それでも俺は食らいつく
クロン・ステイシアは近づいてくる女の姿を見て愕然とし、次いで隣で介添えしてくれている少年には気づかれない程度に、鋭く舌打ちした。
“天風党”が壊滅し、同志の復讐と彼らの意志を遂げるためにここまでの道のりには険しいものがあったが、クロンにしてみれば計画はすべてがうまくいっていたのだ。アオルタに潜伏し続け、わずかに残った以前からのシンパと新たな協力者から提供された金と情報を最大限に生かして、あとわずかなところまで来ようとしていた。
右の足をなくした傷い軍人の変装も完璧で、軍用ロングコートは隠した足のカモフラージュにも役立った。町を堂々と歩いても兵士の誰もクロンと気づいていない。片足姿という強烈な印象で注意がそちらに向かいがちなのと、途中で声を掛けた少年の存在が大きい。
背中に背負う時代がかった古い大剣が不似合いだったが、明るく親切な少年で、彼が面倒をみてくれたおかげで、兵士たちも警戒心を解く役割を果たしてくれた。
すべてはうまくいっていた。あとは“通用口”という鉄柵の隙間を通ってしまえば目的が達成するまで容易い。
――それが、最終段階という時に……!
体を負傷し傷い軍人としてアオルタで働いていると噂で聞いていたが、詳しくは知らないでいた。しかし、過去の任務上での付き合いからスタンドプレーを好み、積極的に人と関わる性格ではないと認識していたので、こうした式典などで町を出歩くと思ってもみなかったのだ。
その女は大きな声を出し、手にした杖を振った。ルークと呼ばれた少年は女の声に気がつくと、露骨に苦い表情をしながら手を挙げた。
「アリサさんかあ……」
「君はあの女性と、知り合いなのかね」
「同じ職場で働いているんですよ。事務職で普段は優しいけれど、たまにおっかないんですよ。さっきもからかったら、怖い顔されちゃって」
「事務職で……、優しいか……」
クロンはますます驚いていた。戦場では頼りになった戦士ではあったが、鉄面皮のようなあの女からは冷徹さしか感じたことがない。敵への容赦の無さはクロンさえも戦慄したものだ。あの女が事務職として働いているだけではなく、からかいが通じるだとか優しいとまで言われていることに、クロンは混乱に近い戸惑いさえ覚えていた。
――あの“戦乙女”がか。
目を剥くクロンにその女――アリサ・サーバンス――は、杖をつきながらぎこちない足取りで近づいてきた。
「あの女性、足の怪我をしているようだね」
「戦争で左手と右足をなくしているんですよ」
「……そうか。気の毒にな」
「でも、腕の方は軍から良い義手をつけてもらって、今は字を書けるまでになったんですよ。足だってそのうちできますって」
「早く、そうなると良いな」
ルークとしては、老人を励ますために丁寧に教えたつもりだったのだが、クロンにとってはありがたい情報となっていた。クロンは戦争当時のアリサの動きを思い出しながら、義肢となった場合とを比較して動きや間合いを考えていた。
やがてアリサがクロンの前で立ち止まったが、神妙な面持ちではあっても警戒してする様子はない。クロンからすれば隙がいくつもあった。
「お久しぶりです」
ぎこちなく微笑むアリサに対し、クロンより先に反応したのはルークだった。
「アリサさん、この人知り合いなの?」
「クロン・ステイシア……ですよね。私を覚えておられますか」
「はて、どなただったかな」
「私はアリサ・サーバンスです。戦場で何度か一緒だったではありませんか」
「さあ……」
クロンは惚けたふりをして首をひねった。アオルタ内の兵士の目をもくぐり抜けたクロンの変装を、一目で見破ったアリサの観察眼には驚嘆させられたが、誤魔化すには芝居を演じ続けるしかないとクロンは判断した。
周囲に人が多く、意識と視線は会場に向けられている。会場からはまだ音楽隊の“ドンナー・トッキモ”の曲が鳴らされ、お互いのやりとりは音楽にかき消されているようだが、いつ周りに聞こえても不思議ではない。すでに見物人の中で、秘密警察と思われる男たちを2人ほど確認していた。
うかうかしていれば再び不審の目を向けられる可能性が高く、クロンとしては芝居を続けるしかなかった。
「……私は足の他に頭をやられて、昔のことは記憶にないでな。お嬢さん」
「レイティア奪還作戦や、ルゼ砦撃滅作戦のこともですか」
「頭を銃でやられて、昔のことを考えると頭が痛むのでな。今はあまり考えんようにしているよ」
「……」
「私は身分証明書の通りの身だ。なんだったら、見せようか」
クロンは痛みに堪えるように顔をしかめ、懐の身分証明書を取り出す真似をした。この女は今の俺を何も知らないらしいと安堵しながら、いかにも鈍くみせるよう心掛け、緩慢な動作でコートの内ポケットを弄っていた。
「アリサさん、もう良いじゃないですか。この人がかわいそうですよ。人違いじゃないんですか」
見かねたルークがたしなめるように言うと、アリサは諦めた様子で肩を落とし、小さく頭を下げた。
「申し訳ありません。私の知り合いに良く似ていた者ですから、懐かしさのあまりにご迷惑かけてしまいました」
「……もう、いいかね。早く家で休みたいのだが」
