1-5. 微笑みの爆弾
「「「お帰りなさいませ! 宗麟……様!?」」」
五年ぶりに大友館へと戻った宗麟が大勢の家臣たちに迎えられる。
そこまでは良かった。
しかし、宗麟の姿を認めた彼女たちは揃って口をあんぐりと開ける。
想像を絶する神々しさに、誰もが二の句を告げない。
「ただいま!」
曇天を割る陽光の微笑み。
女性たちは卒倒した。
あまりにシンプルな反応過ぎて、語るべき事がない。
そして、もはやホラーな光景に宗麟はギョッとし後ずさる。
他者との接点が極端に少なかった宗麟は、心の機微にも疎くなっていたらしい。
そんなパタパタと崩れ落ちていく人々の奥。
開幕に宗麟が浮かべた物とは若干意味合いの異なる、満面の笑みを浮かべた人物がいた。
彼の母『大友義鑑』である。
「そーうーりーんっ♪」
なんとか再起動できた幾人かの家臣は、その甘ったるい声に愕然とし、思わず主君を二度見する。
そんな事など知らんとばかり。
義鑑は積み重なる人々の間をスキップして進む。
小柄な体を最大限に生かし俊敏に動く姿は、いっそ清々しいほどに調子に乗っていた。
「この時を一日千秋の思いで待ちわびたぞ、我が愛しの息子よ。さあ、母の温かい胸の中に飛び込んでくるのじゃー!」
と言いつつも、両手を広げ迫る彼女は宗麟に飛び込む形だ。
どうすれば良いのか戸惑う宗麟。
無碍にするのも申し訳ないのだろう。
そんな逡巡する彼に救いの手が差し伸べられる。
「はい、義鑑様は大人しくしてましょうね。お姉さんのお説教が始まっちゃいますよ?」
「……正座」
「え、抱擁すらさせて貰えんのは厳しすぎんか!?」
宗麟へ向けてダイブを決めた義鑑の襟首を丁度良く掴んだのは吉岡長増だった。
その傍らには角隈石宗も控えている。
宗麟の背後に控えていた二人だったが、この惨状を予想するのは簡単だ。
ただ、対抗策が無かったので、とりあえず義鑑の暴走を阻止するに留まる。
受け取めるのをためらう様に手を彷徨わせていた宗麟は露骨にホッとしていた。
勿論、言葉にはしていない。
表情が分かりやすいだけだ。
しかし、
「甘いわ!」
「きゃっ」
義鑑は空中で器用にクルンと一回転。
合気道の要領で襟首を掴んでいた長増の手を逆関節にきめ拘束を逃れる。
無駄に無駄のない動きだった。
「ふわははっははー! 愛の前に敵なべし!?」
高笑いとともに着地を決め、スプリングスタートのように前方ダッシュ。
勝利を確信した義鑑の顔面に、どこからともなくハリセンが叩きつけられた。
自らの推進力とハリセンの振られた勢いの融合により、それなりに良い音が室内に響く。
倒れていた家臣たちの気付けにもなったようで、各所でガバリと上半身が生えた。
さすが武将たち。一つ一つの動きにキレがある。
その度に宗麟が肩をビクリと震わせているのも致し方ない。
「あ、ぉお、あ、ワシの顔ぉぉぉ……」
慟哭するように膝立ちとなり、顔面を覆っている義鑑からは地の底を這うような声が漏れている。
全くもって自業自得であった。
ただ宗麟が室内に入った。
それだけの事でここまでグダグダで収集のつかない様相を呈する。
宗麟が凄いのか、女性たちがヤバイのか、今一つ判断が難しい。
「いつまで馬鹿な事をやっているのですか、義鑑様!」
すると、怒声が空気を震わせた。
声の主はハリセンを振るった人物だ。
「あ、鑑理、お主、仮にも家臣じゃろ……。顔、痛い、ホント痛いんじゃ……」
未だ衝撃から立ち直れていないご当主様が涙声で文句を言う。
「黙って下さい!」
「本当に容赦ないのぉ!?」
手元でハリセンを遊ばせながら、ずいと一歩を進め義鑑の前に立ちはだかるのは『吉弘鑑理』である。
あらあらと眉尻を下げている吉岡長増と共に”大友三老”と称される重臣だ。
「大体、何ですか! いつまで宗麟様に迷惑をかけるつもりです? いい加減自立して下さい!」
「ワシの心折れちゃいそう、宗麟、たちゅけて……」
「人の話を聞いてますか!? そういうのを止めて下さいと――!!」
誰かしらにお説教をされる事の多い、大友家の一番偉い人、大友義鑑さんであるが、基本的にお説教を担っているのが彼女、吉弘鑑理である。
冷徹な印象を受ける切れ長の目で射抜かれると、義鑑は大体泣く。
「いけない。こんな下らない事に時間を費やしている場合ではありませんでした」
「下らない……」
義鑑はシクシクと一人静かに膝を抱く。
「えっと、アハハ。相変わらずみたいだね、みんな。鑑理も元気なようで」
「恐縮です、宗麟様」
ひと段落着いたのかな、と宗麟は苦笑しながらも話かける。
「戻ってくるまでに長増から大体の事情は聞いたよ。少弐さんが負けたって」
ここ、豊後を治める大友氏であるが、肥前を治める少弐家とは昔から仲が良かった。
そのため、周防を治める大内家と敵対した際には援軍を送っていたのだが、
「はい。援軍には長増を総大将として四〇〇〇程を送ったのですが、時既に遅く、到着した頃にはもう決着がついていました」
「そう、か」
宗麟の顔が悲痛に歪む。
大友家としては手を貸していないので直接の被害はないが、肥前が大内家の手に落ちたのなら、遠からず豊後にも喧嘩を吹っ掛けてくるのは明白であった。
「ただし、肥前を取ったのは大内ではなく龍造寺です」
「えっ!?」
宗麟は予想外の展開に驚く。
大内と少弐の戦いで、なぜ龍造寺が漁夫の利を得たのか。
「……下剋上」
「龍造寺は元々、少弐さん家の家臣なんですよ。間に合わなかったお姉さんは悔しいですね……」
先ほど以上の衝撃が宗麟の体に走る。
――下剋上。
男子が生まれなくなったために、男子を手籠めにできる身分の魅力が異常に上がった結果、行われるようになった謀反の事だ。
希少価値としての男子は政治道具になると同時に、争いの火種ともなる。
ギュッと宗麟は己の拳を握りしめる。
急激に変化する時代の潮流に取り残されると、御家はたちまちに流されてしまうだろう。
これからの大友家を守る覚悟と気合を入れたのか、以前と比べ精悍な顔は更に男前になった。
対して、いつもは冷静な鑑理も流石に照れたのか。
紅潮させた頬にかかる髪を指先で遊びながら視線を忙しなく動かし、
「こ、これからの事について軍議を行いたいと思います。こちらに到着して早々で、お疲れのところ申し訳ないのですが、宗麟様も情勢を把握するべく出席して頂けると幸いです」
そう少し早口で捲し立てた。
「うん、勿論」
微笑みが炸裂。
「ふぐっう……!?」
(困ります、私には娘もいるのに、こんな、こんな……。くっ、どうして母が義鑑様なのですか……?)
歴戦の兵、吉弘鑑理も、やっぱり乙女であった。