不意の手紙に
人語を解する黒猫に驚いてしまったとは言っても、以前出会った竜神ファルトマも人語を話しており、職場の同僚にも人間の顔から離れた獣人族は珍しくないので、冷静であればそれほど驚くものではなかっただろう。ただ、初対面のクロミにいきなり悪態をつかれたので、ルーク・ターレスは驚いてしまったに過ぎない。
ルークが気を取り直してそのことを口にすると、クロミはふんと鼻を鳴らした。
「あの竜の老いぼれ、まだ生きてるのね」
「ファルトマ様を知っているんですか」
目を丸めるルークに、クロミがタメ語で良いわよと言った。
集会場内ではいつの間にか手紙の配布は既に終わったようで、トウマや村長の張り上げるような声も今は無く、集会場からは賑やかなざわめきが漏れてくる。敷地の隅に植え込みの傍に腰掛けるには手ごろな石が幾つか置かれていて、ルークたちはそれぞれ腰掛けている。元々が雑談するために設けられたものなのだろう。室内の灯りは地面を照らすだけでルークたちには届かず、それよりも強い月明かりが、クロミの小さく真っ黒な体までもくっきりと浮かび上がらせていた。
「こちとら、何百年と以上生きてる“守護猫(ケットシ―)”様よ。ファルトマとは彩王朝ができる時にちょっと関わりがあって、一時期、一緒に行動していたことあったから」
「へええ」
「でも、あんたみたいに私の言葉を理解できる奴なんて、ナギサみたいな召喚士の家系だとか、特殊な魔力を持った人間だけよ」
「え?私の家系てそうなの。薬草つくりの家系と思ってた」
ルークよりも、ナギサの方が目を丸くしている。
特殊な魔力とは何なのかがルークには気にはなったが、勢いよく話す二人の会話に流されてしまい、いつしかその関心も薄れていった。
「薬草づくりは副業よ、副業」
「でも、お父さんやお母さんも、何も言わなかったよ」
「ナギサのひいじいさんの代で、逆転しちゃったから。倉庫のどっかに召喚魔法の本はあるかもしれないけれど」
「……なんでだろう」
「今みたいにはっきりと国が分かれてなくて、戦争のない平和な時代だったからよ。そんな時代なら、余計な力より薬草づくりの方がみんなに喜ばれるでしょ」
「まあ、それもそうか」
素直に納得するナギサの隣で、ルークもトウマら“配達士”が頭に過っている。本人の意志が多分にあるとはいっても、除隊した元兵士の彼らは、平和の時代に不用となった余計な力とも言える。
「それにしても召喚士の家系かあ。驚いたなあ」
「あんた、ウロスや私の存在をどう思ってたのよ」
「ええと……、力の強い老馬と口の悪い黒猫」
言ってくれるわねと舌打ちするクロミの横から、ルークが訊ねた。
「ウロスて、あの大きな農耕馬でしょ。あれも召喚されたのかい」
「歳食って、もうまともにしゃべることも出来なくなったけどね。あれでもケンタウロスよ。他にもいたけれど、自分の世界に帰ったり死んじゃったりして私とウロスだけ」
「クロミ、そんな話なんてしたことなかったじゃない」
ナギサにしてみれば生まれて初めて耳にした話に、不満そうに口を尖らせた。
「あんた、昔の話にちっとも興味ないじゃない」
「そりゃ、目の前の仕事で頭いっぱいだもの。お父さんお母さんいないし……」
「だから黙ってたのよ。主人を護るのが私の役目なんだから。目の前の仕事に集中してもらわないと」
「なによ、エラソーに。私の家の歴史なんだから、そのくらいのこと基礎知識として教えてくれてもいいものでしょ」
ナギサは憮然とした。
さっきのワイバーンの時にはちっとも役に立たなかったくせにと内心、不満がある。
ルークはといえば、彩王朝の建国にクロミが関わっていると聞き、彩王朝の末裔であるリイサ・ペンシルの顔が浮かんでいた。
末裔が郵便局で働いていると話せば、クロミはさらに驚いただろうが、リイサの存在は国家機密に等しい。“彩花衆”という王朝再興を目論む組織の争いにも何度か巻き込まれており、迂闊に話せるものではない。少年らしい自慢話の欲望を抑え込んで、ルークはナギサとクロミのやり取りに割り込んだ。
「ナギサて、ご両親いないの?」
「うん、遠いとこに行ってる」
「そうなんだ……。訊いてごめんね」
ルークの顔に暗い影がはしったのを見て、ナギサが急いで手を振った。
「遠いといっても天国にいるわけじゃないよ。カルセイルて町にいるの。知っている?」
「アオルタの隣だね。時折、同僚の人と配達に行くよ」
「そこの“桜花院”というところにいるの。このあたりじゃ、いい施設なくって」
カルセイルはアオルタの郊外にある町で、施設の場所や様子もすぐに思い出せた。
結核など重い病を抱えた人間が収容される療養施設として知られ、街の雰囲気にあった静かな施設だった。リイサ・ペンシルやパウラ・ラウラと馬車や車を使って何度か“桜花院”へ配達に行ったことがあるが、患者の姿を見かけたことがほとんどない。庭やベランダで日光浴をする患者らしき人間を見掛けるくらいで、ルークは主に受付の人間くらいとしか接触したことがない。豊かな自然に囲まれ、閑静以外は印象が薄い街なので、思い出すと言えば道中での二人の痴話喧嘩と、帰りにこっそり食べるアイスクリームくらいなものである。
