第四層:白い雪崩
今回の第四層で第二章完結になります。
「もう全部終わったね。今日もお疲れ様でした」
工房内を見渡すと、作業台はきれいに片付いている。
ステンレスの天板が、静かに光を反射していた。
今日は男性のお客さんが多かったな。
多分、ホワイトデーだからなんだろうけど。
「ハチさん、お疲れ様です。今日は疲れましたね」
朔久くんは片手で肩を揉みながら、大きな欠伸をしている。
その姿に思わず笑みがこぼれた。
時計を見ると、18時過ぎ。
こんな時間になるのは珍しいけど、今日は販売量を増やしていたし。
それでも全部売り切れてよかった。
「まだ明日の営業もあるけど、とりあえず今日はゆっくり休んで」
「そうします。お疲れ様でした」
工房を出て行く朔久くんの背中を見送りながら、僕も帰ろうとコックコートのボタンを外すが…。
「あ、そう言えば。一つ余ったスポンジ、ラップに包んで棚に置いておきましたんで。あと…ハチさん、誕生日おめでとうございます。じゃあ、また明日」
言いたいことだけ言って、足早に帰って行った。
朔久くんの勢いに、思わずぽかんとしてしまう。
「そうか、今日は僕の誕生日か……」
そう聞いても、なんとも思わない僕はおかしいのかな。
それに、今日はいーくんも仕事でいないし。
「いつも通りの土曜日だ」
僕も帰ろうかな。
明かりを消そうとして、手が止まった。
「スポンジ……。まぁ、明日の朝考えるか」
今度こそ、明かりを消して工房をあとにした。
お風呂もご飯も済ませ、リビングで本を読みながらのんびりと過ごしていた。
夜はまだ寒い。
暖房を付け、暖かい紅茶を入れて。
ふと、音もなく、シーンとしていることに気づいた。
「一人って……こんなに静かだったっけ」
いつも、週末は一人のことが多い。
だから、一人の夜は慣れてるはずなのに……。
もう一度本に視線を落とすけど、なんとなく落ち着かない。
パタンと本を閉じる音がリビングに響く。
「そうか……。誕生日だから。だから落ち着かないのかな」
窓際に移動し、指でカーテンに隙間を作って外を覗き込む。
庭の灯りがぼんやりと浮かんでいる。
「そうだ。こういう日だからこそ、あのケーキをブラッシュアップするの、いいかも」
そう思った時にはもう、足は工房へ向かっていた。
休憩室の棚からレシピのファイルを取り、作業台の隅に広げる。
そっと表紙をめくると……。
一番初めにファイルされているレシピに、思わず口元が緩んだ。
店を始める時に「何か自分を表すようなものを」そう思って作った、最初のケーキ。
今までに何度も改良してきたけど、いつも、もっと良くしたいって思いが湧いてくる。
粉の配合や、生地の厚み。それに、層をどのようにするか……。
飾りは?
全体のバランスもこれでいいのか?
ひとつひとつ見直していく。
しんと静まり返った工房に、メモを走らせる音だけが響く。
「ハチ!」
「え?」
横から聞こえた声にハッとして顔を上げると……。
「……うさぎ?」
何が起こっているのか分からなくて、固まった。
どう見ても、巨大なうさぎ、なんだけど……。
え?何?
片耳には、長めに結ばれた赤いリボンが揺れている。
「あははっ」
うさぎの横からひょこっと顔を出した人物を見て、声を出して笑ってしまった。
「ハチ、誕生日おめでとう!日付変わる前に伝えたかったんだよ。間に合ってよかった」
そう言いながら、ぎゅっと巨大うさぎを抱きしめてるいーくんに、またも声を出して笑ってしまった。
「それ、どうしたの?」
「ハチへの誕生日プレゼント。ハチが大事にしてる絵本のうさぎに似てるって思ったんだけど……」
そう言いながらも自信がなくなってきたのか、声が小さくなっていく。
そんないーくんが、なんか愛おしかった。
でも……。
「ねぇ、それ、もしかして……。新幹線で持って帰ってきたの?」
なんか、想像したらおかしくて。
「そうだよ。ちゃんとうさぎの座席も買ったし」
いや、大事なのはそこじゃないんだけど。
でも、なんかいーくんっぽいなって。
「ハチはこんな時間まで仕事?」
そう言われ、壁の時計を見ると22時30分になるところだった。
どうやら一時間以上、レシピと向き合ってたらしい。
片付けをしている時に、ふと棚のスポンジが目に入った。
「ねぇ、いーくん。今からケーキ作らない?」
「いいね、楽しそう」
すごい勢いで休憩室にうさぎと荷物を置きにいくいーくんの姿に、なんか僕もワクワクしてくる。
生クリームといちごがあればいいかな…。
必要なものを作業台に並べていく。
スポンジをスライスし、大きめのボウルに氷水を用意する。
生クリームは…まぁ、この量なら手で立てた方が早いかな。
氷水で冷やしながら、シャカシャカとホイッパーを動かす。
「いーくん、なんか静かなんだけど…」
「いや、生クリームってそんなに早くできるもんなの?俺のときは……」
クリスマスの時のケーキが頭をよぎった。
あれは…うん、正確には立ってなかったしね。
「はい、できたよ」
ボウルを作業台に置き、氷水を片付けていると、ホイッパーで生クリームを掬って「え?」とか言っているいーくんが視界に入る。
「ハチはやっぱりプロだ。なんかすごいんだけど」
目を輝かせてるいーくんが子どもに見えておかしかった。
「ありがとう。いーくん、デコレーションお願いしていい?」
生クリームを入れた絞り袋を渡し、その横でいちごのヘタを取っていく。
一瞬、目を離した隙に……。
「ハチ、このぐらいでいい?」
明らかに生クリームの層が厚い。2センチはあるんじゃないかな。
まぁ、なんとかなる……かな。
見なかったことにして、いちごを渡していくと…。
一面、いちご畑が。
とりあえず、いーくんに任せよう。
「いーくん、いちごの上に生クリーム絞ってね。で、スポンジをのせたら、また生クリーム絞っていちごを飾ったら出来上がり」
「分かった」
鼻歌を歌いながら作業してるいーくんを見て、細かいことを気にするのはやめた。
僕といーくん、二人だけのケーキだしね。
それにしても……。
「いーくん、さすがに盛りすぎじゃない?」
「映えるし、かわいくない?あと少し乗せたい…」
なんか、ケーキ作ってるというよりは…なんかこういうゲームあったよね。
そんな感じになってきてる。
「ほら、なんとかなっ…」
「「あっ!!」」
上のスポンジがゆっくりと横にずれていくーー
手を出したけど間に合わなかった。
作業台の上をいちごがコロコロと転がっていく。
皿の上には原型を留めていないケーキが。
工房内の音が一瞬、消えた気がした。
「「あはははっ」」
気づけば、二人で声をあげて笑っていた。
「いーくん、盛りすぎ。雪崩が起きたみたい」
「白い雪崩……だな」
なんか、僕達っぽくて。でも、この時間はずっと記憶に残るんだろうな。
日常も、記念日も…。
離れていても、お互い思い合ってるのって……なんかいいよね。
二章最後まで読んでいただきありがとうございました♪
お時間のある方は「ユズの遊び場」を覗いてみてください。
多分、クスッと笑えるはず?です。
第三章は秋頃の予定になります。




