竜神ファルトマ
30分後、パウラ・ラウラに案内された場所は、竜神を祀る祭壇の間という話だったが、室内は真っ暗で入り口にわずかな灯火が点いているだけだった。よく見ると足下には紅い絨毯が敷かれ、両脇に燭台が並んで奥へと続いている。室内に入ると、パウラはトウマたちの一歩前に出て奥へと声を掛けた。まるで、闇そのものに向かってに話し掛けているかのように見えた。
「ファルトマ様、お連れしました」
『……そうか。客人をここへ』
それが竜神ファルトマのものなのだろう。闇の奥から聞こえる声は低く、獣ような唸り声にも似ていた。促され、前へと進もうとするパウラに待てと再び制止する声がした。
『その前に、窓を開けてくれないかな』
「ファルトマ様、外の陽射しは刺激が強すぎて、お体に障るのでは」
『私は老いたといっても、そこまで衰えてはいないよ』
「……」
「このところ、陽の光を浴びていない。せっかくのこの機会なんだ。少しなら構わんだろう』
「しかし……」
『それにこの暗闇では、客人の足下も不安だろう。せっかく遠くから来られたのに礼を失してしまう。さきほど頼んでおくべきだった』
「わかりました」
パウラは丁重に頭を下げると、トウマたちに少し待たれよと離れていった。窓が開放され陽が差し込むと、次第に石造りの質素な室内の様子がはっきりとしていく。それとともに、闇の奥から響く声の主の姿も明らかになっていった。
『やあ、ありがとうパウラ』
最後の窓を開けて、礼を言うその姿に、トウマとルークは息を呑んで立っていた。
「あれが、竜神ファルトマですか」
「たしかに神様扱いされるだけはあるよな」
トウマはいささか興奮気味ににやりと笑った。
室内の奥、わずかな壇といる場所に竜が一匹静かにうずくまっている。その体はあまりに巨大で、話から察するに相当老いているはずなのに、部屋の隅にいるトウマたちを圧してくる。差し込む光が銀色の鱗から反射し、鮮やかな輝きは荘厳に満ちていた。
戦士としての本能がそうさせるのか、どう闘ったら勝てるだろうかという興奮がトウマを激しく刺激していた。
『客人、どうぞこちらへ』
「はっ」
威厳のあるファルトマに促され、トウマは思わず深々と辞儀してしまっていた。竜神ファルトマから伝わる威厳が軍隊時代を想起させ、知らず知らずのうちにトウマを厳粛にさせているようだった。トウマとルークは心持ち背筋をぴんと緊張させ、ファルトマの前に立った。
「俺は……いや、私はアオルタ郵便局よりまいりました“配達士”トウマ・ライナス。もう一人はルーク・ターレスと申します」
トウマに紹介され、ルークが緊張しながら挨拶したのだが、ファルトマは無言のままじっとルークを見つめている。
『……』
「ファルトマ様?」
『いや、そちらの方の背丈が子どものようで、少し驚いてしまった』
「ああ、こいつはまだ11歳で、ちゃんとした子どもですよ。見習いとしてここに連れて来たんです」
『なるほど……』
竜でも人間と同じことをするのか、ファルトマは気を取り直すように、小さな咳をして話を戻した。
『政府からの親書を持ってきてくださったとか』
「そうです。是非、ファルトマ様にご拝読していただきたく、このように持参しました」
『申し訳ないが、どうも私の目が衰えてしまっていてね。見えないわけではないが、モノを読むだけでも疲れる。礼を失するが、パウラに代読してもらうことで勘弁してもらいたい』
「あ、いや、この手紙はファルトマ様自身に読んで頂きたいのです」
「ファルトマ様がああ言ってらっしゃる。私が代読しましょう」
「いや、その、ファルトマ様に直接読んでもらわないと……」
「何故です?」
「いや、ちょっと事情がありましてね。もし代読が必要でしたら、俺が……いや、私が代読します。ただ、少しの間、ルークと一緒に退席をお願いしたいんですが」
「僕もですか」
「頼むよ」
「トウマさんが言うなら……」
ルークは渋々ながら応じたものの、もう一人は納得できなかったようである。ポストマンとパウラの怒声が響いたが、怒りは当然と言えば当然だった。
「トウマ・ライナス、と言いましたか。あなたは中身が挨拶状と言ったではありませんか!」
「申し訳ないが」
「申し訳ないではなく、ちゃんと説明しなさい。この警備隊長であるパウラ・ラウラを騙って、バカにしているのですか」
『パウラ、やめなさい』
激昂するパウラを、たしなめるようにファルトマが言った。
『トウマ殿の要望に応じよう。ここは2人だけにしてもらいたい』
「ですが、ファルトマ様の身に何かあったら……!」
「トウマさんはそんな人じゃないですよ!」
訴えようとするパウラに、ルークが会話に割って入ってきた。鼻息荒く、向ける視線はまっすぐにパウラの瞳を捉えて離さない。
「トウマさんはどんな危険なとこへもひとりで飛び込んで、遠い町や村まで手紙を配達してきたんです。なんでトウマさんが、そんな非礼で非道なことをすると思っているんですか!」
「いや、私は彼のことをよく知らないから……」
「それなら、僕が責任を持ちます!」
ルークの剣幕にパウラか思わずたじろいでしまって、言葉が続かないでいた。
「トウマさんが畏れ多いことしでかしたら、僕が東洋に伝わる“セップク”をしますよ。こう見えてもターレス家の末裔。恥も罪も僕が背負います!」