「お母さん、昔から体が弱くってさ、お父さんが介護の傍ら、伝手があってそこの職員になって住み込みで働いているんだ」
「働きながら介護か。大変だね」
「遠い町でお母さんひとりにしとけないし、お金のこともあるから。それで良かったんだよ」
ナギサの言い方は、自分で自分を納得させているようにルークには思えた。
「ナギサは、ひとりで大丈夫なの」
「狩りもできるし、ご飯もつくれる。薬草づくりだってけっこう評判いいんだから。まあ、ひとりで暮らしていく分にはね。それに村のみんながいるからさ」
「そうか、僕と同じだね」
「……」
「トウマさんや皆のおかげで、僕はしっかりと生きていられる」
「ルーク君の御両親は?」
「遠いところにいるよ」
ナギサとは別の意味で短く答えながら、ルークは立ち上がった。
嘘をついているようで後ろめたさがルークの心をチクリと刺してきたが、不幸自慢になるのではという自分への疑念と、両親が健在という羨ましさから真実を告げる気分ではなくなっていた。
両親が生きているといっても、母親は病で苦しみ父親が支えている。村で一人暮らす以上、ナギサも常に不安と戦っているのだということくらいはわかっていても、羨望の思いは拭いきれないでいた。
「いつまで、アルル村にいるの?」
ルークの心境に何も気づいた様子もなく、ナギサが無邪気に訊ねてきた。
「郵便局の規定だと、3日ばかり滞在することになってる」
「じゃあ、それまでの間さ、私が村を案内してあげるよ。宿は村長さんが使っている倉庫のところだっけ」
「ほ、ナギサのくせに、いつもより積極的じゃない」
「うっさいなあ。こんな時くらい黙ってなよ」
クロミの茶々に、ナギサは顔を真っ赤にさせている。
「ど、どう?時間があれば……、だったらだけど」
「うん。かまわないよ」
先ほどのミッフェルにも、同じように誘われてはいた。屋内は暑いからと言い訳をして逃げ出すような恰好で表に出てきたわけだが、甘い声に体を摺り寄せてくるなど、同年代にしてはパウラよりも色気のありすぎる誘い方に、ルークは辟易していたのだ。一方で、ナギサは田舎娘らしい素朴さや安心感がある。
「正直、待っている間は大した仕事もないし、案内だったら問題ないと思うよ」
ルークの脳裏には、旅先での休暇中のトウマ・ライナスら“配達士”たちの姿が浮かんでいる。
これまで定期ルートで何度かトウマや他の“配達士”たちと行動を共にしているが、旅先での休暇中にしていることはと言えば、稽古もせず自身の馬の手入れや車両の整備以外は、だらしなく昼まで寝ているか、散歩。
もしくは仲間たちや町の人間との雑談くらいなものである。
アオルタでは常に厳しい稽古を自らに課しているのに、トウマたちの気の抜け方にはじめは驚き戸惑ったものだった。しかし、仕事を重ねる間に、これくらいの極端な気持ちの切り替えがなければ、過酷な長旅に耐えられないと痛感させられている。村の娘と遊びに出掛ける程度なら、問題ないはずだろう。
早いルークの返答に、ナギサは満面の笑みを浮かべて返してきた。
「じゃあ、明日。昼頃でいいかな。朝は薬草採りのお仕事あるから、それでいい?」
「構わないよ」
ルークが言うとナギサは、心の弾みそのままに、スキップでも踏むようにしてその足は集会所へと向かっていく。ナギサの後を、クロミが急ぎ足に鈴をチリチリ鳴らしながら追っていく光景が、ルークには微笑ましく思えた。
ナギサが扉に手を掛けようとした時だった。
ひとりでに扉が音を立てて開けられ、中からトウマ・ライナスが現れた。トウマはナギサの姿を見つけるなり、ちょうど良かったと嬉しそうな声を上げていた。手には一通の封筒を手にしている。
「ナギサ・オフェミルカて、君だろ」
「え、ええ……」
「良かった。いくら呼んでも現れないからさ。そういえば顔は知っているのに、名前まで聞いてなかった」
「私に、手紙ですか?」
「うん」
と言って、トウマはナギサに封筒を手渡した。
ナギサは封筒に記されてある名前を目にして、体が硬直した。一方で心臓の鼓動が急速に早まり、その鼓動は耳を聾するほどに激しく高鳴りだしている。後ろで様子を見ていたルークはナギサの異変に気がついたが、何も知らないトウマは心安そうに笑い声をあげている。顔がほんのりと赤いところから、お酒が入っているのかもしれない。
「差出人、同じ苗字だけど、親戚か誰かかい。カルセイルて随分遠いとこに住んでいるんだねえ」
「……」
「ええと、カルセイルて……」
「まあ、うちらにしたら隣町だけど」
はっはと笑い声をあげるトウマに、ナギサがぼそりと呟いた。
その声はあまりにも細く小さいために村人たちの喚声に紛れてしまうほどで、トウマの耳にまで届かなかった。
「え、何?」
「……父です」
ナギサは封筒から顔を上げた。
その両目には、涙が浮かんでいる。
「テクナ・オフェミルカ。カルセイルに母といるはずの、私の父です」




