アリサ・サーバンス対クロン・ステイシア
轟音とともに吹き荒れた爆風は、魔法を使用したクロン・ステイシア自身でさえも視界を開けるのが困難なほどで、闇のように濃い灰塵が周囲に立ち込めていた。
しばらくして轟音がやみ、わずかに視界が拓けると、黒い塵が漂う中で地面に数十もの見物客らしき倒れ、或いはうずくまる影が映り、そこかしこからうめき声があがっている。
逃げ去った群衆の騒ぐ声はするものの、クロンを恐れてか、まだ誰も近づいてこれないからず、声はかなり遠く感じた。厄介なトウマ・ライナスや秘密警察の男たちも爆風に巻き込まれたのか、近くに姿も気配もない。
使用した魔法はクロンが詠唱無しで扱える中位魔法のひとつだったが、トウマたちを遠ざけた上に死者も出ている様子はない。運悪く打ち所が悪い者は知ったところではないが、威力をうまく調整できたことにクロンは満足していた。
「この隙に……」
クロンは右足の痛みをこらえながら、松葉杖一本残してウェルシー通りに足を向けた。治癒魔法をかけたとはいえ、長時間紐で固定し、圧迫し続けたせいで血の巡りがかなり悪くなっている。しばらく休息して血行を回復させるべきだったが休んでいる時間がなかった。失敗した今、アオルタから脱出することが最優先となっている。
――とにかく、アヴァロンの石像まで行かねば。
脱出に必要な武器はそこに隠してある。クロンの意識が石像に向きすぎたのだろう。後方から迫る気配に気がつくのに一瞬遅れた。のし掛かるような圧迫感を背中に感じた時、振り返ると銀色の閃光が頭上から迫っていた。
一条の閃光がクロンの頭部を叩き割ろうとする寸前、所持していた松葉杖で受け止めていた。攻撃してきたのは銀色のステッキで、血と煤だらけの女が歯を剥いていた。上品だった衣服もぼろ雑巾のようで、義手や太股まで露となっている
「クロン・ステイシア。あなたは血迷ったのか……!」
「そんな体と細い杖で、俺と戦うつもりか。アリサ・サーバンス」
「答えなさい。……答えろ!」
「君が知る必要ない」
「ふざけるな!」
アリサは焦げた長い髪を振り乱し、杖で執拗に連撃を仕掛けてきた。
杖は頑丈な金属製とはいっても、アリサの体を支えるためのただの杖でしかない。しかし、振り下ろした杖からは衝撃波が発せられ、建物の壁や道路を砕くほどの威力があった。
戦場から退いて久しいはずなのに、以前と劣らぬ鋭さや力にクロンも肝を冷やしたが、それも初めだけだった。不安定な義足では右足が回復しきっていないクロンを追い詰めることもできず、間合いも読まれ始めていた。
クロンは松葉杖をトンファーのように攻守一体させて巧みに操り、アリサの攻撃力を半減させて、容易に近づけさせないでいる。
「くそっ……!」
焦れたアリサは魔法を放とうとしたが、すぐに思いとどまった。クロンの背後には住民が居住する建物が建ち並んでいる。式典中、外出が厳禁となっているから建物の中に人がいるはずだった。アリサとしては近接して攻撃を続けるしかない。
――上半身に頼りきっているな。
クロンはそんなアリサを見抜き、わざと後退しながらアリサの隙をうかがっていた。組み技も考えたが、見た目はただの女といってもアリサの力は尋常ではない。今の距離がクロンにとってはもっとも安全なはずだった。
嵐のような攻防が続く中、二人はウェルシー通りにあるアヴァロンの石像近くまで移動していた。
「頑張れ、アリサさん!」
突如後方からルークの声が響いた。クロンが横目で見ると、追い掛けてきたらしいルークの姿がある。すり傷や埃で汚れているものの、必死に声援を送る姿からは怪我をしている様子は感じられない。
待っていろと言ったのにと、アリサの小さな呟きがクロンの耳に届いた。
「ルーク、離れなさい!」
アリサにしてみれば、ルークがここにいるのは予想外の事態だったらしい。大声で怒鳴ると注意がクロンから逸れた。それが致命的な隙となった。クロンはアリサの視線が逸れた瞬間、松葉杖の脇当て部分で押し退けると、松葉杖をくるりと変えて先端でアリサの胸部を打突した。強烈な一撃に何とか踏みとどまったものの、クロンには油断がなかった。
滑るように足を運んであっという間に接近すると、杖を構えたアリサの義手を松葉杖の間に絡めて肘ごとへし折り、そのまま勢いで放った後ろ蹴りがアリサの腹部を抉っていた。
「ぐ……!」
強烈な衝撃に押され、アリサは義手の破片を撒き散らしながら飛び退いたが、胃の腑から込み上げる感覚に耐えるために息も出来ず、そのまま地面に崩れ落ちていた。そんなアリサを、クロンは悠然と見下ろしている。
「アリサさん!」
ルークが血相を変えて駆け出そうとしたが、それよりも先に、クロンの放った強烈な衝撃波がルークの体を吹き飛ばしていた。ルークは硬い石造りの路上を転がされ、ピクリとも動かない。
「……ルーク」
「心配するな。気絶をしているだけだ」
「……」
「あのルークという少年を守るために、身を挺したのは見事と言いたいが見誤ったな。使った魔法は見た目が派手だが、目眩まし程度の威力しかない。まあ、それでも骨折くらいはするだろうが」
「……」
「忘れているようだが、強大すぎるお前と違って、俺や他の人間は魔力を制御できるんだ。しかし、魔女の末裔ともあろう者が見誤ったな。以前のお前なら、そんなことはなかっただろうがな」