「ウェルシー通りにご自宅があるのでしょう?そこまでお手伝いいたします」
「いや、荷物もないし、この少年に世話してもらうだけで充分だよ」
「私も不具の身、困った時はお互い様です。距離も少しありますから付き添わせてください」
「……そうかい。済まないね」
言葉では礼を言いつつも、クロンはアリサに対し余計な手出しをしてきやがってと苛立っていた。アリサの登場で、余計な時間を過ごしてしまっている。“ドンナー・トッキモ”の演奏も終わろうとしていた。予定なら既にウェルシー通りに入っている時刻なはすだった。
――少なくともあそこまで行かなくては。
クロンは松葉杖を握る手にそっと力を籠めた。ウェルシー通りの途中に、軍神アヴァロンの石像が設置されている。工作したの式典の数日前だが、そこに自分にとって大切な武器がそこに隠してある。
――だが、どうやって誤魔化すか。
虚ろな表情を装いつつ、クロンの思考は目まぐるしく回転していた
「……そういや、トウマさんはどうしたんです」
ルークの何気ない質問に、慌ただしかったクロンの思考が急ブレーキをかけた。曲げた体が電流にでも打たれたように起き上がり、もう少しで声を出してしまうほどの強い衝撃を感じていたのだ。
トウマ?今、トウマと言ったのか。
アリサはルークとの会話に気を取られ、クロンの変化に気がつかなかった。何かあったように感じただけで、すぐにルークとの会話に戻っていた。
「先に私が出てきました。会計をしてからこちらに向かっているはずです」
「なら、僕がこのおじいさんを送りに行きますから、アリサさんはトウマさんと待っててくださいよ。いないと心配するから」
「心配させておけばいいのです。あの人は」
「……何かあったんですか」
「知りません」
素っ気なくアリサは答えたが、クロンは2人が呑気な会話を交わす間、クロンは呆然と地面に視線を落としていた。
トウマ・ライナスがここに向かっている。
政府がトウマに警護の依頼をした情報を、クロンも耳にしていた。しかし、その後に依頼を断ったと聞いている。トウマは警戒すべき相手ではあったが、クロンにしてみれば命令に束縛される分、承諾してくれた方が動きやすい。また、断ったということはテロはないと考えてのものだとクロンは推測していた。
最も恐れていたのは「ふとした偶然で出会うこと」で、それを起こさないために念入りな計画と変装をしたのだが、その「ふとした偶然の出会い」により計画も破綻しようとしている。
――しかも、俺から声を掛けた少年が、“戦乙女”と“疾風”のトウマに繋がっていたとはな。
クロンは自嘲すらできずに呆然と佇んでいたが、その姿が憔悴しきったように見え、アリサは自分たちの会話が弾んでいたことに気まずさを感じていた。
「申し訳ありません。自分たちだけで会話して」
「……が」
「え?」
なにかを呟いた気がして、アリサは耳を傍に寄せた。枯れ葉のように掠れた声がアリサの耳に流れ込んでくる。
「……トウマ・ライナスがここに来ているのか」
「トウマさんのことを……。やはりあなたは」
「あ、トウマさあん!」
ここですよとルークの明るい声に反射して、クロンとアリサが顔を上げた。
2人が向けた群衆の中に、懐かしさすらある男とクロンは視線がぶつかった。施設時代から変わらぬ強い瞳がまっすぐにクロンを捉えている。驚愕と緊張と警戒で、男の表情は凍りついたように強張っていた。アリサの時とは違う、明らかに事情と正体を知り、危険を察した者の顔つきだった。
クロンとしても、かつて親友と呼べる男と刃を交えたくはなかったのだが、こうなってはどうにも避けられない。
――これも運命というやつか。トウマ・ライナスめ。
クロンはコートを少しめくり、自分の無くした側の右足へと、そっと手を延ばした。
「……やはり、ひとりの力ではこんなものかな」
「どういうことですか」
しわがれた声が急に若返っている。
独白と声質を不審に思い、アリサが振り向くと、刹那、老人めいた男から強烈な殺気が吹き荒れ、アリサの全身に悪寒がはしった。
片足だったはずの男が、今は2本の足で地面に立っている。右手には治癒魔法と思われる白い光が生じ、それを右膝に当てていた。一方の左手には小さなボール程度の大きさではあったが、真っ赤に輝く光球が浮かんでいる。
誰かがわあっと叫んだ。
「おい、魔法だ。火の魔法だよ!」
近くにいた見物客が異変に気がつき、悲鳴がわき起こるとともに一気に騒然となった。
群衆の波に逆らうように、トウマの他、別の方角から私服の男2名が駈けてくる。クロンの予想通り、秘密警察の男たちだったらしい。
「……だが、俺にはすべきことがある」
「クロン、あなたは……!」
アリサは素早く魔法を放とうとしたが、傍には立ちすくむルークがいる。魔法の衝撃に巻き込んでしまうと、一瞬動きが止まった。
その刹那だった。
クロンの手のうちにある、紅の光球が急激に輝きを増した。
「アリサ、ルーク、逃げろ!」
トウマが叫んだ瞬間、クロンの放った光球が地面に叩きつけられ、強烈な閃光とともに爆風と熱波が、アリサたちや周囲の見物客へと襲いかかっていた。




