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もふもふ猫神とダンジョン飯  作者: もも
第二部 海路・新大陸編

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84/84

第84話:ただいま

 朝、集落全員が桟橋に来ていた。


 子供たちが前に出ていたが、カイとルカが最前列にいた。




 出発の前に、荷を一つ手渡した。


「固形スープの素と包丁です」とマリウスに通訳してもらいながらカイに渡した。


「固形スープの素の作り方はマニュアルに書いてあります。包丁は使い込むほど手に馴染みます」


 カイが受け取った。


 包丁を両手で持った。


 重さを確認した。


 何か言った。


「大切に使うと言っています」とマリウスが通訳した。


「大切に使ってください。ただし道具は使ってこそ価値があります。毎日使ってください」


 カイが頷いた。


 次にカイが木の実を渡してきた。


 新大陸の果実だった。緑色で固い、あの実だった。


「ありがとうございます」


 マリウスが通訳した。


「向こうの大陸で食べてほしいと言っています。種を植えれば育つかもしれないと」


「試します。育てば届けに来ます」




 長老が来た。


 マリウスが通訳した。


「また来てほしいと言っています。次に来る時は新しい素材があるかもしれない。世界の根源が動いたからと」


「来ます。必ず来ます」


 長老が何か言った。


「料理人は帰る場所と戻る場所を両方持っている人間だと言っています」


 リディアは少し止まった。


「その通りですね」とリディアは言った。




 船が動き出した。


 カイが手を上げ、ルカも手を上げていた。


 子供たちが何か言いながら走っていた。


「届きましたね、この大陸にも」とリディアは言った。


「届いた」とにゃん吉が言った。


 集落が小さくなっていった。


 帰路は穏やかで、行きより風が安定していた。


 甲板でマリウスが計画を話していた。


「新大陸との第一便は三か月後に出せます。根源草のアク抜き済みのものと、現地の魚の保存加工品を最初の荷にします。帰り便にはローゼンベルク・リングの素材を積みます」


「カイとルカが加工を覚えています。マニュアルもあります」


「問題ありません。あとはルートを安定させるだけです」


「頼みます」




 コルトが甲板で剣の手入れをしていた。


 リディアが横に座った。


「眠そうですね」


「最深層に行って、新大陸まで来た。さすがに疲れました」


「そうですね」


「令嬢は疲れていないのですか」


「疲れています。ただし帰ったら父への報告と各拠点への連絡があります。疲れているより先にやることがあります」


「それでも書いているのか、羊皮紙を」


「移動中は考える時間があります」


「変わらないですね、令嬢は」


「変わりません」とリディアは言った。


「それで良いと思っています」




 にゃん吉が甲板で日光を浴びていた。


 珍しい光景だった。


 いつもは荷台の影に入っているのに、今日は日の当たる場所に伸びていた。


「どうしましたか」


「疲れた」とにゃん吉が言った。


「神獣も疲れますか」


「数千年分の仕事をした。疲れる」


「ゆっくりしてください」


「お前もゆっくりしろ」


「帰ってからします」


「帰ってからも仕事があるだろう」


「あります。でも帰ってからの仕事は好きです。報告を伝えて、各地の変化を聞いて、父の顔を見ます。好きな仕事です」




 船が旧大陸の港に入った。


 カイロスだった。


 港の色を見た。


 知っている色だった。


 石造りの桟橋。漁師の網。海産物の匂い。


「帰ってきましたね」


「カイロスだ」とにゃん吉が言った。




 オルセンが来ていた。


 桟橋に立っていた。


「来るのが分かっていたのですか」とリディアは言った。


「配信を見ていた。帰ってくる日が分かった」とオルセンが言った。


「ありがとうございます」


「一つだけ言わせてくれ」


「どうぞ」


「海の色が変わった」とオルセンが言った。


「世界の根源が動いてから、この港の海が違う。魚の動きが変わった。今朝、今まで取れなかった種類の魚が網に入った」


「循環が戻っています」


「お前さんがやったことか」


「にゃん吉さんと一緒にやりました」


「神獣と料理人がやったのか」とオルセンが言った。


「その組み合わせに敵わないな」




 公爵領への道を走った。


 見慣れた景色が続いた。


 農村が見えた。


