まあ、アンタらしいよ
大蛇の逃げようとする先が偶然クエンティンの方角なのか、それとも雄とも雌とも判然としない自分の片割れが殺されたことに対する復讐のつもりなのか。どちらにせよ、地中より現れたもう一匹の大蛇が向かう先に、クエンティンの町があるのは確かなことだった。
「行かせるものかい!」
人間離れしたシジムの反応は素早く、危険を覚ると瞬時に背中に魔法の黒い翼を形成して大蛇へと突進を仕掛けていた。飛翔すると同時に、膨大な魔力を既に両手の内に蓄えていたが、大蛇はそれを見越していたかのように尻尾を振り回して近くの岩を粉砕し、無数の石片が刃のような鋭さでシジムへと襲い掛かった。
「なにさ、こんなもの……!」
シジムは手の内の光球をかき消して大きく手を振り払うと、手の動きに合わせて背中の魔法の翼も大きく伸びてシジムの長身を覆い隠した。魔法によって形成された黒い翼は盾や鎧としての役割もあるようだった。しかし、直近で正面から受けた石片の嵐の威力は凄まじく、シジムの魔法の翼で耐えることで精一杯な上に、弾かれて流れた石片が後方で見守っていたダマラたちへ襲っていた。トウマは咄嗟に自身の魔法バリアで防いだものの、自分を守るのが精一杯で、他の人間たちを守れる余裕などまるでなかった。
大蛇の石片は魔力が僅少な者や反応が鈍い者にも容赦なく襲い掛かり、血煙と悲鳴を巻きあげながら、次々に男たちや彼らを乗せた馬たちが倒れていった。その中でもダマラ町長や十数名の屈強な男たちは類まれな魔力を持っているらしく、自身の身を守って無事ではあったが、倒れた仲間たちに動揺し浮足立っている。
二体の“石守人”も魔力が枯渇しているせいか、動きが鈍く軋む音を立てるだけで、立ち上がることさえできないでいた。
その隙に大蛇は巨体を揺らして、森の木々をなぎ倒しながらどんどんと突き進んでいく。
大蛇の背中を誰もが注視していた。
しかし、誰も動けないでいる。
はやく止めなければ。
しかし、あんな化物をどうやって止める。
だけど、倒れたみんなをどうにかしないと。
早く助けないと。
だけど、止めないと町が。
しかし。
だけど。
どうしたら。
「あいつを追うぞ!」
焦燥の念と慚愧と恐怖の狭間で、クエンティンの男たちの頭の中は飽和状態にあり、ただ茫然と立ちすくむ中で、最初に声を発したのはトウマだった。
既にトウマは馬上にあって、猛然と駈けだしている。
町を守る。
そのために、まずは追いつかなければ。
ダマラたちも自分たちの役割をようやく思い出すと、急いで馬に乗りトウマの後を追おうとした。
不幸中の幸いというにはあまりにも切迫した状況ではあるが、大蛇が道を拓いてくれているおかげで追跡がしやすく、他の魔物たちが恐れて逃げ去っている点ではまだ希望が残されているはずだ。
だが、彼らを乗せる馬の歩みは鈍い。
鈍いというよりも石像のように動かなかった。
「どうした、進め。進んでくれ、進んでくれよ!」
「お前らがいないと、町が……、町が守れないんだよ!」
懇願にも似たダマラたちの絶叫にも関わらず、馬たちは震えながら、うつむくようにしてその場から動くこともしなかった。彼らは大蛇の攻撃にすっかり萎縮してしまい、進むことさえも拒否していた。
ただ一騎、トウマ・ライナスを乗せたコレルという馬だけが、大蛇の後を追い続けている。
ダマラたちは馬上から、ただ注視するしかなかった。
何もできない自分たちを悔い、そして恥じ、ただ祈る想いで遠ざかるトウマ・ライナスの背中を追い続けていた。
「……コレル、尻尾まででもいい。とにかく追いついてくれ」
トウマと同様、体のあちこちから血を滲ませているコレルの首に触れながらささやくと、トウマは一本の矢を矢筒から取り出し、前方を突き進む大蛇を睨み据えた。触れたコレルの馬体から尋常ではない熱をトウマは感じている。これまでに感じたこともないくらいに、コレルは全身の力を振り絞っているとトウマは思った。
なにがコレルをそこまで駆り立てているかは、トウマにもよくわからない。
