第62話 呼び方を決める朝
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
翌朝。
目を覚ましたシンジの左側には、すでにボードが浮かんでいた。
【睡眠時間:不足】
【再入眠:推奨】
「起きたんだから、もういいだろ」
【再入眠:推奨】
「昨日までと変わらず、しつこいな」
【再入眠:推奨】
「分かった。分かったから、もう出すな」
扉を叩く音がした。
「起きていますか?」
セレーナの声だった。
「起きてる」
「入ります」
外套を着たセレーナが部屋へ入ってくる。
支所へ向かう前に、様子を見に来たらしい。
セレーナは寝台の上のシンジを確認し、その左側へ視線を移した。
「睡眠時間が不足しているのですか?」
【対象者:シンジ】
【状態:睡眠不足】
「おい。本人の前で確認する必要あるか?」
「シンジの答えより、ボードの表示の方が正確です」
「信用がないな」
【対象者:シンジ】
【評価:信用度低】
「そこまで聞いてない!」
セレーナの視線が、ボードの文字の上を動く。
「なるほど」
「何が、なるほどなんだ?」
「対象者と内容を、別々の項目として表示しているのですね」
「前からそうだろ」
「ええ。ですが、今は私からの問いにも応じます」
エルストリアの記憶へ触れて以降、セレーナの言葉に対しても、ボードは必要な情報を表示するようになった。
ただし、表示の仕方は以前と変わらない。
対象。
状態。
判定。
必要な情報を、それぞれ分けて並べる。
セレーナは少し考えてから、ボードへ問いかけた。
「表示方法の変更は可能ですか?」
【変更:可能】
「では、私を示す場合は分類名を省き、必要な箇所では固有名を使ってください」
【対象者:セレーナ】
【表記方法:変更確認】
「それを一つの文として表示できますか?」
文字が一度消えた。
【表記方法の変更を確認しました。以後、セレーナと呼称し、直接応答します】
「よろしくお願いしますね、ボード」
【承知しました、セレーナ】
「おお」
シンジは思わず身体を起こしかけた。
右の脇腹へ痛みが走り、慌てて枕へ戻る。
「なんだ。急に無機質な表示が会話みたいになったぞ」
「内容は変わっていません」
セレーナは平然としている。
「これまでは、対象者と承認内容を二つに分けて表示していました。それを一つの文にまとめただけです」
「でも、返事されたようにしか見えないぞ」
「見え方が変わっただけです」
【シンジの理解が遅れています】
「お前、いきなり腹が立つ言い方になったな!」
「表示内容は以前と同じですよ」
「文章にまとめると、こんなに棘が出るのか?」
【現在、対話補助を用いた一文表示へ切り替えています】
「あったな、そんな機能。前にボードの機能を調べた時、対話補助って表示があった」
「機能を切り替えたのか?」
【対話補助は以前から有効です】
「じゃあ、何が変わった?」
【固有名呼称、一文表示、直接応答の設定を確認しました】
【対話補助を会話応答へ拡張しました】
【以後、会話文法を用いた直接応答が可能です】
「表示を変えただけじゃなかったのか?」
「新しい機能が加わったわけではありません」
セレーナが答えた。
「もともと備わっていた対話補助が、使える形になったのでしょう」
「つまり、今までは宝の持ち腐れだったと?」
【設定が初期状態でした】
「否定しないんだな」
「もともとデキる子だったのね……」
シンジは、ボードとセレーナを交互に見た。
「そして、俺よりセレーナの方が、ボードを使いこなしてる件について……」
【適性差を確認しました】
「そこは確認しなくていい!」
「使い方を理解しただけです」
「それを使いこなしてるって言うんだよ」
セレーナの口元が、わずかに上がった。
「記録板でも、質問の組み立て方によって表示は変わります」
「慣れてるな、セレーナ」
「もともと私の仕事は、記録板を通してエルストリアの記憶とやり取りすることです」
「なるほど」
シンジは感心して、何度かうなずいた。
「さすが書記官。というか、才女だな」
セレーナの眉が、わずかに動いた。
「そういう言い方は、好きではありません」
声は穏やかだった。
けれど、はっきりと線を引かれた。
ボードへ文字が浮かぶ。
【セレーナの気分を害した理由を表示しますか?】
「いや。分かるから大丈夫だ」
才能の一言で片づけられるのが嫌なのだろう。
セレーナが何年かけて記録板の扱いを学び、どれだけの現場を回ってきたのか、シンジは知らない。
知らないものを、才女という便利な言葉でまとめるべきではなかった。
「悪かった」
「分かってくだされば構いません」
それ以上、責めるつもりはないらしい。
「それなら、俺も同じでいいぞ」
「同じ?」
「対象者とか本人とかじゃなくて、シンジって直接呼んでくれた方が分かりやすい」
ボードに、以前と同じ形式で文字が並ぶ。
【対象者:シンジ】
【呼称変更:可能】
「一文で頼む」
【変更を確認しました。以後、対象者をシンジと呼称し、直接応答します】
「よろしくな、ボード」
【承知しました、シンジ】
「本当に会話みたいだな」
「表示を一文へ変更しただけです」
