第11話
隣の教室は僕たちの教室と同じ広さで、使用しないはずの黒板もしっかり備え付けられていた。僕たちが入った扉は教室の後方のもので、入るとすぐに各教科の教科書が十冊ずつ積まれた机があり、それは窓側まで続いていた。
だけど、特筆すべきはそんなことではない。明らかに目立って怪しいのは、この教室に設置された五台の白く細長いボックスだった。人一人は裕に 入ることができそうだ。
僕たちの脳を図る検査をこの教室でする、と都築さんが話していたことを思い出すと、恐らくそれは測定器なんだろうけど、全く使い方が分からない。大きさからしてそのボックスの中に入って測定されるであろうことは予想が立つけど、僕が想像していたものとは随分と違う。色んなコードが付いたヘルメットみたいなものを被って測定されるのだと思っていたから。
僕はそんなことを考えながら、英語、国語、数学……、と教科書を手に取っていっていた。だけど、何かが床に落ちる音で僕の思考は一時中断された。
僕の右にいた、くまのぬいぐるみを抱えたお嬢様、西園寺さんが教科書を落としてしまったのだ。
僕は一度自分の教科書を目の前の机に置いて、彼女が落とした教科書を一緒に拾う。そして真摯にも拾った教科書の文字を西園寺さんに向けて、差し出した。
ぬいぐるみを片手で抱えたままの西園寺さんを見て、僕は思った。そりゃ片手で教科書取っていれば落とすわな。
西園寺さんは僕が拾った教科書を、やっぱり片手で受け取った。
「ありがとう」
彼女からの言葉はそれだけだった。特に笑顔を見せてくれるわけでもなく、真顔でそれを受け取ったのだ。人見知りなのかな?
西園寺さんは気にせず、自分が取った教科書をこれから取る教科書の上に一度載せ、新しい教科書を一冊含んだ冊数を片手で持ち上げる。よっぽどそのぬいぐるみ、大切な物なんだな。
教科書だからそんなに厚くないといっても、これだけの科目のものを女の子の片手で持つのは厳しいんじゃないかな、と思って、僕は彼女に声をかけた。
「あのさ、もしよければ西園寺さんの分の教科書も僕が持とうか? 右手に西園寺さんの、左手に僕の教科書を持つから、西園寺さんが僕のそれぞれの手に教科書を載せてくれればいいし」
西園寺さんが円らな瞳で僕を見つめる。上目使いに若干戸惑う僕。
「ありがとう」
西園寺さんはさっきと同じ台詞を繰り返し、手に持っていた教科書を僕に差し出してきた。僕はそれを受け取り、右手に抱える。
新しい教科書を僕の右手と左手に積み上げていく西園寺さん。無言でこんな作業するのも何か変だと思い、僕はコミュニケーションを取ろうと会話を振ってみた。
「随分そのぬいぐるみ……大事そうに持ってるけど、誰かの形見とか、そういう代物なの?」
僕の言葉に反応するように、西園寺さんは動きを止めた。もしかして、いきなり核心に触れてしまったか? と僕の心中には若干の焦燥が生まれる。
西園寺さんは僕のことをじっと見つめている……はずだったが、すぐに焦点が合わなくなった。僕を通り越して、その先を見通しているような、そんな魂が抜けたような瞳。一、二秒そんな様子を保っていた西園寺さんが、今度はしっかり僕の瞳に焦点を合わせた。
「このぬいぐるみは、お守りみたいなもの」
「お守り?」
西園寺さんがコクリと頷く。
「一人でいると不安で、悪いことばかりがわたしを覆い尽くす。だから、そういうことを考えないように、一人じゃないって思えるように、常にこの子と一緒にいるの」
左手に抱えたぬいぐるみの頭を右手で撫でる西園寺さん。何だか変わってて難しい子だな。
「そっか……、でも大丈夫だよ。西園寺さんは一人じゃないから。少なくとも僕がいるし」
口を突いて出たのは、そんな台詞だった。どっかのキザ野郎を気取ってんのか!? 僕は。
言った後の気まずさにちょっぴり居心地の悪さを感じていたが、西園寺さんは僕の予想外の表情を見せた。思わず僕は目を剥く。さっきまで無表情を貫き通していた彼女が、優しく可愛らしく微笑んだのだ。
「そう言ってくれると思ったから話したんだよ」
どうすればいいんですか、僕は。さっきまで抱いていたイメージとのギャップが半端ないんですけど! これって反則でしょ!!
そんな僕の思いを余所に、西園寺さんは一瞬の内にさっきまでの無表情に戻ってしまった。あまりの切り替えの速さに、数秒前に見た笑顔は幻覚だったのではないか、と本気で思う。
教科書を全て取り終わると、次に待っていたのは体育用のジャージだった。濃紺に白いラインが入ったようなもので、男女同じデザインだった。S、M、Lの三サイズからの選択で、僕は迷わず、透明のラッピング袋らしきものに包まれた男性用Mサイズのジャージを取る。西園寺さんは女性用のSサイズを選択していた。
僕と西園寺さんが一番遅かったようで、教室に戻ったのは最後だった。僕は右手に抱えていた教科書の束を西園寺さんの机の上に置き、自分の席に着く。
全員が着席したことを確認して、都築さんが話し始めた。
「君たちの後ろにあるロッカーだが、好きなように使用してくれ。教科書は重いだろうから、必要な時以外後ろに置いておいた方がいいのではないかと思う」
教室の後方に目をやると、縦横四十センチ四方のロッカーには既にワープロ文字で打たれた名札が入っていた。
「以上で本プロジェクトの詳細説明は終了だ。残りの時間、今日は出席番号順に一人ずつ面談を行う。場所は隣の教室を使用する。時間帯は黒板に貼っておくから見ておくこと。十時から開始で一人四十分を予定している。次の生徒の迷惑になるから遅刻はしないように。では解散」
都築さんはA4の面談表を黒板の右端に貼って、教室から出て行ってしまった。教室には椅子を床に引きずる音が響き、七割の生徒が彼女の残した紙に集中する。
見終わった数人がすぐに退いてくれたお陰で、すんなり自分の時間を確認することができた。
「ゆーすけ三時半からじゃん。わたし十二時からだから、それまで購買でも見に行かない?」
先に時間を確認して一度離れていた涼葉が、僕を待っていたかのように隣にやって来る。
「お、それいいね! オレも一緒に行っていい?」
今度は僕の後ろから表を眺めていた航輝が涼葉の話に乗っかる。
「勿論!」
涼葉は笑顔を見せるが、僕まだ行くって言ってないよ? まあ、別にここで返事をしなくても結局付いて行くんだけど。
「雫ちゃんは面談一番だから、もしよければ終わったら購買に来て。そうしたら一緒にお昼ご飯食べよ」
涼葉は振り返り、恥ずかしそうに後ろで立っていた天音さんに声をかける。いつの間に〝天音さん〟から〝雫ちゃん〟に格上げしたんだ?
「あ、ありがとう」
天音さんは涼葉の誘いが嬉しいらしく、俯きつつも微笑みを見せた。