あなたへ
暗く冷たかった世界に私は体をすくませていたところに突然、やわらかくって、あたたかなものを近くに感じ始めた。このあたたかさ、やわらかさに心当たりがあって、クロミの顔が浮かんだ時、私は暗い世界の底からぐいっと引き上げられるような気持ちになって、ぱあっと光が広がったなんて思っていたら――。
そこは私の家だった。
朝、起きた時と同じように見慣れた天井がそこにあって、窓からそよ風が流れてきてレースがさらさらと揺れている。外は快晴で、陽の傾きからお昼に差し掛かる頃らしい。どうやら私は私のベッドの上にいるらしい。
らしいというのは、頭がぼんやりしているし、体が重くて起きるのが何だかつらかったからだ。ぼんやり染みのついた木目の天井を眺めていると、しくしくと左腕が痛む。パジャマ越しに二の腕付近をさすってみても、特に傷がついているような感覚はない。普段通りにつるつるだってわかる。
銃で撃たれたのに。
そう、私はアルル渓谷を降りて、ミドリヤシを見つけて。
それから、怖い二人組の男たちに出会って。
逃げようとして、背後から銃声が聞こえて……。
「そうだ。私、撃たれたんだっけ……」
天井を眺めながら呟くと、チリンと小さな鈴の音がベッドの下から鳴った。
「ようやくお目覚めね」
視線だけを向けると、クロミがベッドの下から小さな顔をひょっこりと出してきた。
ほっとして、懐かしくって嬉しくって、でも、胸が痛い。
私は自分がどんな顔をしていたかはわからなかったけれど、良く寝てたわねとクロミはいつものように話しかけてきた。
「傷はたいしたことないんだけど、銃弾のショックが強すぎたからね。隣のテテラおばさんがミシェンパの実を飲ませたのよ。看病してたんだけど、家の用事があって、今戻ったとこ」
「ミシェンパの実、飲ませたの。あれ苦いのに」
「気を失っていたから、そんなのナギサにはわかんないでしょ」
「そうだけどさあ、どれくらい寝てたの」
「そうねえ。渓谷から戻ってきたのが夕方ごろだから、今日で二日目かしら」
「じゃあ、昨日は丸一日寝てたんだ」
ミシェンパの実は、怪我や病気が治って、体力を回復させる人向けの薬だ。
効果はあるのだけれど、その前にとっても眠くて体が重くて、数日はベッドの上で横になっている。
長い人でも4日くらい。
でも、それが過ぎたら、これまでのだるさや眠気が嘘のように気持ちや体がしゃっきりする。私もミシェンパの実の調合は得意で、苦いだるいと調合した人に不満を言われては説教してたけれど、いざ、自分が飲むとやっぱヤだなあ。
「この期間が過ぎれば、元気になるのだから我慢しなさい」
「うん……」
聞き覚えあるなあと思っていたら、私が不満言ってくる人に、よく口にしている台詞。
自分で言った言葉なので、ここはもう観念して大人しくしているしかないだろうなと頭の中で諦めのため息をついた。そこで会話の区切りがついた形となって無言の間ができると、他に考えることがぷかりぷかりと次々に頭に浮かんでくる。ねえと私はクロミに声を掛けた。さっきからクロミはベッドの下から顔を出した恰好のままでいる。
「私、どうやって助かったの」
「ルークが助けてくれたのよ」
「ルーク君が?」
「うん、あのならず者をね、あっという間に倒しちゃった」
「そうなんだ。強いもんね、ルーク君」
不思議な魔法の大剣でワイバーンを倒した姿が、私の脳裏にありありと蘇ってくる。颯爽と馬に乗った姿が格好良かったな。たしかに、ルーク君ならあの男たちも倒せそうな気がするよ。
「ミドリヤシもちゃんとリュックにあったから。手紙以外は運ばない決まりになっているんだけど、ルークが責任を持って運ぶんだってさ」
「そっか」
ミドリヤシも無事で、ルーク君がお父さんのところへ届けてくれる。
心の中に残っていた不安が安堵のため息と一緒に流れ出てしまい、ベッドの中に沈んでしまうんじゃないかってくらいに体から力が抜けていくのを感じていた。