「うっ……」
『思わぬ伏兵にやられたな、パウラ』
ファルトマがおかしそうに喉を鳴らし、目を細めていた。竜の顔で笑っても悪党がほくそ笑んでいるようにしか見えないが、機嫌は良いようだった。
『その少年がああも言っているんだ。少しだけ離れてもらいたい』
「はい……」
「まあ、パウラさんも仕事に専念しているだけだ。俺の刀を預っておいてくれ」
トウマは腰の刀を鞘ごと抜いて、パウラに突き出した。ルークの熱弁はありがたかったがそれとは別に、パウラには恥を掻かせた格好となっていて、顔を立てるというのもあった。パウラとルークが退出し、室内はファルトマとトウマのみとなった。沈黙の間が起き、どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。なんとなくトウマは耳を傾けていたのだが、ファルトマも同じだったかのように、鳥がどこかに飛び去ってからゆっくりと口を開いた。
『……さて、そろそろその手紙を拝見させていただこうかな』
「こちらですが、私が代読しましょう」
「いや、かまわない。こちらで読みましょう」
取り出した封筒が淡い光に包まれたかと思うと、トウマは引っ張られる力を感じた。封筒から手を離すとふわふわと宙に浮きファルトマの方へと引き寄せられていく。
「念動力……」
『不思議なもので、この身になってから使えるようになった力だ。この力で文字も読むことができる』
封筒はファルトマの前に止まり、パラパラと音を立ててひとりでに開かれていく。手品でも見せられているようだったが、それがファルトマの力なのだ。ファルトマはしばらくの間、手紙を凝視していたが、鋭い目つきがますます細く鋭い刃のようになっていく。やがて、場面を巻き戻すように手紙が折り畳まれ、封筒に納められるとトウマの手に戻って、淡い光も消失していった。一見便利な能力にも思える念動力は、かなり体力を消耗するらしい。ファルトマは深々とため息をつくと、眠ってしまったかのように沈黙をしてしまった。
「いかがでしょう、ファルトマ様」
『リイサ・ペンシル。彩王朝の姫、そして王家の再興か……』
「そうです。手紙にも書いてあるはずですが、政府はそれが再び戦乱の元となると考えています」
『……』
「私とルークはリイサをさらった組織と関わったことがありますが、問答無用の連中で巻き込またルークがひどい怪我を負わされました」
『……』
「ここからは私見ですが、彩王朝再興のためと言いますが、リイサは年少でただの田舎娘です。それを祭り上げることに彼らから大義も本気とも感じられません。ですが、相手は凶暴。竜神として彩王朝創立にも関わったファルトマ様の知恵と力を借りたいのです」
『竜神か……』
言い終えた後、ファルトマが自嘲気味に笑った。
『私は老いた竜。神とは名ばかりで、飾り物として祀られているだけの存在にすぎない。ペンシル家のリイサと娘とさほど変わらないかもしれない』
「いや、それは……」
『私は同じだと思うね』
トウマが言葉を選んで返そうとする間に、ファルトマはきっぱりとした口調で言った。
『彩王朝の始祖に協力したとは言っても、世に伝わっている話は9割が創作で1割が大袈裟なものだ。太祖のカラウス・フルデ・ペンシルに頼まれて目的地まで運んだのと、人の姿に変身し、2つ3つの助力しただけにすぎない』
「……」
『長生きなだけに歴史学者が重宝してくれているが、彼らにも本当のことは言いにくい。実際の私は、劇で言えば端役程度の役割しかなかった』
「……」
『老いてこの山に一族と棲む内、不思議と外部から人が集まるようになった。幸いにもここは政治には無縁で、宗教といっても清貧と質実で、自給自足の生活を送るための修行の場としての意味合いが強い。今のところは醜い争いも起こらずに、済んでいるのだが、いさかいが起きないように気を配るだけで精一杯なのだ』
「では、協力は無理だと?」
『……残念だが、私はこの身。出来ることがない。20年前までなら人の姿に変身し、体も動いたのが』
「そうですか……」
トウマは少し落胆して、口の端からため息が漏れた。当てになるのか最初から疑問があったのだが、直に耳にするとやはり多少の失望を感じずにはいられない。
『……代わりといってはなんだが、パウラはどうかな』
「パウラさんて、あの警備隊長さんですか」
『あれも実は竜の血族の1人。加えて武芸にも精通し、護衛役にぴったりだ。今の私よりはるかに役に立つ』
ファルトマは自分に言い聞かせるようにして、虚空をにらみながら何度も頷いた。
たしかに専門的にリイサを警護役がいれば、リイサ自身も安心だろう。加えて竜の血族という響きには、特別なものを感じる。ファルトマの推薦する人物なら、リイサを護れるだけの力や誠実さがあるのだろうとトウマは思った。
『ただし条件がある』
「なんですか」
『パウラと、あの少年とひと勝負させてからだ』
「あの少年?誰のことですか」
言いながらも、実際にはトウマはその誰かの姿が一瞬、脳裏に過っていた。しかし、ファルトマの意図が読めないので、まさかと打ち消していたのだ。
『あなたの連れてきたルーク・ターレスという少年だ』




