私の星羅連環(コードコネクト)は格が違うのだよ
『この悪魔王の申し出を断るだと……?』
シーリングの息継ぎも許さぬ素早い拒否の回答に、さすがの悪魔王と呼ばれるベリアルも思わず戸惑っていた。シーリングは自信に溢れた顔つきで、ベリアルの鋭い視線を正面から受け止めている。少しも自分を恐れていないのが、ベリアルには気に入らなかった。
『なぜ、私の誘いを断る』
「貴様の方法など、幼稚かつ古典的過ぎてまったく面白くもない。人は働き、モノをつくり、金で欲を満たすものだ。人間の抹殺された社会など、どうせ原始人以下の生活だろう。そんな社会など、何が面白いものか」
『何を抜かす。たいした魔力もない人間風情が、私の力に敵うと思うか』
それだとシーリングがベリアルを指差した。
「アンタのその幼稚な発想。数千年、地上を見ていないからだろうが、現代魔法をわかっていないな」
『どういうことだ』
「先ほど私が放った炎の魔法が何なのかは、貴様もわかっているだろう」
『高位魔法のひとつではないか。先は油断したが今度は……』
「私はあれを3か月で習得した」
『何だと?』
つまらぬはったりを抜かすとベリアルは笑い飛ばしたかったが、自信溢れるシーリングを見ていると、ベリアルは自身の表情が強張っていくのを感じていた。ベリアルが地上で跳梁跋扈していた頃、高位魔法を習得するには少なくとも20年は必要と聞いていたからだ。高位魔導士に老人が多いのはそのためだが、悠久の時を過ごす悪魔であっても、3か月は驚異的な早さだと言っても過言ではない。
「現代魔法は科学的合理的に学び、才ある者はどんどんと成長している。スポーツ選手が合理的な鍛錬を積み重ねることで、数々の記録を塗り替えて過去の選手の記録が凡人並となるようにな。ゼルテラウスに迫る魔導士など、現代ではもはや珍しくもない」
『つまらんことを抜かす。それで私より優位に立ったつもりか。貴様の仲間はもう逃げたぞ』
「……なに?」
――仲間。
それが隅で震えるディラントを指していないことは明白で、他には現在、仲間と呼べる人間はひとりしかいない。
シーリングは振り返ると、先ほどまで部屋の隅でうずくまっていたはずのケフル・タッカーの姿がどこにもない。
『あの男、私に敵わぬと悟ったか、貴様が呑気に会話している間に空間を切り裂いて逃げていったぞ』
「……」
『あの空間転移もなかなか便利な魔法なようだが、肝心の心が出来ていないようだな。仲間を見捨てて逃げ出すとは』
「魔法ではない。我々、“黒の国”の人間は魔法と呼ばないで、“特殊能力”と呼ぶ」
『……?』
再び視線を戻したシーリングは微笑を湛えたまま、肩をすくめてみせた。仲間が見捨てて逃げたにも関わらず、怒りも怯えも動揺もない。先ほどから溢れている自信も。小ゆるぎもしていないようだった。
『貴様、何とも思わないのか。仲間が貴様を見捨てて逃げたのだぞ』
「何とも思わない、ということはない。失望はしているな」
『……』
「トラブルメーカーだったが、私には犬っころのように従順だったのと、その実力には一目置いていた。特にあの空間転移の“特殊能力”、“転界空舞”はなかなかに便利だったから今日まで我慢していた。だが、私があんな男に頼ると思うか」
『貴様もあの男も今日あったばかりで、知るわけないだろう。貴様ひとりで、私に勝つつもりだったのか』
「つもり?」
何が可笑しかったのか、不意にシーリングが哄笑した。
それを隙と捉え、ベリアルが猛然と襲いかかったがシーリングの姿はそこにない。
忽然と消失していた。
消えたと思った瞬間だった。突如、背後から生じた強烈な衝撃と熱波でベリアルの体が床に叩きつけられていた。灼熱の痛みがじんじんと背中から広がるのをベリアルは感じていた。自分の身に何が起きたのか。シーリングが何をしてきたのか、どう動いたのかまるでわからなかった。ケフルという男がしていた空間移動とも違う気がした。
「私にも、あの男のような“特殊能力”を持っているんだ。もっとも、ケフルのものとは格が違うがね」
『なんだと……!』
「“星羅連環”。私はそう名付けている」
※ ※ ※
頼りなく照らされた電灯に沿うようにして歩き、トウマ・ライナスたちが“大会議室”とプレート貼られた扉の前に到着すると、アルがここですねと言った。耳を澄ませても室内から物音はせず、静寂ばかりで人の気配もしなかった。元々がいわくつきの図書館ではあったが、不穏な空気に反応するようにして3人の緊張感も増し、無意識に戦闘態勢となっている。アリサ・サーバンスも扉の前で慎重に室内の気配を探っていたが、結論はトウマと同様らしく、無言のまま首を振った。
