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第11話 名前

 

「この世界の人間よ。どうだった? あの女の事が何か分かったか?」


「上白はゴリラではないようだな」


「ゴッ? なんの話しだこの世界の人間よ」


「いや、それくらい上白はいつもと同じくらいに普通だったんだ。そんな普通な上白に、上白が何者かなんて質問をするのはおかしい気がしてな。だから僕には出来なかったんだ。機会を探る事にするよ」


「……そうか。普通だったのか」


「ああ、まるで普通だった」


「だったら仕方ないな。今はわらも忙しい最中だし、その話はまた今度だな」


 忙しい……。


「そうか……それより……ちょっといいか?」


「なんだこの世界の人間よ? わらは忙しいから手短にしろよ」


 ここは僕の部屋。あちらこちらに菓子の袋が何枚も散乱していて、それらの中身と思われる食べかすがさっきも僕の足の裏に刺さりとても不快で、ペットボトルの蓋が開けられたままで幾つか横たわっていて故に必然的に中身が溢れて絨毯の至る箇所を変色させている……そうここは僕の憩いの部屋の中。


「──どうしたこの世界の人間よ、何かあるなら早く言え。バリバリ、ボリボリ。わらは忙しいんだ。バリバリ、ボリボリ。それにしてもこのテレビから出ているアニメというのか、ゴクゴクゴクゴク。面白いな。ふはははっっケプッ!」


 僕はベッドの上で物凄く忙しそうに口と手を動かしてアニメを見ては「ふははははは」と高笑いをする少女に、物凄く力を弱めてデコピンをしてやった。


 それでもベッドから転げ落ちて顔面を強打して涙を流すほどに強烈だったようだけど、泣かせたい、という目的は果たせたので僕の怒りは少しだけ晴れた。


 が、盲点だったのは大きな衝撃音に驚いた母が下の階からを上がってきてしまったこと。そして親の特権で躊躇なく部屋のドアを開けられると、僕のこの惨劇の場でもあるような室内を見てから──ほっと安心したようにため息を吐いたから、思わずこちらの方が拍子抜けさせられた。


「あら。なんか凄い音がしたようだったけど、気のせいだったみたいね。なんともなってないじゃない。ただ、あんた、たまには掃除くらいしなさいよ」


 中学生くらいから僕の部屋にはあまり来なくなり、高校生にもなるとほとんど来る事のなくなった母だったのだが、この惨劇の場のような部屋を見て、僕の仕業と疑わなかった事がなかなか辛かった。だけど、まあ、それは今はいいとしよう。悲しいけれど。


 それよりも室内から少女の姿が消えていた…….と思ったのも束の間、母親が部屋のドアを閉めてから下に降りて行ったタイミングで、ベッドの上にまた現れた。


「……結界ってやつか?」


「そうだ。わらにとっては結界を作るも解くも呼吸をするのに等しいほど簡単な事だからな」


「時間は戻らないのか?」


「わらだけならわらの権限のもと自由自在のようだな。まあ、北の大陸の覇者だからな。不力が強いからだろうな」


 都合のいい設定。僕は「だったらいつでも隠れ放題で羨ましいよ」と皮肉混じりに言ってやった。


「ふははははは。それよりも人間ごときよ、わらはふと大切な事を思い出したのだが、シュークリームはどうした? アニメが丁度いいところなんだ。早くもってくるがいい」


 シュークリーム。しかもこの少女は昨日食べた名店での高価なやつの事を言っている。なので僕は、「この街で買える物じゃないから休みの日になる」と正直に告げた。そして、あれは高価なものなので、ついでに話を逸らしてあわよくば忘れさせようとも企てる事にした。正直に。


