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第一話 九割の痛みを、ずっと俺が受けていた

王都の歓声は、夜になっても止まなかった。


魔王軍の幹部、死骸将軍ヴァルグが討伐されたというニュースは、瞬く間に街中に広がった。通りという通りに人が溢れ、酒場は立ち錐の余地もなく、誰もが顔を赤らめながら互いの杯を打ち鳴らしていた。「勇者レイドが救ってくださったぞ」「やっぱり英雄は違う」そんな声が夜風に乗って流れてくる。


俺——アルト——は、その賑わいからひとつ外れた路地で、石壁に背中を預けながら息を整えていた。


右腕が焼けるように痛かった。脇腹には鈍い圧迫感が残っていて、深く息を吸うたびに奥の方がじくじくと疼く。今日の戦闘で受けた衝撃の残滓だ。骨にひびが入っているかもしれないし、内臓のどこかが傷ついているかもしれない。けれど俺は、ヒーラーの列に並ぼうとは思わなかった。


どうせ「なんでサポート役が怪我をしているんですか」と首を傾げられる。


俺の痛みを誰も知らない。知られてもいない。


【感覚共有】——それが俺に宿ったスキルの名前だ。ギルドに登録した日、鑑定士のおじさんは「珍しいが、役には立たんな」と苦笑した。その言葉通り、このスキルは見た目が地味だった。対象と痛覚を「共有する」。ただそれだけの能力。


だがその実態は、少し違う。


正確には——俺が「受け取る割合」を任意に設定できる。対象が感じる痛みの、最大九割を、俺の方に移す。勇者パーティに加入して三年。ずっとその設定は九割のままだった。レイドが魔物に腕を切られれば、俺の腕が燃えるように痛んだ。レイドが胸を貫かれかけた夜は、俺は意識を失いかけながらそれを全身で受け止めた。レイドは「痛っ、ちょっと深かったか」と言いながら次の敵へ向かっていた。


俺は草むらに倒れ込んで、声も出せなかったけれど。


なぜそんなことをしたのか、と問われれば、最初は純粋な使命感だったと思う。俺のスキルがパーティの役に立つなら使うべきだ、という。でも気づけばそれは当然のことになっていて、誰も俺を気にかけなくなっていた。レイドは強い。エリアの回復魔法は優秀だ。剣士のガラムは一撃が重い。それだけが評価されて、俺はいつの間にか「いてもいなくても変わらない男」になっていた。


今日も、そうだった。


ヴァルグとの戦いは想定以上に激しかった。幹部クラスの魔物は格が違う。剣が触れるたびに衝撃が走り、レイドの体には何度も深い傷が刻まれた。その九割が俺に流れ込んでくるたびに、俺は奥歯を噛み締めながら立っていた。意識が白く飛びそうになるのを、視野の端にレイドの背中を映すことで繋ぎ止めた。


戦闘が終わった瞬間、レイドは剣を掲げて叫んだ。「俺の勝ちだ!」群衆が沸いた。エリアが満面の笑みで駆け寄った。ガラムが「さすがっすよ勇者様」と笑った。


俺は、その輪の外で静かに膝をついた。誰も振り返らなかった。


翌日の昼、俺は戦勝祝賀会の席に呼ばれた。


会場は王城の大広間で、貴族や騎士団の幹部が居並ぶ中、パーティの四人は壇上の席に案内された。俺には末席が用意されていた。それでも呼ばれただけましか、と思いながら椅子に腰を下ろしかけた、その時だった。


「アルト。ちょっといいか」


レイドが壇上から俺を呼んだ。全員の視線が集まる。俺は立ち上がり、壇の前に進んだ。


「なんだ、レイド」

「俺たち、パーティの在り方について話し合ったんだよ。昨日の夜」


レイドの隣でエリアが微笑んでいる。ガラムは視線を逸らしていた。嫌な予感が腹の底に落ちた。


「お前のスキル、【感覚共有】だろ。正直なところを言う。あれって、何の役にも立ってないよな」

「…………」

「俺たちが強いから勝ってきたんだ。お前がいなくても、勝率は変わらなかったと思う。むしろ足手まといって言葉が正直なところで——」

「私から言わせてもらうわ」


エリアが割って入った。にこにこと笑ったままで、声だけが冷たかった。


「アルト、あなたのスキルって結局なんの役にも立ってないよね。私たちが強かったから勝てただけ。それはみんな分かってる。それに……はっきり言うけど、あなたみたいな地味な人がパーティにいると、対外的なイメージが良くないの。勇者パーティって、見た目も大事じゃない」


