アルル村のナギサ
私はいつも朝3時に起きるのだけれど、アルル村の中では一番の早起きだそうだ。
別に早起きが好きというわけじゃないのだけれど、私ひとりで暮らしているとすることも多い。
これから朝ごはんと山まで出発の準備をして、昼まで山で薬草をつくるための草摘み。途中でお昼のお弁当を食べて、帰ってからも草を干したり調合したり、その他にもお仕事があるから、朝はこれくらいじゃないと時間に余裕ができないのだ。
「ナギサは、まだたどたどしいとこあるからねえ。それぐらいは当たり前よ」
ナギサというのは私の名前。
ナギサ・オフェミルカ、12歳。
私が以前、隣のミツバさんに早起きを褒められた話をクロミに自慢すると、クロミはふんと鼻を鳴らしたものだ。小さな黒い体を揺らすと、同時にチリンと首元の鈴も一緒に鳴る。クロミってばいつもそんな生意気なことを言うくせに、ちっともお手伝いをしてくれない。
「アタシは、ただの黒猫なんだからね。何を手伝ってのよ」
「ただの猫って、クロミは“守護猫”でしょ。ウロスに餌ぐらいあげてよ」
「わたしの体で、どうやってあのでかい図体した馬の餌を運べってのよ」
「クロミていつも食べてるか、寝てばーかり。“守護猫”らしいとこ、見たことないんですけど」
「当たり前よ。力を出す場面がないだけなんだもの。アタシはまだ本気を出してないだけ」
「それ、ダメな人がよく口にする台詞だよ」
「アタシは“守護猫”だから、関係ないでしょ」
私が朝食のパンをかじるその近くで、クロミはご飯とお味噌汁を混ぜた猫ご飯を、ちょっと塩気が濃いわよと文句を言いながらがっついている。
私とクロミはこんなやりとりばかりして、一日を過ごしている。たまにむかつくこともあるけれど、喧嘩にまではなったことがない。
なんとなくうやむやになって終わっちゃう。
自分でいうのもなんだけど、私はさっぱりした性格な上に、クロミにいつまでも関わっているほど暇ではないのだ。それにご飯を済ませて歯磨きした後は、出発の準備で大忙し。
木繊服という木の内皮の繊維で編んだ服や帽子に着替えて、摘んだ草をいれる袋やお弁当やもしもの時の救急箱だとかを入れたリュックを用意する。
途中で薪を切ったり、鳥を捕まえたりもするから鉈や弓も準備すると、それだけでけっこうな荷物になってしまう。おまけにアルル村の朝は寒くて、木繊服の上に防寒着を羽織らないと凍えてしまう。これも帰りになると荷物になって、相当な重さだからこれを運べるのは力持ちのウロスじゃないとできない。
「今日もお願いね、ウロス」
私は馬小屋まで荷物を運び、ウロスに声を掛けると、ウロスは小さくいなないて答えてくれた。クロミと違って言葉はわからないけれど、綺麗な瞳とブルっと短いいななきで「任せろ」と言ってくれているのは伝わってくる。
「それじゃあ、出掛けようか」
クロミとウロスに声を掛け、手綱を引いて馬小屋をあとにした。
その頃になると、東にそびえるアルル山脈からお日様の光が差し込んできて、私たちや茅葺き屋根が建ち並ぶアルル村の家々を一斉に照らすのだった。本当に大きな山で、特にこうやってお日様の光を受けているアルル山脈の光景にはいつも圧倒されるものがある。
思わずため息が漏れて、もうもうとした大きく白い息がお空に向かって消えていった。霊峰と昔から信仰の対象にされているのもわかる気がする。その霊峰に最も近い村が、私たちが住むアルル村だった。
陽が差すアルル山脈に向かって、私は手を合わせた。
今日も良い一日でありますように。
※ ※ ※
鳥のさえずりと馬のいななき、そして香ばしい匂いに誘われて目を開けると、最初に見えたのは夜明けの薄暗い空に浮かぶちいさな星々たちだった。
トウマ・ライナスがあくびをしながら体を起こすと、焚火を挟んだ向かいでルーク・ターレスがおはようございますと少し驚いた顔をした。焚火には鍋が掛けられていて、ことこと煮込んだミルクの中にライスを入れてかき混ぜていた。匂いはその鍋から漂ってきたようだった。
