シジム・サーバンスという怖い婆さんと、コプリたち
早朝、といっても午前7時を過ぎていたが、到着した翌日、トウマ・ライナスとダマラ町長はクエンティンの目抜き通りを歩いていた。
目抜き通りと言っても田舎町だから道幅は狭く、せいぜい車両が行き交う程度の広さしかない。店前の掃除をしている八百屋の店主や通行人がダマラに挨拶をしてきて、ダマラも彼らひとりひとりに、軽く挨拶を返している。昨晩、シジムが倒れたと説明したダマラは、今朝も“あんず屋”に訊ねてきて、シジムの家を案内すると言ってきたのだった。口が軽いと思われているようでトウマは多少不快に思ったものだが、ダマラはシジムの件が町の人間に伝わることを、よほど不安かつ重要視しているようだった。
靴屋を過ぎた四辻に分かれた道に差し掛かると、ダマラはふと足を止めて西側の道を指差した。
「この通りをまっすぐいくとな、町を抜けて丘に出る」
丘と言っても、本当に小さな丘だがと言い添えてから、ダマラは言葉を続けた。
「丘の前に川が流れていて、シジム様の家はその奥だ。ぽつんと一軒家があるだけだからすぐにわかる」
「あれ、一緒に来ないんですか」
ダマラが道を案内し終わると、トウマから離れてどこかに行こうとしているので、不審に思ってダマラに訊ねた。これまでの様子から、シジムが倒れた情報が洩れるのを恐れたダマラが、サーバンス邸までついてくるものだと思っていたのだ。
いやなに、とダマラはひとつ咳払いをした。
「ここからシジム様の家まではそう遠くもないし、人気もない一本道だからな。私がついていくまでもない。シジム様本人も暑気にやられただけだと、今は元気なんだ」
「なら、黙っておく必要は……」
「倒れたという事実が大事なんだ。あの“戦慄の魔女”がまた倒れたらと、人々が不安に思ったらどうなる」
「……」
「ま、それに私は、町長としての仕事があるから、そう君と一緒にいるわけにはいかない。それじゃあな。シジム様にはよろしく伝えておいてくれ」
ダマラはトウマから背を向けると、あたふたとした様子で遠ざかっていった。足早に歩くのとすぐに道を曲がってしまったので、ダマラの姿はあっという間に見えなくなってしまった。
あれだけ念入りに口留めしておくような真似をしておきながら、随分と中途半端なことをすると、トウマはダマラが去った町の通りをぼんやり眺めていたが、やがてダマラが教えてくれた道に足を向けた。
道の両脇には仕舞屋が並んでいたが、道を抜けると急に視界が開けて、田畑のある平地へと出た。ダマラの言う通り小さな川が流れていて、その奥にわずかに勾配のある丘がある。その丘上に、ぽつんと赤い屋根をしたレンガ造りの家屋らしきものが見えた。そう遠くない位置に“石守人”がトウマに背を向けて、壁越しに山々を見張っている姿が映った。空が高く青々を済んだ空が広がっている。草地に点々と立っている木々が、風に揺られてかすかなざわめきを起していた。
――いい天気だな。
トウマは眩しそうに空を見上げた。
装備も目印代わりの革帽子の腰の刀以外は外しているので体も軽い。
風と注いでくる柔らかな風が心地よく、町を囲む堅牢な壁と魔物の存在を念頭から外すことができれば、旅行にでもきた気分になれたかもしれない。馬のコレルを疲れもあるだろうからと、宿の馬小屋で休ませているが、途中にはちょうど良い木陰もあるので、広い草地の方が回復は早いかもしれないと、ここに連れてこなかったのをちょっぴり残念に思った。
小さな丸木でつくられた階段をのぼって丘をあがると、柵にかこまれた家の前に出た。柵といっても枝のように細く、またいで越えられそうな高さと粗末なつくりをしていた。畑仕事でもしているのだろう。家屋の隣には畑があって、トマトや茄子が実をつけ、人参やほうれん草などといった野菜も大きく育っていた。奥には果樹園もあるらしい。一人暮らしの割に随分と本格的で、人でも頼んでいるのかもしれない。
「これが“戦慄の魔女”の家で、アリサちゃんの実家か……」
代々、強大な魔力を持ち、敵味方を戦慄させたというシジムの異名。
そして同じく、かつて敵味方を戦慄させた“戦乙女”アリサ・サーバンスが育った家だというには、あまりにも平凡で牧歌的な民家で、人々を畏怖させる者たちにはそぐわないように感じた。だが、ぼんやり眺めていても仕方ないと思い、トウマは敷地内へと入っていった。玄関らしき正面の扉に向かっていると、ふと家の陰から気配がしてトウマは足を止めた。
複数だ。
殺気は感じないが、魔物に囲まれた町にいる緊張感と剣士としての用心と本能で、トウマは刀に手を伸ばすと咄嗟に鯉口をゆるめていた。
「……コプ」
「コプ?」
奇妙な鳴き声とともにひょっこりと姿を現したものに、トウマは虚をつかれた思いがした。
灰色の短毛で覆われ、楕円形に近い丸い体。
トウマの膝丈くらいの大きさで、小さな耳や口と手足をしている。ビー玉のような丸い目をのぞかせながら、その生き物は二足歩行でぽてぽてと近づいてきた。
それが6匹。
「猫でもネズミでも、ハムスターでもないな。こいつら魔物か?」
各地を転々と旅してきたトウマではあったが、目の前にいる生物はこれまでみたことがない。獰猛さや殺気も感じられないことから、刀を鞘にもどしたのだが、外から魔物が侵入した可能性を考えると、見た目に愛嬌があっても警戒をゆるめることはしなかった。一方で、コプと鳴くその生き物たちは無警戒にトウマの足元まで寄ってきてコプコプ鳴きながら、ぴょんぴょん跳ねたり、ズボンの裾を軽く引っ張ったりしてくる。無邪気な生き物たちにどうしたものかと、トウマは途方に暮れて頭を掻くしかなかった。
