表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界テンプレを信じた俺がバカでした  〜ステータスは出た。スキルもあった。だが、ほぼ履歴書だった〜  作者: 小森こもり
プロローグ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/26

プロローグ 天士の降りる日


 黒淵が裂けた。


 それは、地面に開いた穴ではなかった。

 夜が腐り、泥になり、世界の皮膚を内側から押し破ったようなものだった。


 黒い縁から、何かが這い出してくる。


 獣ではない。

 人でもない。


 ただ、人の形を覚えそこねた黒い塊だった。


 腕は三本。

 膝は逆に折れ。

 顔のあるべき場所には、濡れた穴だけが開いている。


 その穴から、赤ん坊の泣き声に似た音が漏れた。


 次の瞬間、逃げ遅れた夫婦の、夫らしき男の身体が宙に跳ねた。

 黒い腕が腹を貫き、そのまま男を引き寄せる。


 男の悲鳴は、途中で途切れた。


 その隣には、妻だったものが倒れていた。

 黒い腕に裂かれた身体は、もう人の形を保っていない。


 悲鳴が上がる。

 馬が暴れる。

 荷車が横倒しになり、木箱が石畳に砕け散る。


 黒い泥が飛び散った場所の草木は腐るように枯れていった。


「走れ! 壁際に寄るな!」


 真司は叫んでいた。


 自分でも、なぜそんな声が出たのか分からない。

 ただ、目の前で人の流れが壊れていた。


 恐怖で足を止める者。

 逆方向へ逃げる者。

 倒れた荷車へ戻ろうとする者。


 その全部が、次の犠牲者に見えた。


「荷物を捨てろ! 子供の手を離すな! 馬に近づくな、蹴られるぞ!」


 腕の中で、小柄な少女が震えている。


 真司はその肩を抱え、黒い異形から隠すように身体をずらした。


「下を向くな。前だけ見ろ」


 少女は返事をしなかった。

 ただ、真司の服を握る指だけが強くなる。


 黒淵の縁から、二体目、三体目と異形が湧き出してくる。


 今度のものは、頭がなかった。

 代わりに、胸の中央に大きな口がある。


 その口が開くと、逃げていた女の足が止まった。

 女は、振り返ってしまった。


 その一瞬で、黒い舌のようなものが伸びる。

 女の身体が引き寄せられた。


 骨の砕ける音がして、赤い飛沫が石畳に散った。


 少女が息を呑む。


 真司は少女の目を片手で覆った。


「見るな」


 声が震えた。


 見せたくなかった。

 だが、自分は見てしまった。


 吐き気が喉まで上がる。

 足がすくむ。


 逃げたい。


 逃げたいに決まっている。


 五十二年生きてきて、

 こんなものに立ち向かう訓練など一度も受けていない。


 それでも、腕の中の少女は震えていた。

 人々はまだ逃げていた。


 なら、足を止めるわけにはいかなかった。


【黒淵反応:拡大】

【淵獣発生:継続】

【避難経路:右側路地】

【推奨:即時退避】


「分かってる!」


 真司は少女を押し出すようにして、右の路地へ向かわせた。

 だが、その先にも黒い泥が流れ込んでいた。


 逃げ場が細くなる。

 人の流れが詰まる。


 誰かが転ぶ。

 誰かが踏まれる。

 誰かが助けようとして戻り、黒い腕にさらわれる。


 泣き声。

 怒号。

 祈る声。


 その全部を、胸の中央に口を持つ異形の泣き声が塗りつぶしていく。


 誰かが叫んだ。


「もう駄目だ!」


 その時だった。


 鐘の音が、空から落ちた。


 一度。

 深く。

 遠く。


 人々のざわめきが止まる。

 黒い異形たちも、同時に動きを止めた。


 真司は顔を上げた。


 黒淵からにじむ黒い霧の向こうに、細い人影が立っていた。


 凛とした姿だった。

 身にまとった長い衣が、黒い泥の気配の中で静かに揺れている。


 顔は見えない。


 ただ、女の声だけが、黒淵のざわめきを越えて静かに通った。


「被害確認。今より召喚を開始します」


 女が告げると、その手元に白い文字が走った。


 文字は空へほどけるように舞い上がり、黒い霧の上で淡く輪を描く。


 空が白く割れた。


 光が降りてくる。


 無数の粒子が人の輪郭を取り、

 その上からさらに細かな輝きが重なっていく。

 肩に甲冑が生まれ、腕に槍が宿り、もう片方の腕に盾が結ばれた。


 光をまとった白銀の人型が、一体、黒淵の前に立つ。


 続いて、二体目。

 三体目。

 四体目。


 人々の口から、震える声が漏れた。


「天士さま……」


 誰かが膝をついた。

 誰かが泣きながら手を合わせた。


「天士さまだ!」


 歓喜が、恐怖を裂いた。


 白銀の天士が、槍を構える。


 黒い異形が跳んだ。

 天士の槍が、それを貫いた。


 音はなかった。


 ただ、白い光が黒を裂いた。


 異形の身体が泥へ戻るより早く、二体目の天士が剣を振る。

 黒い腕が落ちる。


 三体目の天士が盾を掲げる。

 盾から伸びた白い鎖が、胸に口のある異形を縛り上げる。


 四体目の天士は、黒淵から這い出ようとする異形を、その場で切り裂いた。


 次々と異形たちは討たれていく。


 白い槍が黒を貫く。

 白い鎖が黒を縛る。

 白い刃が黒を裂く。


 そのたびに、黒淵の縁がわずかに震えた。


 やがて、地面の黒い泥は動きを鈍らせていく。

 新たな異形は、もう出てこなかった。


 人々が泣いていた。

 祈っていた。

 歓声を上げていた。


 真司は、少女を抱えたまま、その光景を見ていた。


 神々しい。


 そう思ってしまった。


 信じたわけではない。

 祈ったわけでもない。


 それでも、白銀の天士が黒い異形を次々と葬っていく姿は、

人がすがる理由として十分すぎた。


 最後の異形が、天士の槍に縫いとめられる。


 黒い泥が弾け、石畳に落ちる前に白い光で焼かれた。


 静寂が戻る。


 少女は、真司の胸に縋り付いたまま震えていた。

 真司の服を握る指は、まだ離れない。


「……助かったのか」


 声に出してから、ようやく自分も震えていることに気づいた。


 膝が笑っている。

 息が浅い。

 喉が痛い。


 だが、生きていた。


 少女も、生きていた。


 白い光の残滓がまだ漂う向こうで、その人影がこちらへ向かって歩き出した。


 天士たちは、その人影へ向けて、恭しくその場で片膝をついた。


 人々は、こちらへ向かってくる人影を見る。


 恐れと、敬意と、救われた者の祈りを混ぜた目で。


 真司は、その時ようやく理解した。


 この世界では、自分の常識など簡単に踏み潰されることを。


 そして、その人影がなぜ恐れられ、敬われるのかを。


   ◇


 すべてが始まる前、

 真司の世界はまだ、妻の淹れたコーヒーの湯気の中にあった。


お読みいただきありがとうございます。


次話から、堺井真司の異世界実務サバイバルが始まります。

現実世界ならではのリアルさを出しながら、

ファンタジーの世界観に融合させていく様子を楽しんでいただける作品に仕上げています。

過度なご都合主義はありません。(なるべく使わないように心掛けています)

チートも伝説の武器もない現代人がどう生きていくのかを、リアルな情景を軸に書いています。


最後までお付き合いくだされば幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