最後にルーク君とちゃんと話したのが、村長さんの家の前だったけか。いくら気が立ってたといっても、冷たくしちゃったな。
「……もう、ルーク君とトウマさんは出発しちゃったんだよね」
「昨日の昼ね。出発前に見舞いには来てくれたのよ」
「お礼くらい言いたかったなあ」
「手紙書けばいいじゃない。トウマたちは別の地域に行っちゃうらしいから来られないけれど、これから定期的に、担当の“配達士”が来るんだしさ。あて先はアオルタ郵便局にしておけば、向こうで気がつくでしょ」
「……そうだね。そうするよ」
「あと、メジルとウロスにもお礼言っときな」
「どうして?」
「メジルがルークと協力して、アルル渓谷を降りて行ったんだから。村の大人たちが尻ごむ中で俺が行くと息巻いてね。あの威張りん坊が、ちょっと格好よくなったわよ。それにウロス。あの老いぼれ馬がルークたちを乗せて風のような勢いでアンタを追いかけてさ。さすがに疲れちゃったみたいで、アンタと同じミシェンパの実を飲ませて、馬小屋で寝てるよ」
「へええ」
あのメジルとウロスがと思うとちょっとおかしくなっちゃったけれど、私が勝手に行動したせいで、色んな人に迷惑掛けちゃったんだな。夏まで待てば良かったかもしれないけれど、そしたらあの男たちにミドリヤシが荒らされていたかもしれないし、でも、怖い目にも遭わなかったかもしれない……。ああ、もう、なんだか頭の中が真綿でくるまれているような感じで、うまくまとまらない。
「……クロミ、なんか疲れちゃった。また眠るね」
「薬が効いてる証拠よ。ぐっすり寝なさい」
「……ねえ、クロミ」
「ん?」
「ごめんね、ひどいこと言って」
「……」
「ルーク君が助けてくれたと言ったけれど、私、意識を失っている間もクロミが傍にいてくれてたような気がするよ。ひとりで寂しくないのも、ずっとクロミがいてくれてたからなのにね」
ごめんねともう一回謝ると、クロミはいいのよと言ってベッドの上に上がってきた。
「今はゆっくり休みなさい。私には傍にいてくれたという言葉だけで十分だわ」
そんなこと言いながら、クロミはもそもそと私のシーツに潜り込んできた。体全部シーツに入れたかと思ったら、顔だけひょっこり出してくる。
「私もちょっと眠くなっちゃったから、久しぶりにそばで寝させてよ」
「いいけど……、クロミて変ね」
「何がよ」
「えと……、なんだろうね。何だか変」
「よくわからないわね。ナギサの方が変でしょ」
目を細めて笑うクロミに、私も自分がおかしくてそうだねと笑ってしまった。
お母さんみたいに見守ってくれたり、かと思ったらお姉さんみたいにやかまし屋だったり。そうかと思えば妹みたいに甘えてくるし。でも、そこから自分が何か言いたいのかよくわからなくて、考えるのもそこまで思ったことをクロミに言うのもやめてしまった。“守護猫(ケットシ―)”はそういうもの、という決めつけも何だか乱暴な感じするし。
これもミシェンパの実のせい……、じゃないな。
まあ、いいや。起きて忘れてなかったら、改めて考えてみよう。
重くなったまぶたをわずかに開きながら、ぼんやりしている私の耳元で、フニャアとクロミのあくびが聞こえた。
「……もう寝るわよ」
「うん……。おやすみ」
私も目を閉じて、息を吐いてしまうと一気に眠りの世界へと導かれていった。
でも、さっきまでの暗い世界じゃない。
ぽかぽかとしたお日様や、さらさらと気持ちのいい風を感じて、ふわふわとあたたかなクロミがそばにいる。幸せな気持ちが胸いっぱいに溢れてくる。
クロミ。
いつもいてくれて、ありがとう。
※ ※ ※
アオルタに到着すると、ルーク・ターレスとトウマ・ライナスはアオルタ郵便局に向かわず、郊外にあるカルセイルの町へと馬を進めていた。建物と喧騒に満ちるアオルタとは対極的に、カルセイルは森の中に整備された道路が敷かれて、民家が控えめに建ち並んでいるような清潔で静寂な町だった。
