終わって、まさか
戦いの全てが終わった後、明るかった陽は夕陽へと変わって山の丘陵の向こうに沈んでいこうとしていた。森閑とする山や森とは対照的に、クエンティンの町はかがり火と喧騒に満ち溢れ、人という人、食料や医療品、縄やレンガなどその他諸々な物資を載せた馬車や荷車が、土煙を立てて慌ただしく行き交いながら、その度に怒号や罵声が飛び交っている。
「そこじゃないよ!もっと右だろう」
「それじゃあ縄の引っ掛け弱いから、“石守人”が運べないと言ってんだろうが」
「だったらてめえらがやれよ」
「お前の仕事だろうがよ!急がねえと夜になって魔物が集まっちまうぞ!」
「残った連中にやらせとけばいいだろよ!」
大蛇の死骸の処分や、壊れた壁の瓦礫の撤去や修復のために動く町の人間たちの声が、怒鳴り声となって町中に響いているわけだが、その声に危機感や悲壮感といったものはなく、祭りの準備でもしているかのような賑やかさがある。広場の隅から傍観者のように町を眺めながら、トウマ・ライナスはそう感じていた。
戦いが終わった今、トウマに出来ることは特に無くなっている。
「痛みますか」
若い娘がトウマの傍に近づいてきて、手にしていた水を満たしたポットとコップをトウマに置くと、近くの桶に浸したタオルでトウマから噴き出す汗をぬぐい始めた。ひんやりとした冷たさが心地よく、生きられたという喜びも重なって、思わず安堵の息をついてしまう。トウマはもろ肌脱ぎで、腕や胸に額と包帯だらけではあったが、全体的に傷は浅い。満足に体を動かせないほどの重い疲労感があったが、それを口に出すトウマではなかった。
「いや、俺は大丈夫だから。それよりもあいつのが心配だよ」
トウマは目を移すと、少し離れた広めの芝生の上でコレルがぐったりとしたままうずくまっている。目は開いているがその瞳に力はないのに息が粗く、触れるとその体は焼いた鉄のような熱を持っていたのだ。無理をさせ過ぎたという後悔があったが、今となってはどうしようもない。トウマは町の者にコレルを運んでもらうと、あとは町の馬医者が数名の助手がつきっきりとなってコレルの看病に付き添っていた。調合された薬湯を嘗め、助手が与える癒しの魔法の光に身を委ねている。
馬はデリケートな生き物で、トウマでも扱いに難しい部分が多い。ここからまた一緒に旅をしてくれるまでに回復してには、あとは彼らに任せて祈るしかない。
「……コレルさん、頑張りましたからね」
「あいつがいてくれたから、何とかなったよ。今回の勲功一番だな」
「何言っているんですか。トウマさんがあの大蛇を倒したのに」
「いや、あいつがいてこそだよ。あいつがいなきゃ追いつけなかった」
矢を打つまでの瞬間、研ぎ澄まされた刃のように神経を集中させてくれたのは、コレルが全てを請け負ってトウマを守ってくれたことが大きい。コレルがいなければ追いつけなかったというのはトウマの本心だった。
そう言ってトウマは立ち上がろうとしたのだが、自分が思っていたよりも疲労困憊していたらしい。足元がふらついたところを、若い娘が慌てて支えた。
「無理しないでくださいね」
「ありがとう。助かったよ、シズカさん」
シズカという若い娘はダマラ町長に命じられ、トウマの世話係をしている。
控え目な性格で、甲斐甲斐しくトウマ達の面倒を見ているが、気が利いて押しつけがましいところもないので、身体的にはもちろん精神的にも随分と楽になったような気がしていた。それに外見からして可愛らしく、隣にいてくれるだけで気分が浮き立つのをトウマは感じていた。
「トウマ、こんなとこにいたのかい。探しちまったよ」
声がした方へ顔を向けると、手提げ鞄を手にしたシジム・サーバンスが近づいてくる。
町の顔役の一人らしく帰ってから着替える暇もないようで、顔も衣服も埃と煤で真っ黒なままだった。シジムは隣にいるシズカに気がつくと、一瞬だが眉をひそめて難しい顔つきを浮かべた。
