第103話 湯楽計画はどこへ行った
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんが、
なぜか騎士になてしまった物語をお楽しみください。
「その、さうな?とはいったい……」
セレーナが聞き返した。
「熱い部屋で、蒸気を浴びながら汗をかく設備だ」
「だから、なぜ、わざわざ暑い部屋へ入るんだい?」
マルタが怪訝そうな顔をする。
「気持ちいいから」
「それだけかい?」
「それだけじゃない」
シンジは設計図の空いた場所へ、四角い小部屋を描き足した。
「炉石で金属か石を高温に保つ。そこへ少しずつ水を落として蒸気を作る。それを小部屋へ流せば、サウナになる」
「作れるかどうかを聞いてるんじゃないよ」
マルタの指が、描き加えられた四角を叩いた。
「必要な物なら作ればいい。だけど、それが必要だという根拠はあるのかい?」
「根拠?」
「私が頼んだのは、宿の湯場を良くすることだよ。あんたの好きな物を、何でも置けばいいって話じゃない」
反対側から設計図を見ていたセレーナも、静かに顔を上げた。
「シンジが、そのサウナという物を好きなのは分かりました」
「分かってくれたか」
「ですが、本当に必要な物ですか?」
「……そこも分かってほしいな」
「利用する客にとって、どのような利点があるのでしょうか」
「えっと……」
「宿の収益につながる根拠も必要だね」
「えっとですね……」
マルタとセレーナの視線が、左右からシンジへ突き刺さる。
依頼主と巡回書記官。勢いだけで押し切れる二人ではなかった。
だが、サウナが作れるかもしれないと分かった以上、シンジはどうしても欲しかった。
熱気。全身から噴き出す汗。
外へ出た時に味わう、身体の中まで軽くなったような感覚。
ここで引き下がれば、異世界でサウナに入る機会など二度と来ないかもしれない。
何かないか。自分が好きだから、以外の理由。
記憶を探っていると、会社勤めをしていた頃の光景が浮かんだ。
休憩時間になるたび、サウナ好きの同僚が女性社員を捕まえて熱弁していた。
『サウナは美肌にもいいんだぜ?』
『汗と一緒に肌の汚れが出て、古い角質も落ちやすくなる。肌に艶と張りが出るんだ』
『しかも血の巡りがよくなって、代謝も上がる。むくみの解消や、魅惑のボディーラインを作る手助けにもなる』
『俺たち男だって、疲労回復、質のいい睡眠、ストレス発散、筋肉のほぐれ。そういうのを実感してる』
『な? サウナって最高だろ?』
女性社員たちは困った顔をしていた。
だが、本人だけは実に楽しそうだった。あいつ、熱弁してたなあ。
どこまで本当なのかは知らない。
だが、今は使えるものを使うしかない。
よし。サウナの効果を、詳しく話してしんぜよう。
「おほん」
シンジは咳払いをし、胸を張った。
「二人とも、サウナというのは、ただ汗を流すだけの設備ではないのだよ」
「なんか偉そう」
ルカがぼそりと言った。
「高温の蒸気で身体を温め、汗を流すことによって、筋肉の疲労回復、質のいい睡眠、ストレスの解消、あとは美肌効果など、さまざまな効果が期待で――」
「待ちな!」
マルタの声が飛んだ。
「そこを詳しく」
「え?」
「シンジ」
セレーナが記録板を構えた。
「詳細な説明を求めます」
「えっと、疲労回復とは一般的に……」
「違うよ」
「違います」
二人の声が重なった。マルタが設計図へ両手をつき、シンジへ顔を近づける。
「その美肌というやつだよ。早く話しな!」
「マルタ、近い近い」
「もたもたしてると、張っ倒すよ!」
「ひいいっ」
「シンジ、早く話してください。記録します」
セレーナのペン先が、記録板の上で待ち構えている。セレーナたんが怖すぎる。
「はいぃ! えっと、汗をかくことで、皮膚や毛穴の汚れや古い角質が落ちやすくなると聞いております!」
「それで?」
「身体が温まることで血の巡りもよくなり、肌に艶や張りが出るとも!」
「艶と張り……」