広間がしんと静まり返った。壇上の貴族たちが、興味深そうに俺を眺めている。


「だから、追放する。今日付けで、お前はこのパーティから外れてくれ」


レイドがそう言って、手を横に払った。それだけだった。三年間を、そのジェスチャー一つで終わらせた。


俺は何も言わなかった。何も言えなかったわけじゃない。言っても意味がないと思ったのだ。レイドは俺のスキルの実態を知らない。エリアも知らない。俺が三年間、何をしていたかを、彼らは一度も気にかけなかった。今さら説明したところで、信じるはずがない。


静かに頭を下げて、壇から離れようとした。


「あ、それとさ」


レイドの声が背中を打った。


「感謝しろよ。お前みたいな役立たず、パーティに置いてやっただけでも、十分ありがたいだろ」


笑い声が起きた。貴族たちの一部が、くすくすと口元を隠している。


俺は振り返らなかった。ただ、広間の出口へ向かって歩いた。扉の手前で、足元に何かが当たった。見ると、俺の荷物袋が転がっていた。誰かが蹴り飛ばしたのだ。それを黙って拾い上げて、俺は扉を押し開けた。


城の廊下に出た瞬間、全ての音が遠くなった。


鎧を着た衛兵がふたり、俺をちらりと見て視線を戻した。追い立てるように正門まで連れて行かれ、俺は王都の石畳の上に放り出された。午後の日差しが、やけに白く眩しかった。


荷物袋の中身を確認した。着替えが二枚、干し肉と水筒、それと——三年分の冒険者手帳。討伐記録がびっしり埋まっているそれを、俺はしばらく眺めてから、袋の底に押し込んだ。


歩き始めた、その時だった。


「ぎゃあっ!?」


背後から、甲高い悲鳴が聞こえた。


王城の壁を一枚隔てたあたり——庭か、訓練場かそのあたりから聞こえてくる。声の持ち主は分かった。三年間、毎日聞いてきた声だ。


レイドの声だった。


「痛い、なんだこれ、痛い、なんで、なんでこんなに——!」


続けて、エリアの「レイド様!?」という叫び。ガラムの「なんでこんな傷で……」という困惑した声。ざわめきが広がっていく。


俺は足を止めなかった。


ただ、歩きながら静かに理解した。スキルの接続が切れた、ということだ。パーティを離脱した瞬間に、俺の【感覚共有】はレイドから切断される。これまで九割を肩代わりしていた痛みが、今この瞬間から全てレイドの元へ戻っていく。今まで感じたことのなかった種類の感覚が、あの男の体を満たしているはずだ。


かすり傷で、あの悲鳴か。


三年前の俺が魔物に初めて傷をつけられた夜、泣きながら野宿したことを思い出した。痛みに慣れるまで、ずいぶん時間がかかった。レイドにはその時間が、三年分、丸ごと欠けている。


口の端が、少し上がった。


自分でも驚いた。笑うような気分じゃないと思っていたのに、体の奥から何かがじわりと滲み出てきた。怒りとも悲しみとも違う、もっと静かで冷たい感情。


俺は王都の大通りを抜けて、城門をくぐった。


振り返らなかった。


その夜、街外れの安宿に転がり込んだ俺は、小さなランプの灯りの下で自分の右手を眺めた。じくじくとした痛みの残滓は、夕方になっても完全には引いていなかった。三年分の傷が体の中に積み重なっている。それは本当のことだ。


だが——何かが違う、と感じていた。


試しに、右の拳を握り込んだ。三年間蓄積し続けた痛みの感触が、指の根元のあたりで微かに渦を巻いているような気がした。今まで「吸収する」だけだったそれが、内側から押し返してくるような圧力を持ち始めていた。


俺はそっと、宿の板壁に向かって手を伸ばした。


そして、軽く——本当に軽く、指先でとんと叩いた。


鈍い音と共に、板壁に亀裂が走った。縦に、斜めに、蜘蛛の巣状に広がるひびが、ランプの灯りに照らされてくっきりと浮かび上がった。


俺はしばらく、その亀裂を眺めた。


「……なるほど」


誰に言うでもなく、呟いた。


吸収し続けた痛みが、内部で変質していたらしい。受け取るだけだったスキルが、溜め込み続けた衝撃を「外へ返す」段階に移行しつつある。長年の蓄積が、臨界点を超えようとしているのかもしれない。


笑いが込み上げた。さっきとは少し違う、もっと乾いた笑いだった。


三年間、痛みだけを受け取り続けた。感謝もされず、認められもせず、最後には「役立たず」と笑われて蹴り出された。それが今、この体の中で別の何かに育っている。


急ぐ必要はない、と思った。


焦る理由も、戻る理由も、今の俺にはどこにもない。

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