 ハンスがいた。


 畑仕事をしていた。


 厨房車が通ったのを見て、手を止めた。


 大きく手を上げた。


「ハンスさんが見ていますね」とリディアは言った。


「農夫は畑を離れない。でも手を上げた」


「それがハンスさんの挨拶です」




 公爵領の城門が見えた。


 ヴィランが来ていた。


「お帰りなさい」


「ただいまです。父は」


「お待ちです。表情は変わっていませんが、昨日から三回ほど窓から城門を確認されていました」


「三回ですか」


「私が確認した回数です。実際にはもっと多いと思います」




 広場に厨房車を停めた。


 父が来た。


 いつもの厳格な顔だった。


 表情が動かなかった。


 近づいてきた。


 リディアの前で止まった。


「無事だったか」


「無事です」


「カレーパンはどうした」




 コルトが横で「やっぱりカレーパンの話か」と言った。


「言っていました、ずっと」とヴィランが言った。


「配信のたびに、カレーパンはまだかと」


「揚げます」とリディアは言った。


「今から」




 厨房車の前に場所を作った。


 水晶板を起動した。


「帰ってきました」とリディアは言った。


 コメント欄が一瞬止まった。


 次の瞬間に爆発した。


「帰ってきた」「令嬢が戻った」「カレーパンだ」「スパチャ連打」が止まらなかった。


 各地からメッセージが来た。


「エルダで見ています。お帰りなさい。——セルム、ドラン」


「カイロスで見ています。海の魚が増えました。——オルセン」


「ガルムで見ています。チーズの熟成が今まで以上に上手くいっています。——エルザ」


「ミストルで見ています。霧が薄くなりました。新しい植物が芽吹き始めています。——ラム」


「ヴェルデで見ています。今年の規格外野菜が去年の半分に減りました。作物が育ちやすくなっています。——マルコ」


「新大陸で見ています。カイより」




「新大陸からも届いています」とリディアは言った。


「世界中で見ている」とにゃん吉が言った。


「世界中に届いています」




 仕込みを始めた。


「帰ってきたカレーパンです」とリディアは言った。


「世界の根源でも揚げました。今日は帰ってきた場所で揚げます」


 生地を作った。


 黒穀を少量混ぜた。アランヴァルの黒穀だった。


「旅で覚えた素材を全部入れます」


 カレーペーストを作った。


「全拠点の旨味が入っています」


 包んで、成形した。


 パン粉をまぶした。


 油を熱した。




 入れた。


 音が出た。


 ジュワァァッという音が広場に響いた。


 香りが広がった。


 カレーの香りと、揚げパンの香りが公爵領の空気に満ちた。




「この音ですね」とヴィランが言った。


「この音です」とリディアは言った。


「始まりからずっとこの音でした」


「ダンジョンから始まって、各地を回って、最深層まで行って、新大陸まで行って、世界の根源まで行って。この音だけは変わりませんでした」




 引き上げた。


 黄金色だった。


 完璧だった。


 父に渡した。


「どうぞ」


 父が受け取った。


 かじった。


 サクッという音が出た。


 飲み込んだ。


 目を閉じた。


 長い沈黙があった。


「……ふん」と父が言った。


「どうですか」


「悪くない」と父が言った。


「悪くない、ですか」


「……いや」と父が言った。珍しく続けた。


「文句の付けようがないな」




 ヴィランが目を押さえた。


 コルトが「公爵閣下が」と言いかけて止めた。


 にゃん吉が「素直でない」と言った。




「お父様」とリディアは言った。


「なんだ」


「追放された日のことを覚えていますか」と聞いた。


「覚えている」


「あの日から全部が始まりました」


「そうだな」


「良かったです」とリディアは言った。


「何が良かった」


「始まりがあの夜で良かったです。あの夜がなければ、ここまで来ませんでした」




 父が少し間を置いた。


「お前を追放された日」と父が言った。


「会場から出て行くお前の背中を見た」


「見ていましたか」


「見ていた。止めれなかった。止めれなかったことを後悔したことは一度もなかった。ただし心配はした。毎日した」


「知っています」


「知っていたのか」


「ヴィランから聞きました。配信を毎回見ていて、一睡もしていない夜があったと」


 ヴィランが「申し訳ありません、閣下」と言った。


「構わない」と父が言った。


「事実だ」




 コメント欄が静かになっていた。