クロンは松葉杖を捨てて、石像の前まで何気なく移動した。右足の動きに支障はなく、ようやく回復したようだった。足の具合を確かめながら、クロンは石像の台座部分に手のひらを当てた。手のひらから紅い光球が生じ衝撃を与えると、台座の側面が崩れ落ちた。中が空洞になっていて、暗闇の中に鈍い光沢がアリサの視界に飛び込んできた。刀の他に短銃やライフル、手榴弾まで置かれている。
「さすがにひとりで脱出するのに、刀と魔法だけでは心許ないからな」
「どこへ……行くつもり……」
「戦友の好みだ。アオルタの外へとだけ言っておく。機を見てまた戻ってくる。今度は手出しをするなよ。次は容赦しない」
「……行かせない」
「もう終わった。そんな体でこれ以上、どうするつもりだ」
クロンはうずくまるアリサを見下ろした。やがてアリサの全身を紅い光が包んだかと思うと、大気が震え大地が揺れ始めた。瞳にも燃え盛る炎にも光を宿し、アリサの唸り声とともに強大な魔力が膨れ上がっていく。
ほうと感心した様子でクロンは目を細めた。突然の地鳴りで、軍や町は混乱の悲鳴をそこかしこからあげている。アリサのおかげで、かえってクロンは余裕を持つことができた。
「凄まじい魔力だ。まともに喰らえば無事では済まない。だが、やはり頭に血が上っているな」
「……どういう意味だ」
「ルークが消し飛ぶぞ。それでも良いのか」
クロンの静かな言葉が、熱したアリサの思考に冷や水をかけることとなった。アリサの体が硬直すると、アリサを覆う紅い光も消失し、大気と大地の震えがとまった。アリサは膝をついたまま、愕然とした表情で地面に視線を落としている。どうしようもない虚脱感に襲われ、体に力が入らない。指先すら動かす気力も残っていなかった。
「理解したか」
「……」
「あのまま魔力を放出すれば、アオルタも5分の1は廃墟になっていただろうな」
「……」
「“戦乙女”としてはらしくないが、人としては正しい判断だ。手足を失い戦士とは言えないが、今のお前の方が以前より人としてずっと魅力的だ。出会い方が違えば、惚れていたかもな」
少し照れくさそうに口の端を歪め、クロンは背を向けた。
陽に照らされた広い背中が眩しく、その背を追ううちに視界が滲み、アリサの頬に熱いものが流れるのを感じた。
完全敗北。
無力感。
それなのに敵であるクロンから不意に優しい言葉をかけられ、わずかに嬉しさを感じている自分に気がつくと、情けなく悔しくて涙が止まらないでいた。
あの時の感覚に似ているとアリサは思った。
かつての上官に人殺しだと詰られ、鬱屈したままタイプライターを打っていたあの時。そんな時、救いの手を差しのべてくれたのは誰だったか。
「トウマさん……」
思わず漏らした呟きにクロンの足が止まった。惚れていたかもと言った直後に、他の男の名前。
――なぜ、ここで奴の名前を言うか。
嫉妬に似た感情がクロンの胸を焦がし、振り向くとクロンの表情が瞬時に強張った。その変化はアリサからもはっきりと見てとれ、アリサが急いでクロンの視線を追うと、青い空を背に飛ぶように迫る男の影が映っている。男は全身傷だらけであったが、悪鬼のように歯を剥きだしにして手のうちに光球を生じている。
アリサとクロンは同時に言葉を発していた。
「トウマさん!」
「トウマ・ライナス……!」
クロンは自らの呟きで我に返ると、急いで魔力を集中させようとした。しかし、先を制したのはトウマ・ライナスだった。
「アリサ、伏せろーーーっっっ!!!」
トウマ・ライナスの咆哮とともに灼熱の光弾が放たれた。アリサは咄嗟に近くの身を伏せたが、クロンには逃げる暇もなかった。詠唱も魔力の集中も必要としない下位魔法を放つしかなかったのだが、直撃を防ぐのがやっとだった。
「くそっ……!」
魔法同士が衝撃した影響で、熱で蒸発してできた蒸気と魔力の残滓が煙幕となり、クロンの視界を奪った。
――どこから仕掛けるつもりだ。
背後からの奇襲を警戒し、クロンの動きが止まった。
「うらああああああっっっっ!!!」
「なに!?」
トウマはクロンの一瞬の隙を見逃さない。
真っ正面から煙幕を突破して咆哮した。脇を締めてためこんだ拳はかたく握りしめられている。虚をつかれてクロンの反応が遅れた。
放った右の拳がクロンの左頬に叩きつけられると、視界が歪んでクロンの意識が一瞬とんだ。
「これで……、どうだあぁぁっっ!!」
トウマの叫びを聞きながら、悪夢のような連打から、後ろ回し蹴りまでをからくも防げたのは、これまで鍛練と実戦を重ねた経験や実力が本能的に出たもので、反射的に魔法を使って間合いを取れるまで、クロンの意識は薄れて混濁していた。
再び意識を取り戻した時、クロンは自分の腕の痺れと、トウマが丸腰でどこかで拾った布切れを、バンテージ代わりに巻いていることにようやく気がついた。最初の爆風で自分の刀を見失ったらしい。
「トウマ・ライナス……。素手で俺と戦うつもりか」
「素手はお前も同じだろうが」
トウマはぐっと奥歯と拳に力がこもった。怒りが沸点に達し、体が小刻みに震えている。熱を帯びた頭が爆発しそうだった。
「……よくもルークとアリサを傷つけたな。容赦しねえぞ」