「やっぱりここだけど、変だなあ」
「なんだ」
「ほら。あの銀行員さん、室内にいて、けっこう動いているみたいなんですけど、その室内からちっとも物音がしないじゃないですか」
アルは既に“召喚興図”で床に館内の図を描き出していて、図の一点を指差している。トウマとアリサが覗き込むと、ライターの持ち主――シーリング・ローゼット――と思われる小さな砂粒が、大会議室らしい場所で細かく動いている。しかし、目の前の室内からは物音ひとつ響いてこなかった。
「どうします?」
とアリサがトウマに訊いてきたのは、アリサも不穏な空気を感じているからだろう。問われてトウマは腕組みをした。剣士の本能がトウマに危険を訴えている。思い過ごしと思いたかったが、危険に対する自分の直感には間違いなどほとんどないことを、トウマは幾度の死線を潜り抜けて経験している。
酔いは既に醒めていた。
トウマは図書館にしては荘厳すぎる木製の扉を睨みながら、小さく唸った。トウマたちは帰宅ついでに、派手な格好をした銀行員へ忘れ物を届け来たにすぎないのだ。このまま引き返しても、誰もトウマ達を非難しないだろうが、一方でこのまま見過ごせない何かが、扉の向こうで起きているような気がしていた。
「行こう」
トウマが決然と言うと、アリサとアルも一斉に頷いた。トウマは自身に次いでアル、そしてアリサの順に指差し、手で押すような仕草で合図を送ると、アルとアリサはトウマから素早く距離を置いて退いた。最後尾のアリサは盾となりそうな柱に身を寄せ、いつでも魔法が発動できるように、両手を合わせるような姿勢でしゃがんでいた。それぞれ部隊は異なっていても、長い軍人生活で自分たちの役割を瞬時に把握できるのが身に沁みついている。トウマは腰の刀を鞘ごと引き抜き、鏢を使って慎重に扉を開いていく。わずかに開いた扉の隙間からは人の姿は認められなかった。トウマは直近に人の気配もないのを確認すると、躍り上がるようにして室内飛び込むと同時に、刀を抜いて構えていた。続いてアルがトウマを護るように付き従う。
だが、勢いよくなだれ込んだ室内は、煌々と明かりが点されているだけで無人だった。大会議室という割には机や椅子もなく、部屋の隅の窓際に、椅子一脚とその上に一冊の本がなぜか置かれてあるだけだった。
「誰もいませんな」
身構えるトウマの傍らで、アルを丸いサングラス越しに注意深く周囲を見渡していたが、誰もいないとわかると、自身の目で直接確かめるようにサングラスを外した。何度か火災で焼けたと聞いているが、古めかしい造りの室内にはやはり人の姿はおろか、扉の外にまで伝わる不穏な空気の正体も認められない。
「なんか、まちがえたかなあ」
アルは中折れ帽子を脱ぐと、苛立たしそうにアフロヘアをぼりぼりと掻いた。
戦場から離れていることもあってしばらく経っている。これまで“召喚興図”の正確さには自信があったのが、がらんと誰もいない室内を眺めていると、平和な生活に慣れて魔力や勘が衰えたのかといささか不安を覚えるのだった。
「いや、アルは間違えていない。ここで間違いない」
トウマも刀を下段に移し、慎重に室内を探りながらアルに言った。
「どうして、そう言い切れるんですか」
「絨毯や壁際の床に泥と草がわずかに落ちている」
トウマに言われてアルが目を凝らして見ると、たしかに扉の脇の床上には数本の小さな草の欠片とわずかな泥が落ちていて、絨毯にもわずかに泥が付着している。しかし、トウマに言われてようやく気がつく程度で、普段なら全く気にも留めなかっただろう。
「壁際のを先に見つけたが、見つけやすかったのは誰か寄りかかっていたんだな。体重を踵に乗せていたから、泥や草が付着しやすかったんだと思う。まだ水気があるから、まだ時間はそれほど経っていない」
「……」
「泥も離れて落ちているから、複数の人間がここにいたんだ。椅子の人と壁際いれて、3人……、いや4人てとこかもしれない」
「なるほど」
「ま、人数は当てずっぽうだけどな」
「いや、多分そうですよ。トウマ隊長も探偵になったらどうです」
「身辺調査や素行調査なんて、俺には合わないからごめんだよ」
「残念だなあ。楽できると思ったのに」
アルが言うとトウマと視線がぶつかり、ふっと互いに白い歯を見せた。だが、軽く笑ったのは一瞬のことで、すぐに表情を引き締め直して室内を再びさぐり始めた。その後にアリサが緊張した面持ちで、周囲に目を配りながら室内に入ってきた。一見するといつものポーカーフェイスを崩していないようにも映るが、固く結んだアリサの口元を見れば緊張しているというくらいはトウマにはわかる。
「アリサちゃん、何か感じるかい」
