まぁだだよ
高手小手に縛り上げられ、さとは番屋に座っている。久の血を浴びたままの、ひどい姿だった。
国松の親分の姿は、今はない。長屋の中で内々には済ませられないことだと、町方に出向いている。代わりの見張りに、数人の目明したちがいた。
彼らはいずれも、見るともなしにさとを見ている。その目には哀れみが深く、さとの行為を親を亡くした娘の乱心と捉える様子だった。
さとに注がれる視線は、彼らのものばかりではない。
番屋の外から或いは興味深げに、或いは悲しげに、長屋の人々が入れ替わり立ち替わりで顔を見せる。案じてくれる彼らの様子に、ひどく悪いことをした心地になって、さとは目を伏せた。
思わぬ声がしたのは、その時である。
「さとちゃんに科はありません!」
はっと目をやれば、番屋の口に立つのは他ならぬ美代だった。
「私です。私が悪いんです。さとちゃんに、余計なことを言ってしまったから」
瞳に煌めかしい涙を浮かべ、彼女は両手を大きく広げた。
「昨日、あのことをさとちゃんに話しました。いっそ知っておいた方がいいって、そう思ったから。でもその後のさとちゃんは、ひどく思い詰めた顔になってしまって……。だから、私が馬鹿だったんです。さとちゃんの気持ちを少しも考えないで、自分が楽になりたくて喋ってしまった私が悪いんです。間違っていたんです。だからお願いです、さとちゃんを連れて行かないでください」
人々に語りかけながら、美代はさとの傍らに歩み寄る。そうして汚れるのも構わずその手を握って、はらはらとまた涙した。
先までさとに集中していた衆目が、泣き崩れる可憐な少女へと移動する。稚く直向きな友情の発露に、誰もが感じ入る顔をしていた。
けれど、さとだけは冷めた目でそれを見ていた。
彼女は美代が、少しもこちらを見ていないことを把握していた。眼差しをさとへ注ぐようでいて、その実、美代の意識は番屋内外の人々にこそ向けられている。一身に視線を浴びる高揚に、美代はうっとり頬を紅潮させている。
背恰好はまるで違うのに、その横顔は昨夜の久の生き写しだった。自己陶酔に浸りきった、輝かしくも醜い姿だった。きらきらと美しい、何ともいやあな顔だった。
彼女のその顔を見た拍子に、さとの中で何かの理解が噛み合った。これまでのことが、いっぺんに腑に落ちてきた。
つまるところ、美代にとってさとは、気に入りの人形のようなものだったのだろう。自分がちやほやされるために傍に置く身飾りでしかなかったのだ。
だのに当の装飾品は、勝手に別の人へ懐いてしまった。だから美代は、さとが要らなくなったのだろう。そうして、捨てるくらいなら最後に有効利用しようと思ったのだろう。
言葉の毒が引き起こしたさとの凶行は予想の外だったにせよ、似たような惨状は期待していたに違いない。
つまりこれはお芝居だ。美代が美代のためだけに行う演目で、わたしはその引き立て役だ。
今日までのわたしたちの仲は全部嘘で。嘘っぱちで――
そう悲嘆しかけたとさとの胸を、さっと天啓が走り抜けた。
――ああ、そうか。
途端、かちりと真実が組み上がる。
そうか。そういうことだったんだ。
わたしから逃げ出した隠れん坊が、お久姉さんから飛び出た隠れん坊が、お美代ちゃんに入ってしまったんだ。入り込んでしまったんだ。
だから今、お美代ちゃんはこんなことを言わされているんだ。
ならこれは隠れん坊がいることの証左に他ならない。
やっぱり、お久姉さんは悪くなかった。勿論、お美代ちゃんだってそうだ。
――待っていてね、お美代ちゃん。
戻ったら、きっと助けてあげるから。
お美代ちゃんは悪くないって、証し立ててあげるから。
その変貌に少しも気づかぬ美代へ向け、さとは酔ったようにうっとりと、ただ陶然と微笑んだ。