「シズカ。ちょっと頼みがあるんだけどね」
「なんでしょうか」
「救護所に人手が足りないんだ。お前、そっちを手伝ってくれないかい」
シジムがシズカに掛ける声はトウマが内心驚くほど柔らかく、これまでのそれにくらべると春のそよ風、川のせせらぎ、木の葉から射し込む陽の光のように優しい。あの“戦慄の魔女”はシズカに何か弱みを握られているのだろうかと真面目に勘繰るほど、トウマは驚嘆する想いでふたりのやりとりを眺めていた。
「でも、私はトウマさんのお世話を指示されてますし……」
「いいんだよ。見たようにこの男は私が面倒みるから」
「……」
「それに男どもも、婆さんのわたしより、綺麗なお前さんが行った方が嬉しいだろう」
「いえ、そんな……」
「顔を赤くしている暇があるなら、さっさと行っておいで」
シジムはシズカの背中を押すように追い払うと、しばらくの間はシズカの背中をじっと見送ったまま、シジムは無言でいた。トウマとしても自分と歳が近そうな若い娘と話している方が楽しかったので、途端に重苦しい疲労感が蘇ったようで、その場にまた座り込みたい気分になっている。
「悪かったね、こんな婆さんが代わりで」
「あ、いえいえ……」
「壁の修復に、怪我人の収容と魔物の襲来に対する備え……。これからまだ忙しくなりそうだから、今のうちにアンタに渡したいものがあるのさ」
「渡したいもの?」
「アリサに届けてもらいたいものがある」
シジムが取り出したのは一本の筒だった。賞状などを入れておくような紙製の丸筒である。
「私にとっちゃ宝物だ。これをあの子がどうするかはわからないけれど、それだけは渡しておいてほしい」
「宝物て、貴金属か何かですか」
「そんなたいそうなもんじゃないよ」
「一応、改めて良いですか」
原則、手紙類だけで高級品や金品等は運ばない。
“配達士”の顔となって苦笑いするシジムから了承を得ると、トウマは筒を開けた。果たして中身は丸められた一枚の画用紙があって、紙を広げて見ると、トウマは自分の表情がみるみる内にほころんでいくのを自分でも感じていた。
「良いですよ。この宝物は、アリサちゃんにきちんと届けます」
「あとはこれ。手紙も添えておく」
シジムは一通の封筒を、鞄から取り出した。表にはアリサの名前が、封筒の中央に綺麗な文字で書かれてある。
「私も凝った文章は苦手だからね。時間も無いし、とりあえず簡単に書いておいた」
「……」
「これからまた危険な旅となるけど、頼むよ“配達士”」
「もちろん。任せてください」
トウマは手紙を受け取ると、ふたりは顔を合わせたまま白い歯をのぞかせた。
「おおい、トウマ君」
嬉しそうな大声がして見ると、ダマラが満面の笑みを浮かべたまま、手を振りながら駈けてくる。しかし、その隣にシジムの姿を認めると、急に足の早みをゆるめて、まずはシジムに丁重な挨拶をした。だが、顔をあげたダマラは不審な顔をして辺りを見渡している。
「シズカはどうした。君の世話をするよう指示していたはずだが」
「救護所の人手がどうしても足りないらしくてね。仕方ないからてんで、そっちに行ったみたいだよ」
シジムの返答に、ダマラはちょうどいい機会だと思ったんだがと、考え込むように腕組みして唸っていたが、決意した顔つきでまっすぐにトウマを見据えた。
「トウマ君、シズカという娘をどう思ったな」
「気も利くし、優しいですよね。本当に助かりました。心も体も随分良くなったように感じます」
「実は、あの子は私の娘なんだ」
「へ?」
「どうだろう、トウマ君。シズカと結婚して、町に残ってくれないか」
「……」
「剣に強いだけでなく、自ら死地に飛び込み、町の男たちを勇気づけた君の勇敢さや果断さに私もほれ込んでしまった。魔物を呼び寄せていたあの大蛇たちがいなくなったといっても、まだまだ危険は多い。君みたいな若者がいてくれたら、どれほど心強いだろうか」
大きくうなずくダマラを、トウマは呆然と見つめていた。




