プロローグ 漆黒の悪魔の慈悲
数ある小説の中から、本作を見つけて頂き、ありがとうございます!
さりげない行動だったのに、それが重なると、とんでもない事態を引き起こしてしまう。そんなバタフライエフェクトなお話を、2人の視点でお送りします。
「お前、死ぬのか?」
高熱にうかされ、薄暗い寝室のベッドに横たわる私の側に、大きな黒い影が現れた。
「…だ…れ?」
声色は男性。
未婚の貴族令嬢である私の寝室に、なぜ見知らぬ男性がいるのだろう。
「このまま死んで、それでいいのか?」
そう、私はもうすぐ死ぬ。
この病に罹患して助かった者はいない。
はあ…はあ…はあ……はあ……。
一息、一息、呼吸をするのも苦しい。
熱がまた上がってきたのか、寒さで身体はガタガタと震えているのに、頭は鉛のように重く、顔は炎であぶられているように熱い。
「お前、このまま死んでくやしくないのか」
くやしい!
くやしいに決まっている!
侯爵令嬢として日々清廉に、領民を思い、自分なりに頑張ってきたつもりだった。
それなのに……
私の愛は、
私の人生は、
私の未来は、
私のプライドは、
ズタズタに引き裂かれた――――!
「くくっ、みじめだなぁ」
その声には蔑みを含んでいた。
ひどい!
死にゆく私に、どうしてこの男はそんなひどい言葉を投げかけるのだろう。
「やめて……このまま穏やかに死なせて」
もう疲れた。
誰かを思うのも。
誰かに傷つけられるのも。
誰かを恨むのも。
そして
誰かに憐れまれるのも。
だからもう何も考えたくないの。
このまま穏やかに……
「ははっ! 穏やかに? お前本当に穏やかに死ねるのか?」
枯れ果てたはずの涙が浮かび、目じりをつたい落ちる。
やめて!
お願い…これ以上、私を苦しめないで……
「助けてやろうか」
想定外の言葉に心臓が跳ね、黒い影に目を向ける。
「生き抜いてあいつらに復讐してやれ」
復讐。
そんなものは望んではいないけれど、私の死に彼は大きなショックを受けるだろう。
「お前が死んだ事を知ったら、あの男は悲しむだろうが一時だ。人間は辛いことは忘れ、幸せになろうとする生き物だ」
……その言葉に、私は頬を張られたようだった。
こんな仕打ちを受けてもなお、私は彼に期待していたのか……
優しいフェルディナントは、私が王女より先に死んだ事を知ったら、罪悪感に押しつぶされるはず。
きっと一生忘れられずに苦しむのだろうと、その姿を想像して仕返しをした気になって……
むりやり溜飲を下げていたのだ――――。
「加害者ならなおさら……いいのかそれで」
加害者はすぐ忘れると?
被害者の私は、こんなに苦しんでいるのに?
彼と……婚約者のフェルディナントとゾフィー王女の親密な関係が、社交界で噂になっても、彼の『信じて欲しい』と言う言葉を胸に、全てを飲み込んできた。
友人には同情され、噂好きの令嬢たちに嘲笑されても、ずっと我慢してきたのに……
私たちの結婚式の1カ月前に、王女と駆け落ちをするなんて――――!
おかげで貴族令嬢としての評判は地に落ち、私も周囲の蔑みと非難の対象だ。
きっかけは我が国に持ち込まれた政略結婚の申し出だった。
軍事大国アンデクス帝国からの断れない婚姻話を、王家は庶子であるゾフィー王女に押し付けたのだが……
皮肉なことに王女も私と同じ不治の病、王室病を罹患していたらしい。
それを知ってもなお、王は王女に結婚を強要したため、余命わずかな彼女と、私の婚約者で王女の護衛騎士だったフェルディナントは王宮を出奔、国外に逃亡したのだ。
その結果、アンデクス帝国の怒りを買い宣戦布告され、今この時も我が国は攻撃をうけている。
そうして道ならぬ愛を貫いた、麗しき恋人たちの逃避行の結末は……
戦火を逃れた異国で、王女は愛する騎士の腕の中で幸せに死ぬのだろう。
そして彼は愛する王女を強く抱きしめ、慟哭する。
まるで悲恋物語の結末のように。
だが、同じ病を患った私はどうだ?
婚約者に捨てられた惨めな令嬢のまま、愛していた人にも看取られずに、ここで一人淋しく死ぬ。
「私がいったい何をしたというの…!」
そんなこと…そんなこと……許せない!
許せるわけがない!
「ふふっ。良い目になった。己を憐れんで諦めている奴に俺は興味がない。這いつくばってでも生きようとするなら助けてやるが、どうだ?」
半分の細さになった手で、精一杯力をこめてシーツを握る。
「……病気を治してくれるの?」
「あぁ。ここまで進行していたら難しいかもしれんが、お前次第だ。おいよこせ」
そう言って黒い影の男は、後ろにいた男から小瓶を受け取り、中身の液体を一気に飲んだ。
そして、私に口づけを……
いや。
その液体を私の口に流しこんだ。
「げほっ! げほっ!」
想定外の行動に驚き、上手く飲めずに咳込んでしまう。
咳込みが収まると、体力のない私はぐったりとベッドに沈んでしまった。
「あなたは悪魔?」
死のふちの人間を助け、復讐させる。
まさに悪魔の技ではないか。
「ふふ。よくそう呼ばれる」
咳込んだせいで、すっかり目が覚めた私の瞳に映るのは、上から下まで真っ黒に衣装に身を包み、漆黒の髪に浅黒い肌を持つ、野性的な美貌の大男だった。
灰色の瞳は爛々と射貫くように輝き、大きめの口がにんまりと笑みを浮かべる。
まさにその笑みは悪魔のようだった。