「分かってるけど、急に別人になったみたいだ」
【先ほどと同じ疑問を確認しました】
「だから、もう聞いてない!」
セレーナの口元が、また少し上がった。
シンジはボードとセレーナを交互に見る。
「……セレーナに任せたら、こいつ、小うるさい小姑みたいになるんじゃないか」
「小うるさい?」
セレーナの声が低くなった。
「それと、小姑」
ゆっくり、シンジへ顔を向ける。
「まるで私がそうだと言われたように聞こえましたが?」
「い、いや、違う!」
シンジは慌てて両手を上げた。
右脇腹が痛み、片方をすぐに下ろす。
「ボードへの指示は、セレーナの方が通りやすいっていうか、任せておけば安心だなって意味で」
【シンジ、言い訳を開始しました】
「黙れ、ボード!」
「言い訳なのですね」
「セレーナまで乗るな!」
【動揺を確認しました】
「いちいち表示するな!」
【声量が上昇しています】
「お前のせいだ!」
【安静を推奨します】
「最後だけ正論なのが腹立つな!」
セレーナが口元を押さえ、顔をそらした。
「笑うなら笑えよ」
「笑っていません」
【セレーナは笑いを抑えています】
「ボード」
今度はセレーナが低い声を出した。
シンジは一瞬黙り、それから吹き出した。
「俺だけじゃないんだな」
笑った途端、右脇腹へ鋭い痛みが走った。
「痛っ」
「ほら、安静にしてください!」
【安静を推奨します】
「そこだけ息が合いすぎだろ」
扉が開いた。
朝食を運んできたマーサが、部屋の中を見回す。
後ろには、水差しと薬を持ったミアがいた。
「朝から、ずいぶん賑やかですね」
「ボードに口が生えた」
「生えていません」
セレーナが即座に否定する。
「表示方法を変更しただけです」
「同じことだろ」
「違います」
【セレーナの説明が正確です】
「もう完全に組んでるじゃないか」
マーサにはボードが見えない。
それでも、シンジとセレーナの間に何かいるように、空いた場所へ一度目を向けた。
「では、ボードさんにも見張っていただきましょう」
「さんを付けるのか?」
「セレーナ様とお話しできるのでしょう?」
「表示が会話に見えるだけだ」
「そうですか」
マーサはまったく気にした様子もなく、朝食を机へ並べる。
柔らかく煮た麦。
卵と刻んだ肉の入った汁物。
蜜をかけた焼き林檎。
【完食を推奨します】
「いきなり本題に入ったな」
「もちろん、残しませんよね?」
セレーナが尋ねる。
「量が多くないかと言おうとしただけだ」
【シンジは焼き林檎を半分残す予定です】
「予定を勝手に表示するな!」
セレーナが表示を読み上げると、マーサは焼き林檎の皿をシンジの手前へ移動させた。
「最後に召し上がってください」
「退路が消えた」
ミアが水差しの横へ、二枚の小皿と白い石を置いた。
「これは?」
「お薬を飲む前は、石を左のお皿へ。飲み終わったら、右へ移してください」
「飲んだかどうか、分かるようにしたのか」
「ノーラが考えました」
昨日、薬を二度渡されそうになった時、シンジが何気なく口にした。
何か印があれば分かりやすい。
ノーラは、それを覚えていたらしい。
「本人は?」
「扉の外です」
ミアが答えた。
「どうして入らないんだ?」
マーサが扉へ声を向ける。
「ノーラ」
扉が少しだけ開いた。
ノーラが顔をのぞかせる。
「起きていらしたんですね」
「さっきから大騒ぎしてるだろ」
「石は、使えそうですか?」
「ああ。分かりやすい」
「本当ですか?」
「ありがとう、ノーラ」
ノーラの顔が明るくなる。
「では、失礼します!」
深く頭を下げ、そのまま扉を閉めた。
「入ってこないのか?」
「最近、少し遠慮しているようですね」
マーサが言った。
「俺に?」
「さあ」
マーサはそれ以上答えなかった。
食事を終え、薬を飲み、白い石を右の皿へ移す。
セレーナは、それを確認してから立ち上がった。
「支所へ行ってまいります」
「ああ。いってらっしゃい」
自然に出た言葉だった。
セレーナが一瞬だけ目を瞬かせる。
「……行ってまいります」
扉へ向かい、途中で足を止めた。
「ボード」
【何でしょうか、セレーナ】
「私が戻るまで、シンジが無理をしないよう確認してください」
【承知しました、セレーナ】
「待て。俺の管理権を勝手に渡すな」
「シンジ一人に任せるより安全です」
【同意します、セレーナ】
「前より露骨に敵が増えた!」
セレーナは満足そうにうなずいた。
「ただし、必要のない表示でシンジを困らせないでください」
【必要性はこちらで判断します】
セレーナの目が細くなる。
「その判断については、帰宅後に確認します」
【承知しました、セレーナ】
「素直に従ったのか、勝負を受けたのか分からんな」
セレーナが部屋を出る。
閉じた扉の向こうで、足音が遠ざかっていく。
シンジは左側のボードを見た。
「お前、セレーナと仲良くなったのか?」
【目的が一部一致しています】
「何の目的だ?」
【シンジの安全です】
「一部ってことは、残りは何なんだ」
表示は出なかった。
「そこは黙るのかよ」
マーサとミアの笑い声が、朝の客室へ広がった。
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