「……なあ、ところで、ところでなんだけどな、こっちの世界では呼び名というものがあってだな──」


「ん? 知っているぞ。わらはお前の記憶を持っているから当然だろ。記号のようなものだろ。ちなみにお前の名前は、深春あおだ。職業は高校2年生だ」


「……そうだな。こっちの世界ではそうやって名前で呼ぶのが一般的だな。だからお前のもそれに準じて欲しいと思っているんだが、どうだ?」


「北の大陸の覇者ではダメなのか? わらはずっとそう呼ばれてきたからな」


「覇者は職業的な称号的な感じだろ? それに正直、字数が物凄く長いから面倒くさいんだ。だからもっと呼びやすい短い名前にしてくれないか」


「呼びやすく、短く……お前の方こそ面倒くさい奴だな……うーん……短くか……だったら、そうだな……わらはわらの世界では北の大陸に住んでいたから北の大陸の覇者だったわけだろ? だったら、ここの大陸はなんて名前だ? わらはそれでいいぞ。そこに覇者を付け足してくれ」


 アジアの覇者……。けれど何かそれだとスポーツ関係で得た称号みたいで恐れ多かったので、僕は少考してから「じゃ、じゃあ、“えの”。えの、という名前でどうだ?」と割と適当に言った。ちなみに、えの、とは、僕の住んでいるこの市の名前であり、2文字だからと本当に深い意味で提案した訳ではなかった。


「えの? それがこの大陸の名前か」


「ま、まあ大陸じゃないけど、お前がこれから住む事になる土地の名前だから似たようなものだ」


「そうか。まあ、なんでもいいぞ。わらは基本的には覇者だからな。ふはははははは」


「じゃあ、えので」


「ん? 覇者は? 覇者はどうした?」


「いや、さっきも言ったけど、字数が多くなるから……こ、心の中では覇者と思いながら言うようにするよ」


「こ、心の中だと……まあ、でも、そういえばわらの世界でも、わらの事を敵は北の大陸の、とか、北の、とか略して呼んできたりしていたから、まあいいか」


 いいんだ……。


 取り敢えず、何にせよ、僕は奴の長ったらしい名前をなんとか2文字に省略する事に成功したようだった。


 えの。そして、名店の高級シュークリームの事を忘れさせる事にも──


「ところで、シュークリームの件だが、休日というのは明後日で間違いないな。楽しみだな。よし、わらも一緒に買いに行こくぞ!」


一緒に……見た目が少女な女の子を高校生の僕ぎ連れて……。


「……それは迷惑だからやめてくれ」


 僕は語勢も強めにそう言った。けれど少女──えののテンションは右肩上がりに上昇していく一方で、しかも恐らくシュークリームを無限に買って貰えると勘違いまでしている様で、故に僕は困り果て、仕方がないのでこの世界における金という名の不条理を時間をかけて説明してあげた。


 えのはきっと好きな物を好きなだけ得る事ができると思って生きているかも知れないけど、この世界においてそれは不可能なんだ。格差。お前の世界にもあると思うけど、人間にも分相応って言葉が存在しているんだ、みたいな事をもう少し時間を掛けて割と丁寧な。


「──簡単に言うとな、明後日シュークリームを買いに行っても3つしか買えないんだ」


 それが僕の小遣いの限界だから。


「みっ!? つ??」


「そう。それ以上は理屈的に無理なんだ。つまりは我慢をしなければならないんだ。だからお前が買い物に付いてきても、それ以上は絶対に買えないんだ。天地がひっくり返っても無理なんだ。我慢しなければいけないんだ」


「が、我慢だと?」


 えのは北の大陸の覇者。格差社会の頂点に君臨していたであろう権力者。我慢の意味は知っていそうだったけど、我慢をするという意味を完璧には理解していないようだったので、僕はまた仕方なく説明してあげた。


 その後、えのは生まれて初めて悔し涙を流したのだった。


「わ、わらは北の大陸の覇者だぞ! なのに……なのに何故だ!? 何故わらが我慢をしなくてはならない! ち、ちくしょーー!!」


 なんか貧乏な僕がとても申し訳なくなった。



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