カルセイルに入ると二人は無言となり、コレルとテマの二頭による馬蹄が静かに鳴っているだけだったが、二階建ての大きな建物の前に到着すると、ルークはここですと言って馬を止めた。
シンプルなデザインをした建物で、真っ白な外壁には清潔感があった。建物の前に門や生垣はあるものの、門扉は解放状態であったし、生垣はトウマの背丈ほどもない。馬上にいるトウマの位置から青々と芝生が茂る庭が見え、そこには誰もいなかった。門扉の脇には“桜花院”という看板が掛かっている。
「ごめんなさい。勝手なことをしたのに、付き合ってもらっちゃって……」
「俺だって同じことをするて、アルル村でも言っただろ。ルークは気にすんなよ」
「はい……」
「そんなことより、早く届けてこいよ。ナギサのお父さん、喜ぶぞ」
「そうですね……。行ってきます」
ルークはテマから降りると配達用の鞄から小さな白い箱を慎重に取り出した。手のひらほどの小さな箱の中に、ナギサが必死の思いで採取したミドリヤシが納められている。ルークは落とさないように気をつけながら、“桜花院”の門を潜っていった。
トウマはルークの後ろ姿をじっと見送っていたが、脳裏には“守護猫(ケットシ―)”姿となったクロミの言葉が過っている。
「……ルークは、魔族の末裔なのか」
クロミの囁きにぎょっとすると、トウマの動揺を見逃さなかったクロミがやはりなとため息を漏らした。
ルークとナギサを背にしたクロミが地上に戻ると、メジルの報せで駈けつけたトウマやアルル村の人間たちと遭遇した。クロミの真の姿を初めて目にする村人たちは、すわ魔物が侵入したかと色めき立ったが、メジルとウロスが間に割って入りメジルが必死になって事情を説明したおかげもあって何とか鎮まることとなった。その後、ルークたちを村人たちに任せてクロミとトウマだけとなったその時に、いきなり訊いてきたのだった。トウマは素早く周りを見渡して、クロミとの距離を詰めた。
クロミとトウマだけといっても、少し離れた場所で疲労困憊のウロスをどう運ぶか検討している6名ほどの村人たちがいる。
「なぜわかった。渓谷で何かあったのか」
「紅の瞳を見た。何百年ぶりだろうな」
「紅の瞳て、なんだ」
「魔族の中でも優れた力を持つ者が、秘める力を解放した際に起きる現象だ」
「……」
「だが、ルークのあれは、まだ完全という状態ではなかった。自身の力に気がついている様子もなかったが……、ルークは自分が魔族の末裔だと知っているのか」
不意に思いついたようなクロミの問いに、いやとトウマは首を振った。
もう一度、素早く周囲を見渡したが、こちらのやりとりを気にしている者の姿はない。傾き掛けた赤い陽が、居残り作業をする村人たちや山の斜面を夕陽で染め、陽の当らない箇所にはくっきりとした陰影を浮かびあがらせている。トウマはルークとの出会いや魔族の末裔たちの末路、ルークが魔族の末裔だと他に知っているのは竜神ファルトマのみということをクロミに短く説明すると、そうかと沈痛な面持ちを浮かべた。
「噂ではどこかに逃れたとは聞いていたが、何とも無常なものだな」
「それで、クロミはルークが魔族と確認して、どうするつもりなんだ」
「どうするつもりもない。ルークなナギサにとって命の恩人だ。それに魔族は滅び、彩王朝もすでに無くない。ただ、不安なのだよ」
「不安?」
「本人は忘れてしまったようだが、私はナギサがもっと小さな頃、この姿を一度見せている」
「……」
「山で薬草採りをしていた時、ナギサは両親とはぐれてしまってな。私も急いで捜しに向かったのだが、魔物ではないが主を護るためにこの姿をみせたのだ」
「……」
「野犬は私を恐れて追い払えたものの、ナギサがひどく怯えてしまった。しばらく私を避けるようになり、私はナギサから助けを求めない限り使えないよう力を封じた。あのワイバーンの時は、まだ自身でなんとかしようとしていたのだ」
