第13話
小鳥先生の話の後すぐに天音さんが購買に入って来た。どうやら走って来たようで、息が少し上がっている。
彼女は涼葉と一緒に購買を一通り見ると、飲み物だけ選んで小鳥先生のところへ運んだ。バーコードをピッして出てきたレシートに、天音さんがサインしてそれを小鳥先生に戻す。
「オレたち、ビップ待遇だよな」
購買を後にし、ペットボトルのキャップを捻りながら航輝が呟く。
「こういう飲み物一本だってタダで飲めんだぜ? それって凄くね?」
航輝はそんなことを言ってコーラを口に含んでいるけど、僕は逆に不安だ。〝タダより高いものはない〟んだよ? とは言っても、僕が我慢してもしなくても結果はきっと変わらないだろうから、タダに便乗して好きなものを好きなだけいただくつもりだけどね。
僕たちは教室に戻るのも気乗りしなくて、低い校舎の屋上へ向かった。三階ほどの高さしかなかったけど、都会じゃないから高い建物もなくて、辺りは緑が色鮮やかな森林で、リフレッシュした気分になれる。
だけど、心地よい風が吹き抜けるこの場所にも先客が。
黒髪ストレートヘアの美人。背がすらりと高くて、大人っぽい雰囲気を纏う。だけど、僕は見た。彼女が東京駅で長く伸ばされた制服のスカートを穿いてしゃがみ込んでいたのを。今時珍しい古風な不良さん。名前は確か、宮本千里さん。
彼女は僕たちが屋上に来たことに気付き、こちらに振り向いた。だけど、我関せず、といった感じで、彼女はそのまま柵に組んだ腕を乗せて風に当たっていた。風が通り抜ける度、彼女の髪がさらさらと美しく靡く。
「あの、宮本さん。わたしたち今から雑談するけど、宮本さんももしよければ混ざらない?」
不良さんに涼葉が臆せず近づく。僕は少し遠目から冷や冷や。だって宮本さん明らかに、私に話しかけないでオーラ出してるんだもん。
宮本さんは切れ長の瞳を少し歪ませ、ギロリと涼葉にその目を向けた。
「アタシは一人が好きなんだよ! 誰の許可取ってアタシに話しかけてんだよ!?」
無茶苦茶だ……。見た目が見た目だけに、凄く残念。メンチ切った顔が怖い。だけど、ある意味期待を裏切らない反応。
「ゴメンね。じゃあ、話したくなったらいつでも声かけてね。折角十人しかいないんだし、みんなで仲良くしたいから」
涼葉は苦笑しながらそう言い残し、宮本さんから離れてこっちにやって来た。涼葉強し。
僕たち四人は気持ちのいい青空の下、屋上のど真ん中に腰を下ろす。六月だというのに、今日はあまりジメッとしていない。
「天音さんって、出身はどこ?」
僕はカフェオレの蓋を開けてから、天音さんの方に目をやる。彼女は最初に自分に話が振られたことに驚いていたけど、小さな声で恥ずかしそうに答えてくれた。
「しゅ、出身というか……、生まれてから引っ越したことがないからずっと東京なんです」
「ふーん、そうなんだ」
僕が鼻を鳴らすと、涼葉が怪訝そうに僕の顔を覗き込んできた。
「その質問、さっきも重富くんに訊いてたよね? 何企んでんの?」
企むも何も、まだ二人にしか訊いてないじゃないか。それに、
「初対面の人と会話する時は、まず相手のことを知ろうとする質問をするのが定石なんじゃないの?」
「それはそうなんだけど、今最初に雫ちゃんに質問すべきことって、面談がどんな感じだったか、ってことじゃないの? そんな大事なことを差し置いて出身地なんて訊いてるから、よっぽど大切なことなのかな、って思っただけ」
そう言われると確かにそうだ。天音さんは面談のトップバッター。だったら、何よりも先に訊くべきことは面談の内容だ。それを飛ばして出身地を訊いたのは不自然だったか。涼葉に指摘されて、早まったと若干後悔。
「で、その面談はどんな感じだったの?」
涼葉が興味津々に輝く瞳を天音さんへ向ける。彼女は戸惑いながらも一生懸命話し始める。
「普通だったよ。科目の好き嫌いについてとか、全般的な得手不得手についてとか。あと、好きなことは何で、嫌いなことは何なのかとか、今までの人生の中で最も印象のあるエピソードは何かとか、不思議な体験を経験したことあるかとか……」
前半はまあいい。だけど、後半は普通の面談でなくなっていると思うけど……?
「それで、雫ちゃんは何て回答したの?」
涼葉に促されて、天音さんは逡巡する様子を見せながらも、徐々に会話に慣れてきたように話を進める。
「好きな科目は国語と音楽、嫌いというか苦手な科目は数学……、得意なのはフルートを吹くことで、苦手なのは人前で話すこと……、好きなことはフルートと読書で、嫌いなことっていうか、嫌いなものは人混み」
なるほど、何となく天音さんの人物像が見えてきた。
「人生の中で最も印象的だったエピソードは、一瞬周りから音が消えたことがあったこと。不思議体験は遠くの人の声がはっきりと聞こえたこと……かな」
一気に話し終えて、胸に手を当てながら深呼吸する天音さん。その彼女と相対して唖然とするのは僕と涼葉。
「えーっと、周りから音が消えたとか、遠くの人の声が聞こえたとか、それって一体……?」
エスパーじゃん! 僕は涼葉より先に天音さんに訊ねてしまった。
「周りから音が消えたのは私もよく分からないんだけど、遠くの人の声がはっきり聞こえるっていうのは不思議体験というか……、今でもそうなの」
何を言い出す、天音さん!!