温めた“フランキースペシャル”といったところで、海外ではライスプティングという名称でこれに砂糖を加えてデザートとして好む国もあるらしいが、アオルタの労働者たちはデザートとして食さない。
夏ではバナナを加えるが、冬場だと煮込んだミルクとライスをそのまま食べる。
「ずいぶんと早いですね。目覚まし時計、まだ鳴ってないですよ」
「匂いに誘われちゃってな。目覚ましより強烈だ」
トウマは目覚まし時計をとめて寝袋から這い出ると、焚火の前に移動した。鍋の隣で湯も沸かしていて、やかんの口からさかんに湯気が噴き出している。
「しかし、ルーク君も随分と野営の手際がよくなったなあ」
「師匠に叩き込まれましたからね」
師匠などと普段使わない言葉に、トウマは気恥ずかしくなりバンダナを巻いた頭をぽりぽりと掻いた。一度は短く刈り込まれて灰色がかった坊主頭であったが、今は髪の色だけは黒々とした色に戻っている。だが、夜は冷えるので眠る際はバンダナを巻いている。
ルークはトウマの照れに気づかなかったらしく、嬉しそうな顔をしながら“フランキースペシャル”を入れたお椀とスプーンをトウマに差し出した。
「それに、せっかくトウマさんの本来の仕事に、連れて行ってもらえるわけですからね。ここはひとつ張り切らないと」
「いや、正直、助かったよ。二人だと旅もぐっと楽になるな」
トウマはお椀を受け取ると、温かな“フランキースペシャル”をずるずると啜った。
今回のアルル村までの配達に、ミラルカ局長へルークの同行を求めたのはトウマである。
アルル村のあるアルル高地はさほど強い魔物――トウマたち“配達士”からしてみれば――や盗賊も確認されておらず、本来なら定期ルート扱いでも良いのだが、冬になるとアルル高地は雪が深い。
冬の間アオルタまでの交通が完全に遮断されてしまい危険を伴うので、再開するにあたっては、はじめにトウマのような“配達士”を送って状況を探る必要があった。そこでトウマはパートナーとしてルークを指名したわけである。
これまでにも定期ルートに何度か同行させたが、火の起こし方や野営の適した場所やつくりかた、捕らえた獣のさばき方、食べられる野草の見分け方など随分と手際よくなっている。
剣術や魔法の腕前も向上し、ターレス家に受け継がれてきた魔法剣を使いこなして、ワイバーン三体、ゴブリンも5匹撃退している。
トウマはルークと同じ歳の頃には既に戦場で剣を振るい、数々の魔物や敵の首級を挙げていたからその比較が難しいが、それでも同年代の中ではかなりの素質があるように思えた。
――無事に済めば、晴れて卒業だな。
何を卒業するのかは、トウマ自身にもよくわからないが、その言葉しかでてこない。
ルークは無試験に合格し、2か月後、アオルタの学校に編入することとなっている。
“配達士”や旅で得た技術や経験が、これから迎えるルークの学校生活に直接役立つとも思えなかったが、トウマとしては教えられるものが“配達士”や兵士で培った技術や経験しかない。しっかり生きろとルークの父が遺した言葉のように、トウマはそう願うしかなかった。
ふと、空が急に明るくなったのを感じてトウマが視線を上げると、右手に見える低い山の稜線が朝日の光を帯び始めていた。冬が遠ざかって1か月は経っているはずだが、この地方はまだ寒さが残っていて、山林の木々の上に白いものがちらほらと見える。他の者なら美しいと思えた光景であったかもしれないが、旅を続けるトウマには食傷気味である。
それよりもこれからの目的地までの距離を考ると若干気が重く、澄んだ青空を背景に佇む山を見つめながら、思わずトウマは白い息を吐きだしてしまうのだった。
アルル高地に入って2日目。
緩やかな傾斜のある丘陵地帯が続き、道中、それほど苦難があったわけではないが、緊張と寒さの日々による疲労で体に重さを感じている。
「アルル村まで、まだ遠いなあ」
「はやくベッドで眠りたいですね」
トウマの心中を察したようにルークが言うと、トウマもまったくだなだと白い歯をのぞかせた。