しかし、元は軍馬で、幾多もの戦場を体験し目にして生き残った馬である。元兵士のトウマが自身とは関係のないはずの町や村で、手紙の配達やそれに絡むトラブルで命を賭して戦ってきたように、コレルという馬にも何かしらの想いがあって、どんな苦難な戦いがあっても、トウマとともに戦いに向かってくれているということだけは存分に伝わってくる。
――一蓮托生だな。
トウマは口の中でつぶやき、魔力を籠めた矢を引き絞ると、体勢を整えたのを感じたのか、コレルはさらに勢いを増した。どこにそんな力があったのか、みるみる内に距離が縮まり、コレルの俊足と気力はトウマが望む大蛇の尻尾の位置まで到達させていた。
「さすが戦友!」
思わず頬が歪ませながら、放った矢がまっすぐに大蛇の尻尾を貫いた。
すると、魔力を籠めた矢が大蛇の尻尾ですさまじい爆発を起こし、大蛇の体が身を捩りながら大地で跳ねまわった。跳ねたことで大蛇の動きが鈍くなる。同時に,トウマは腰の刀を抜いていた。
――後は任せろ。
それだけコレルに言い残して、トウマは大蛇への体へと飛び移っていた。
その後は剣を下段に構えたまま、ただ頭部めがけてトウマは駆け上がっていく。トウマの足元からは塵に似たような光が舞い上がり、その光塵が激震による衝撃を緩和させ、トウマの足にも力を与えている。慣性の力で地面を滑るように直進しながら捩る大蛇だったが、トウマは軽々と巨体の揺れも関係なくトウマはただ一直線に駆け上がっていた。
トウマが抜刀隊時代につけられた “疾風”の異名そのままに。
まるで風のように。
コレルは近くの杉の木の陰に身を寄せると、あとはぐったりしながら座り込んでガラスのような瞳で主人の姿を追っていた。コレルの瞳には、空から照らす太陽の光を浴びながら、猛然と駈けるトウマ・ライナスの姿が映っているはずだった。
「うおおおおおおっっっっっ!!」
トウマは獣のように吼えながら、大蛇へと突進した。大蛇は身についた埃を振り払うように体を跳ねたが、それでもトウマの勢いは止まらない。業を煮やして、巨大な口を開いてトウマに向かっていったのが勝負の決め手となった。トウマは不用意な攻撃と察して上空に飛ぶと、刃を逆さにして大蛇の頭部にその刃を突き立てた。突き刺すと同時に、トウマは全魔力を刀に集中させた。膨大な魔力が刃を通して放出され、大蛇の顎を貫いて大地まで切り裂いていた。光の刃は大地の深い岩盤までも砕き、大蛇は洞穴のように口を大きく開けたまま、動かなくなった。だが、それでも町へと突進する大蛇の勢いは止まる気配を見せない。ほんの少し前まで、相当な距離があったはずのクエンティンと思しき町の壁が、急速に拡大していく。はじめて町に来た時には、いささか大袈裟で堅牢すぎると思っていた石の壁も、大蛇の巨体とその勢いを耐えようとするには、明らかに薄い布切れのように心許ない。
「うらあああああああっっっっ!!!」
止まれ。
止まれ。
止まれ。
激震の中、トウマは祈るような思いで絶叫し、突き立てた刀の柄に全身の力を振り絞っていた。正面にクエンティンの高い壁が迫っていた。思わず目を瞑ってしまって鼓膜を砕くような轟音がトウマの耳を聾していたが、やがてピタリと音がやんだ。トウマがおそるおそる目を開くと、3体の巨象が壁を割って大蛇を抑え込んでいる。大蛇は動く気配も見せず、トウマの一撃で既に絶命している様子だった。
「やれやれ、なんとか間に合ったね」
皮肉めいた口調が空から聞こえ、トウマが見上げると翼をはやしたシジム・サーバンスがそこにいた。
「あんたに美味しいとこを取られちまうんじゃないと、冷や冷やしてたよ。あんたに大蛇をやらせて、その隙に私が町に残した“石守人”を動かして防ぐ。ま、すべて私の計算通りなとこだけどね」
「……よく、こんな時に、そんなこと言えますね」
「そりゃあ私は、“戦慄の魔女”だからね」
口調はいつもと変わらないものの、シジムは額から滝のような汗をびっしょりと流し、両肩を大きく揺らしていた。




