかもしれないだろう?」
「貴方は私を殺した」
「…………ッ」
図星だからか、ジルは息をのんだ。
ドロシーは明確に覚えている。シャイロックと共に刺し貫かれた苦しみを。
彼はやはりドロシーのように何度も蘇っているのだろうか。
数あるなかの可能性の一つと、さっきジルは口にしていた。
それはつまり、何度も蘇っている今のドロシーのことを指すのではないだろうか。
「私を殺しましたよ。覚えていませんか」
「……、違う」
「殺しました。だから、火だってつけられる。私は貴方を信用していません」
「違うよ」
「違わない! 貴方のことを信じられない! 私は、貴方のことが嫌いです。死んで欲しい。怖い。私が不幸なのは貴方のせいだ。オズが死んだのも、貴方の」
何も言えないと言った様子で、ジルは顔を伏せた。
ドロシーはこの悲しみも憤りも誰かに擦りつけたくてたまらなかった。
オズが死んだことから逃げたかった。誰かにお前のせいではないと背中をさすられたかった。酷い目に遭っているね、かわいそうに。そう言われたかった。
だって、ドロシーが悪いのか? ジュダと語り合っていたのが悪い?
一つの判断ミスでオズが死んだ。ドロシーがいたら、みんなは焼き死ななかったかもしれない。それが受け入れられないでいる。
だから誰かのせいにしたかった。
「……なんで、こんなことに」
「なんでと過去を振り返っても死んだ人間は戻ってはこない」
「貴方に、私の感情を好き勝手言われたくない」
「だとしてもだ。孤児のドロシー。君は未来を見なくては」
「……は?」
ドロシーに組み敷かれているジルは突然、きらきらとした瞳をドロシーにむけた。
「住む場所も焼け落ちた。君の大切な人ももういない。君の職場は不倫騒動で刃傷沙汰が起こったよ。お針子達は食中毒にかかってみんな寝込んでいる」
「貴方が……」
「そうだよ。俺がしたことだ。君の不幸は全て俺のせいだ。ただ、君に幸せになってほしいんだ」
恐ろしいほど独善的な笑顔を浮かべてジルが甘い菓子を吐き出すように言った。
「君は聖女になるんだ」