あの時のナギサを思い出してしまうと、クロミは眩しそうに眼を細めて夕焼けに染まる空を見上げた。
「ルークの力が覚醒した時、自身の祖に気がついた時、その時にルークは自分を失わずにいられるのだろうか、またナギサのように怖がらせてしまってはと不安なのだ」
「なんだ、そんなことかよ」
「なにが可笑しい」
鼻で笑うトウマに、むっとしてクロミが睨んだ。
トウマはクロミの視線を無視するように革の帽子を脱ぐと、かゆいのか短い頭髪をがりがりと掻いて、また革の帽子をかぶり直した。
「あいつのご先祖がなんだろうと、ルークはルークだ。もし、あいつが力に溺れて自信過剰になるなら叱るし、反省できる心をルークは持っている。周りから疎外されるなら俺たちが守る。さっきのクロミだってそうだったじゃないか」
「……」
「メジルとウロスが一生懸命になってさ。村人たちだってわかってくれた。そりゃあ、小さな頃のナギサのように怖がるのもいるだろうけど、伝わるものだし守るさ」
「……そうだな」
殺気立つ村人らを前にして、身を呈すように立ちふさがったメジルと、激しくいななきながらぐるぐると駈け、何かを訴えかけようとしていたウロスの姿を思い出すと、クロミは小さく笑った。
「ルークには、お前たちがいるか」
「そうさ。親父さんの遺言通り、あの子はしっかりと生きている。しっかりと生きているなら周りの俺たちもしっかりしないとよ」
トウマは自分に言い聞かせるように頷くと、クロミの体を光が包み始めた。突然の光に村人たちが驚いて見守る中、光の中からクロミの声がした。
「猫の姿に戻ると人語が話せなくなるのでな。お前と少し話がしたかったのだ」
「……」
「ルークによろしくな」
「明日、ナギサの見舞いにいくから、その時に言えよ。ルークにはお前の言葉がわかるんだろ」
クロミは無言だったが、光の中で笑みを浮かべたのがトウマにはなんとなくわかった。やがて光は小さくなっていき、完全に消失してしまうと小さな黒猫となったクロミが現れた。にゃあとトウマに小さな鳴き声をあげると、クロミはアルル村への方向へと鈴を鳴らしながら駈けていったのだった。
――魔族の力か。
トウマはクロミの話を思い出しながら、“桜花院”へと改めて視線を向けた。
ルークは既に院内へと入ってしまい、姿は見えない。爽快な陽の光が閑静な建物や草木を照らしているだけだった。以前にも“黒の国”で危機と呼べる事態があったが、その時には魔族の力と思われるものを見せていない。あれから鍛錬を重ね、ルークは着実に成長している。しかし、成長することで本人の中に眠る魔族の力を覚醒しやすくさせているのかもしれなかった。
「それの、何がいけないんだよ」
思わず口にしてみて、自分もある種の不安を抱いていることに気がつき、トウマは革の帽子を取ると忌々し気に頭を掻いた。あの子はしっかりしているじゃないか。しっかりしろよとトウマは自らを叱咤した。
その頃、ルーク・ターレスは自身に苛立つトウマなど知る由もなく、“桜花院”の受付でじっと待っていた。
ルークは玄関から入って受付の女性に用件を告げると、微笑を浮かべてどこかに去っていった。待っている間、何度か来ているはずの建物内を、ルークはぼんやり眺めていた。中は眠ったように静かで、床には埃もなくぴかぴかに磨き上げられている。全体的に清潔な雰囲気を漂わせていた。やがて奥からコツコツと乾いた革靴の音がし、見上げると白衣を着た細身の男がやってくるのが見えた。
「僕宛に届け物だって」
「はい、テクナ・オフェミルカさんですよね」
緊張しているせいか、ルークは自身の声がうわずっているのを感じた。そうだけどと言って男はルークの緊張を解くように穏やかな笑みを浮かべた。眼鏡をかけているが、目元がナギサを思い出させる。お届け物ですと、ルークは白い箱を差し出した。
「ナギサ・オフェミルカさんから、テクナさん。あなた宛てに」
~“守護猫(ケットシ―)”は護りたい・終~