「その子らはわたしらの敵じゃないよ」
張りのある女の声がし、顔をあげると玄関先に老婆が一人立っている。
老婆といっても髪が真っ白で、顔に刻まれた無数の皺からそう判断しただけで、背は高く姿勢もまっすぐとし、鋭い眼光と気力充実した雰囲気は若者と変わらない。若い頃は相当な美人だったのだろうが、トウマとしては“おっかない”という枕詞をつけてしまう。
「その子らはコプリといってね。ゴブリンの亜種なのさ」
「ゴブリン?でも、俺、旅をしてきてこんな生き物みたことないけど」
「無理もないさ。そいつらは絶滅危惧種で、7年前、たまたま近くの森で魔物に襲われてたのを助けたんだ。私も古い文献でやっとわかっただけさ。数百年前から、希少生物扱いされていたみたいだ。畑仕事が得意で助かっているけれど、繁殖能力がほとんどないのに大人しすぎるから絶滅しそうなのもわかる気がするよ」
「へええ……」
アリサからコプリの話などなかったが、7年前というから、その間に故郷とのやりとにはなかったのだろうかと考えていると、ところでと老婆の鋭い声がトウマの思考を遮った。
「いつまでぼさっとしてんだい。私に用件があってきたんだろ。表で物騒な気配がしたと思って来てみたら、随分と間抜けな面した“配達士”だね」
「えと……、あなたがシジム・サーバンスさん?」
「人に訊いてここまで来たんだろ。私以外だれがいるってんだ」
「念のための確認ですよ。あなた宛ての手紙を持ってきました。昨日、渡せなかったもので」
やりとりから老婆――おそらくシジム・サーバンス――はどうやら偏屈な性格らしいとトウマは察して、言葉を流して内ポケットからアリサからの手紙入りの封筒を取り出した。シジムの口の悪さにムッとしないでもなかったが、偏屈者とまともに付き合っていたら、こちらが疲弊してしまう。
「誰からだい」
「アリサ・サーバンスという方からです。お孫さんですか」
だが、シジムはトウマの質問に答えることなく、アリサの名を聞いた瞬間、鋭い左ジャブを放って封筒を奪い取っていた。
実に鋭い見事な左のジャブで、トウマの目からしても閃光としか映らなかったほどである。
取られたと思った時には、シジムは封を開け、熱心にアリサの手紙に目を落としていた。やがて手紙を読み終わると、フンと鼻を鳴らしてぎろりとトウマを睨み上げた。
「8歳の時に離れたきりだけど、相変わらず無機質な文章だね。表現の仕方くらい教えたつもりだけど、これじゃあ、報告書じゃないか」
「はあ……」
「この手紙によると、アリサはアオルタ郵便局で働いているそうだね」
「あ、はあ……」
「あんたもアオルタ郵便局員で同僚なんだろ。なんで黙っていたんだい」
「いや、まあ、ものには順番というものがあると思うので……」
「はあ?よくわかんないね。という方なんて遠回しに言わず、素直に話せば早いじゃないか。水臭いやつだね」
――そりゃあ、強面で初対面の相手に、いきなりべらべら喋るわけねえだろ。
多くを語らないダマラに対する不満は棚にあげて、トウマは心の中で毒づいた。
本心としては口に出して言いたかったのだが、強面をして詰め寄ってくる相手に言い返そうものなら、火に油を注ぎかねない。ぐっとこらえながらも、トウマはしどろもどろに言い訳をしていた。その言い訳にも傷口に塩を塗るような口ぶりでいちいち返してくるので、アリサの祖母という意識を外に置いて、内心では舌打ちしながら表情だけは強張った笑みを浮かべていたのだった。やがて、シジムは納得したのではないだろうが、言いたいことが言えて満足はしたらしく、急に晴れ晴れとした顔つきになって、まあいいやとトウマから背を向けた。
「アリサの同僚がはるばる来たんだ。お茶でも淹れるから、入っておいで」
「いや、まあ……、これでお暇しようかと」
「私のお茶が、飲めないのかい」
「そんなわけじゃないですよ」
「だったらいいじゃないか。さっさと入っておいで」
シジムはあくまで有無を言わせない。
アリサの祖母ではあるから、彼女から訊きたい昔ばなしもあるはずだった。せっかくの好意なはずであったのだが、トウマはどちらかというとうんざりとした気分になっていて、シジムの家に足を重い足取りで進めていた。歩いている最中に、ふと竜神ファルトマの姿がぽっかりと脳裏に浮かんでくる。
――あの婆さんと、ファルトマ“様”とは全然違うな。
町の象徴や中心として存在し、敬称をつけて町に住む人間たちから崇められているが、ファルマとシジムの器の違いを見せられたような気がしていた。竜神ファルトマなら、まずは旅人を労い、気さくで鷹揚に語り掛ける。部下に対しても優しく、しかし要所では威厳を示して秩序を保っていた。ファルトマは自ら人里離れて隠遁生活をしていたにも関わらず、いつの間にか人が集まるようになってしまったと首を傾げていたが、シジムの対応や町の人々との疎遠さとを比べると、その理由がわかるような気がしていた。
「……お前たちも変わってるな」
「コプ~?」
果たして理解しているのか。
苦笑いするトウマに、後からついてくるコプリたちは首を傾げて、無邪気にトウマを見上げていた。