セレーナのペンが走る。
「むくみにも効くと言ったね?」
マルタの目が鋭く光った。
「はい! 血の巡りがよくなって、むくみの解消や、身体の線を整える手助けになるらしいです!」
「らしい?」
「会社の同僚が言っていました!」
「信用できるのかい?」
「サウナへの情熱だけは本物でした!」
マルタとセレーナが顔を見合わせた。
「その同僚というやつが言っていただけかい?」
「いえ、俺の世界では一般的にそう認識されていたと思います!」
「ほう、それなりに普及している話なんだね」
「まあ、医学的な根拠とかそういうのは知らないが……」
シンジは少しずつ縮こまった。
それでも二人は、記録板へ書かれた言葉から目を離さない。
「美肌」
マルタがつぶやく。
「艶と張り」
セレーナも続けた。
「むくみの解消」
「身体の線を整える手助け」
二人が、もう一度顔を見合わせた。
「試す価値はありそうだね」
先に口を開いたのはマルタだった。
「そうですね」
セレーナも、記録板を見ながらうなずく。
「効果が確認できれば、女性客へ勧める十分な理由になります」
「だろ?」
シンジの顔が明るくなる。
「だから、サウナは必要なんだよ!」
「まずは試作だね」
マルタが設計図の空いた場所を指で叩いた。
「温度を変えられるようにして、何人かで試す。肌がどうなるか、むくみとやらがどう変わるのかも確認するよ」
「えっと……」
勢いよく話が進み始めたところで、シンジは恐る恐る手を上げた。
「あの、湯楽計画は……?」
「そんなもの、どうだっていい!」
マルタが拳で設計図を叩いた。
「まずはサウナの検証からだ!」
「ど、どうでもいい!?」
シンジは思わず一歩下がった。
「言い切ったよ。言い切っちゃったよ、この人!」
「シンジ、大丈夫ですよ」
穏やかな声が横から届いた。振り向けば、セレーナが優しく微笑んでいる。
「おお……心の女神、セレーナ様」
シンジは救いを求めるように両手を伸ばした。
「セレーナ、女将を止めてくれ。完全に目的を忘れちゃってるよ」
「任せてください」
「頼もしい!」
「私が巡回書記官として、このサウナを検証し、正確に記録します」
「セレーナさん!?」
伸ばした手が、行き場を失った。
「それは……公私混同ではないでしょうか……」
「いいえ、シンジ」
セレーナは真剣な顔で首を横へ振った。
「これは、この世界の女性のためなのです」
「あ、はい……」
「効果が事実であるならば、正しくエルストリアの記憶へ流さなければなりません」
「そうですね……」
「その記録によって、この世界に美は…サウナという新しい文化が根づくかもしれません」
「今、願望が漏れてませんでしたか!?」
「巡回書記官として、まずは事実かどうかを検証する必要があります」
セレーナは記録板を胸元へ抱き、使命感に満ちた顔で宣言した。
「安心してください。私が責任を持って確かめます」
「何を?」
「美肌効果です」
「やっぱり、そこなんだ!?」
マルタが大きくうなずく。
「分かってるじゃないか、セレーナ様は!」
「はい。肌の艶、張り、むくみの変化まで、可能な限り細かく記録します」
「いいねえ!」
二人の間で、固い握手が交わされた。シンジは、その光景を呆然と眺めた。
「俺はただ、サウナに入りたかっただけなのに……」
「シンジ」
セレーナが振り返る。
「設計をお願いします」
「はい」
「安全性にも十分配慮してください」
「はい」
「完成したら、最初に私たちが試します」
「はい……」
ルカが腹を抱え、壁にもたれかかっていた。
「シンジの趣味だったのに、完全に二人の物になったね」
「美肌って、怖い言葉だったんだな……」
湯場改革はマルタの依頼。サウナはシンジの趣味。
だが。
美肌効果という一言が加わった瞬間、その優先順位は綺麗にひっくり返ったのである。
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