「部屋に入って一層、強い魔力を感じます。おそらくこれは……」
「何?」
「異次元に転移させるような、かなり強力な結界魔法を使ったのだと思います。その魔力ではないかと」
「結界魔法?」
「軍学校の魔法学の講義で学びましたが、こちらの世界と繋げるため空気穴のように一部空けておくと結界の効果を持続させやすいそうです。それがこちらに流れているのではないかと」
「空気穴?なんで、そんなものがあるの」
「空気穴と言っても、実際にはヒビや亀裂のような形をしております。その空気穴があると持続しやすいのかという理由は、大気に存在する微量の魔力がその空気穴を通じて影響していると言われますが、諸説あってまだ解明されておりません」
「そういえば、そんな話を聞いたことある気がするな。どうだっけ、アル」
「そうですなあ」
トウマが頼りなくアルに訊くと、アルはその後、無言のまま首を捻った。アルとトウマも強大な魔力を有し高位魔法も使えるものの、体系的に学んだのは施設時代の初歩レベルで、後は実戦や訓練で先輩たちから学んだ一部の魔法を、特化して集中的に鍛えただけである。幼少期から学校で学んでいたアリサと違って、魔法の知識や技術はかなり偏ってしまっている。
「で、アリサちゃんが言う仮説だと、どこかにその空気穴みたいなのがあって、それが異次元に通じているわけだな」
「そうですが、どうやってそこまで行くかであって、その方法も……」
「斬って広げてみたらダメなのかい」
「……え?」
「亀裂みたいな形しているんでしょ。だったら、そこを大きくしてガッーと広げちゃえば向こうに行けるんじゃないの」
突拍子もないトウマの提案には、さすがのアリサも言葉を詰まらせてしまった。魔力の限界や制限時間を待つか、さらに強力な結界魔法で無効化させるのがセオリーで、トウマのような乱暴で物理的な方法など、講義では冗談でも口にされなかった。
「ええと、その亀裂を見つけることも人の目では難しいものなのです」
「じゃあ、亀裂てなんでわかるの」
「発見した魔導士が極限まで魔力を集中させて……」
「集中なら任せてよ。俺、集中の鬼みたいなもんだから」
「たしかに」
アリサが返事をする前に、アルが傍で大きく頷いた。
「大砲が鳴り響く中、塹壕でジグゾーパズル完成させられたのトウマ隊長だけでしたもんねえ。しかもミルクとかいう真っ白のパズル」
「あと、墨とかっていう真っ黒のジグゾーパズルを完成させたぜ」
「……まあ、お願いします」
「任せろ」
扉まで下がって脇構えに移るトウマに、苦笑いしかけたアリサは思わず息を呑んだ。
わずかに腰をかがめ、中空を睨み据えるトウマの全身からは闘気が溢れ、圧倒的な凄みに気圧されそうになる。獣のような闘気の一方で、結界の亀裂を探るためのその瞳は瞬きもせず、室内に視線を注いでいる。
普段の軽々しい言動から、アリサですらつい忘れがちになってしまうが、トウマ・ライナスは元抜刀隊隊長として、そして“配達士”として現在も驚くような実績を打ち立てている。疾風の異名に相応しいトウマの剣捌きを思い出すと、次第に結界の“空気穴”を見つけ出して斬るくらいは容易いように思えてくるのだった。
不意に風が鳴った――刹那、トウマの姿がその場から消失し、光塵が宙に舞っている。
アリサが光塵の痕を急いで追うと、トウマは部屋の中央部まで一気に駈けていた。
“戦乙女”と畏れられたアリサですら、いつ動いたのかまったく見えなかった。
トウマは構えを変化させ、踏み込むと同時に、上段から猛然と刃を振り下ろした。
閃光が鋭い音とともに宙をはしり、静寂の間が室内を包んだ。
刃は空しく中空を斬っただけのようにと思われた。その時、宙に紅い亀裂ようなものが奔るのをアリサもアルも捉えた。先ほどから感じていた強大な魔力が、その亀裂から大量に流出してくるのをアリサは感じていた。そして、何を思ったのかトウマは空間の裂け目に手を入れて掴むと、足をもう一方に掛けてそのまま強引に裂け目を拡げてみせた。
その奥に闇の空間が広がっている。不気味な魔力が室内にますます色濃くなっていく。ひりひりするような圧迫感がトウマ達を襲っていた。
だが、アリサはそのことよりも、トウマが見せた一連の動きに目を丸くしていた。
トウマ・ライナスが見せたその凄みに、瞬きすら忘れている。
「この向こうだ。行くぞ!」
言うなり、トウマが闇に飛び込み、続いてアルが走る。
人の肉眼で結界の亀裂を探し出す。
刀で斬って、結界への亀裂を大きくする。
結界の裂け目を、無造作に手で掴んで拡げてしまう。
何から何まで無茶苦茶だ。
だが、アリサは呆れるよりも、トウマの言葉に応じて異空間へ向かう体が先に動いていた。