 全員が見ていた。


「お父様、ありがとうございました」とリディアは言った。


「追放場所を選んでくださって」


「礼を言うのか、追放に」


「あの夜がなければ、にゃん吉さんに出会いませんでした。スライムゼリーポンチを作りませんでした。各地を回りませんでした。世界の根源まで行きませんでした」


「全部が繋がっていたのか、そこから」


「全部が繋がっていました」




 父がもう一口カレーパンを食べた。


「……本当に文句の付けようがないな」と言った。


「ありがとうございます」


「増やせるか、もう一つ」


「揚げます」


「頼む」




 追加を揚げた。


 父に渡した。


 父が食べた。


 表情は変わらなかった。


 でも立ち去らなかった。


 ずっとそこにいた。




 夜になった。


 全員で食事をした。


 公爵領に戻った料理人が全拠点の素材で作った食卓だった。


 エルダの出汁で作ったスープ。カイロスのオイルサーディンを使った料理。アランヴァルの黒穀の炊き込み。ガルムの熟成チーズ。ミストルの山魔胡椒を振った肉料理。ヴェルデのトマトペーストのソース。新大陸から持ち帰った果実を使った一品。


「全部の場所が一つの食卓に来ました」


「ローゼンベルク・リングの食卓だな」とにゃん吉が言った。


「そうです。新大陸が加わりました。これが完成した形です」




 宴が終わった。


 全員が帰った。


 スタジオの石の部屋に戻った。


 窓がなかった。魔石灯が灯っていた。


 変わっていなかった。


 追放された夜と同じ部屋だった。




 にゃん吉が缶を開けた。


「で、明日はどこへ行くんだ」


 リディアは少し笑った。


「ミストルの奥に新しい植物が芽吹いたそうです。世界の根源が動いてから、今まで育たなかった場所に新しい素材が出てきているとラムさんから連絡が来ました」


「ミストルか」


「行きます。仕入れに行きます。ラムさんも一緒に確認したいと言っていました」


「またすぐに出発するのか」


「数日休んでから。父への報告をきちんとします。各拠点の状況を確認します。レオンとドランに世界の根源の話を伝えます。それが終わったら動きます」


「順番を守るのか、いつも」


「いつもそうしています。急いで失敗するより、確実に進む方が良いです」




「ハッ」とにゃん吉が言った。


「やっぱり止まらんのか、お前は」


「止まりません」とリディアは言った。


「まだ届けていない人がいます。まだ出会っていない素材があります。届ける理由がある間は止まりません」


「そうか」とにゃん吉が言った。


 缶を傾けた。


「では俺も止まらん」


「ありがとうございます」


「礼は要らん」


「言います」




 羊皮紙を広げた。


「また書くのか」


「明日のやることを書きます。父への報告の内容。各拠点への連絡の順番。ミストル行きの準備のリスト」


「世界の根源から帰ってきた夜に」


「帰ってきた夜だからこそ書きます。次が始まる前夜です」




 ペンが動いた。


 羊皮紙に並んでいった。


 父への報告。ヴィランへの流通の確認。レオンとドランへの連絡。ラムへの返信。新大陸との第一便の段取り。ミストルの新素材の確認。


 書いた。


 全部書いた。




 今夜の分が終わった。


 魔石灯が灯っていた。


 にゃん吉が缶を置いた。


「寝るか」と言った。


「寝ます」とリディアは言った。


「明日から動きます」


「明日から動くのか、また」


「また」




 魔石灯を暗くした。


 石の部屋が静かになった。


 追放された夜も、この部屋は静かだった。


 あの夜から始まった。


 全部がここから始まった。


 そして今夜もここに帰ってきた。


 明日、また動く。




 朝が来た。


 移動厨房車が広場に停まっていた。


 日が当たっていた。


 エルダの鉱石で作られた車体が、朝日を受けて光っていた。


 にゃん吉が荷台に乗ってきた。


「行くのか」


「行きます」


「どこまで行くんだ」


「届けたい人がいる場所まで」




 厨房車が動き出した。


 公爵領の城門をくぐった。


 道が伸びていた。


 ミストルへの道だった。


 その先に、また次の道があった。


 また次の道の先に、また次の道があった。


 止まらなかった。


 届ける人がいる限り。


 美味しい食事がある限り。


 食卓はどこまでも続いていた。




         了

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