「遠くの人っていうのは、具体的にどれくらい遠く?」
僕の質問に、天音さんは立って屋上から周りを見回した。木が茂っていて距離がよく測定できないようで、困り顔でこちらに戻って来た。
「何とも言えないけど、少なくとも寮くらいであれば聞こえると思う」
それってもう耳がいいってレベルじゃないよね!? 小鳥先生の見た目に続き、開いた口が塞がらないパート2。
「人に言っても気持ち悪がられたり、信じてもらえなかったりするから、ほとんど言わないんだけど、みんななら信じてくれるかなって思って……」
照れながら告白する天音さんは、ちょっと可愛らしい。いやでも、今はそれどころじゃない。
「雫ちゃん、それって例えばここから寮の三〇三号室の人間が話していることが聞こえるってこと?」
今度は涼葉の質問に天音さんが首肯する。涼葉も信じられない様子で、更に訊ねる。
「寮に何人かいるとして、その中で三〇三号室の人の声だけを拾うこともできるの?」
「うん。自分の聴きたい音だけを拾うことができるよ。小声で囁いても一定の範囲内であれば聞こえるし、その人の鼓動や足音なんかも聞き取ることができるよ」
そこまでいくと、天音さんには失礼だけど、最早エイリアンですね……。
「えっと、じゃ、じゃあ普段はどうしてるの? 音が沢山あるのに、どうやってわたしたちと会話してるの? いちいち、自分が聴き取る音を瞬時に識別してるの?」
今度はかぶりを振る天音さん。
「普段は遠くの音を聞き取ることはなくて、みんなと同じように聞こえてるんだけど、遠くの音を聴きたくなったら聴けるってだけ」
天音さんはそう言った後、慌てて台詞を付け加えた。
「あ、だけどね、みんなの話を盗み聞きしたりとか、そんなことはしてないよ!? 本当の本当にそんなことはしてないから、そこは信じて……!」
天音さんの必死の訴えに、僕と涼葉は力強く頷く。安心したように胸を撫で下ろす天音さんは、自分のことを信じてもらえたことが余程嬉しいらしい。
「いつから遠くの音が聞こえるようになったの?」
折角こんな珍しい能力を持った人間に出会えたのだから、質問は沢山しておかないと。僕は遠慮なく天音さんに質問を投げかける。
「うーんと、中学生くらいの時かな? 小学生の時は、時々変な音が聞こえるな、くらいにしか思ってなかったの。今思うと、普通に周りにある音と遠くの音が混じって聞こえてたんだと思う。だけど中学三年生くらいかな、周りから音が一時的に消えるっていう現象があった後に自分が拾いたいと思う遠くの音だけを拾えるようになったの」
その能力があれば、近づくことなく盗聴器も使わずに、犯罪組織の野望とか行動とか分かってしまうかもしれないな。そうしたら天音さん、警察のトップになれるかも。それとも、マジックの世界で有名になるとか?
「じゃあ、仮に僕が寮から天音さんに向かって話しかけた時、屋上にいる天音さんにはそれが聞こえないってこと?」
僕はしょうもないことを考えたその頭で、違うことを天音さんに訊いてみる。
自分で聴こうとしないと聴けないのであれば、遠くから話しかけられても分からないってことだよね?
僕はそう考えたけど、天音さんは首を横に振った。
「普通に会話している音を拾おうと思ったら、私が意識的に聴かなきゃいけないんだけど、誰かが私に話しかけている場合は別なの。小声で話していても、自分の名前が話に出たらそれだけ聞こえるってことあるでしょ? それと同じで、私の耳が無意識の内に話を選別して、私が関係していたり、私への話だったりすると聞こえるようになってるんだ」
へぇ、それはとっても便利。でも、わざわざ遠くから天音さんに話しかける人っていないよね。科学技術の発展のお陰で、現代には携帯電話なる優秀な機器が存在するわけだし。
それにどうやってそんなこと調べたのかな? 家族はきっと天音さんの能力を知っているんだろうから、お母さんか誰かと色んな実験でもしてみたのかな?
「重富くん……、どうしたの? 大丈夫?」
僕が感心しつつ唸っている横で、何も喋らず体を震わせる人物が一名。あまりに発言しないもんだから、涼葉が声をかけるまで存在を忘れてたよ。
航輝は涼葉の声にぴくりと体を反応させ、俯いていた顔を上げた。その表情はキラキラと輝き、真っ直ぐに天音さんを見つめる。
「感動したっ!! 天音さんにはそんな凄い力があるんだな! オレの不思議体験はしょぼいもんだったからさ……」
苦笑する航輝に、まさか……という目を向ける僕と涼葉。
「航輝……、お前の不思議体験を僕たちに聞かせてくれない?」
不思議そうな顔をしつつも航輝は快諾した。