第三層:雪が溶けるとき
バレンタインのお話になります
ハチの視点から始まって、途中から伊織の視点に切り替わります
「これで仕込みは大丈夫かな」
「漏れは…なさそうですね」
いつもより甘い香りの漂う工房内で、朔久くんと一緒にチェックリストを覗き込んでいた。
今日は2月13日。バレンタイン前日。
パティスリー的にはクリスマスと並ぶぐらい忙しいイベントの一つ。
当日限定の商品も出すため、いつもとは違う仕込み作業も発生している。
そういう時こそ、気を付けないといけない。
だからチェックリストを作って漏れのないようにしてるんだよね。
今日の作業が終わりと分かったからか、朔久くんが伸びをしながら作業台の片付けに向かうが…
「朔久くん、今からマンディアンを作りたいんだけど、少し手伝ってもらえないかな?」
「明日の商品に加えるんですか?」
こっちを振り返って、不思議そうな顔をしている。
まぁ、そうなるよね。
明日の仕込みは全て終わったんだから。
「そうじゃなくて…。プライベートで作りたいんだよね」
「なるほど。どんなイメージですか?ハチさんがトッピング準備してる間にテンパリングまでやっちゃいますよ」
チョコのストックがあるセラーの前でごそごそと「なにがいいかな〜」って言いながら選んでいる。
嬉しくて思わず口元が緩んだが、ハッとして朔久くんの方へ向かった。
「朔久くんにはトッピングの手伝いをお願いしたいんだ。できる限り自分で作りたくて…」
うちのショコラは全て、ショコラティエでもある朔久くんが作っている。
もちろん僕も作れるけど、やっぱり専門の朔久くんには敵わない。
でも…。
「なるほどね。分かりました、俺はお手伝いに徹しますよ」
ニヤッと笑った朔久くんの顔をまともに見られなくて、顔を逸らしてしまった。
「今考えてるのは…」
55%、61%、72%の三種類のマンディアンを作ろうかと。
僕が作るからカカオのブレンドはなしの方がいいかなって思うんだよね。
そして、トッピングはローストしたクルミとヘーゼルナッツ。これは共通で、55%にはクランベリー、61%はアプリコット、72%はオレンジピールを合わせるつもり。
仕上げに、彩りでピスタチオダイスを少し散らす感じかな。
手書きのレシピを指でなぞりながら、朔久くんに説明していく。
「これだけ%が違うと食べたときに味の違いもちゃんと分かりますし、トッピングを変えるのも目を惹きますね」
朔久くんの笑顔が、なんか嬉しかった。
「じゃあ、早速取りかかりましょう。ハチさんはテンパリング作業に集中してください。その間に全部準備しておきますんで」
すぐに動き出す朔久くんの背中を頼もしく思いながらも、口元は緩んでいた。
テンパリング作業、苦手なんだけどな。
でも……そんなことも言ってられない…よね。
チョコを湯煎にかけ、少しずつ溶けていく様子を見ていると、ふと、いーくんの笑顔が浮かんだ。
なんだか心が軽くなる。
それに、なんだろう。背筋がシャキッとする?
多分、一番近くにいるからこそ、真剣に向き合いたいって思うからなのかな。
溶けたチョコの温度を測り、そこからさらに温度を調整し、結晶化させていく。
「朔久くん、そっちの準備は?」
「バッチリです」
さすが。こっちのタイミングにピッタリ合わせてくれる。
「じゃあいくね」
型紙とセロファンが貼られた板に、少しずつチョコを垂らしていく。
バンッ!
板を底から叩いた衝撃で、薄く綺麗な円形に広がったチョコに、朔久くんが素早くトッピングをのせていく。
マンディアンは時間との勝負だ。
「ハチさん、次いいですよ」
「了解」
静かな工房に、作業の音だけが響く。
何度も何度も……。
同じ作業を繰り返していく。
無事に作り終わったマンディアンを前に、二人、顔を見合わせて笑った。
「色合いが綺麗ですね。それに、薄さも形も綺麗。さすがハチさん」
ショコラティエの朔久くんに褒められると、やっぱり嬉しいな。
心が温かくなり、ホッと胸を撫で下ろした。
少しだけ早めに工房に来て準備をしていたら、朔久くんもいつもより早く出勤してきた。
ほんと、真面目だよね。思わず口元が緩む。
「ハチさん、おはようございます。チョコ、無事に渡せました?」
「……えっ? ほら、早く準備始めるよ。今日は忙しくなるからね」
笑顔で誤魔化して、朔久くんに背中を向ける。
なんとなく笑われたような気がしたけど。でも、この距離感……なんかいいな。
準備に取り掛かる朔久くんを見て、なんか温かくなった。
ようやく人が途切れたのは午後二時を過ぎたあたりだった。
「朔久くん、先に休憩行ってきていいよ」
隣の朔久くんに声をかけるが……。
「ハチさん休憩行ってきてください」
笑顔でそう言われると、断りづらくなる。本当にいいの?って聞き返したら、言いづらそうに口を開いた。
「本当はダメなんですけど……。今日だけは、一日お店に居たくて。だから、隙を見て休憩室でおにぎり食べてました」
思わず声を出して笑ってしまった。
慌てて口に手を当てるが、ちょうどお客さんがいなくてよかったと胸を撫で下ろした。
外に出て深呼吸をする。
ひんやりとした空気で頭がすっきりして、それと同時に体も軽くなった気がする。
今日は朝からきれいな青空が広がっていた。でも、白くなった庭が、昨日まで雪が降っていたんだって教えてくれる。
「雪が溶けるときって、キラキラして好きだな」
柔らかな曲線を描く雪の縁が、白い太陽の光を反射している。そんな光景に目を奪われた。
もう一度深く深呼吸をしてから伸びをする。
「いーくん、今ごろ、食べてくれてるのかな…」
思わず口元が緩んだのを慌てて引き締めて、足取り軽く工房へ戻った。
ほんと、ヤバいかも。
アラーム2回目だと思ったんだけどな〜
4回目って…マジか…。
新幹線、間に合うよな…
慌てて着替えを済ませ、荷物を持ってバタバタと階段を降りる。
「あれ?」
出かけようとしたところで、キッチンの明かりがついてることに気が付いた。
「ハチが消し忘れなんて、珍しいな」
明かりを消そうとキッチンに行くと…
「うん?何か置いてある?」
テーブルの上に、真っ白な細長い箱が置いてあった。
よく見ると、白いリボンがかけてあって、そこにカードが挟んである。
「Valentine’s Day」
一言だけ書かれたカード。
ブルーグレーのインク、それにこの字は…
「ハチだ…」
その瞬間、心があったかくなった。
「あっ!」
慌ててバタバタと階段を登ると、部屋に戻り、目的のものを手に取る。
また慌ただしく駆け降りると、キッチンのテーブルに置いてあった白い箱を手に取った。
その箱を見るだけでニヤけてしまう。
「いけない、急がないと」
リュックへ丁寧にしまうと、急いで家を出た。
新幹線の自分の席に座ると、やっと一息つけた。
「やっぱり、二本遅らせた甲斐あったな」
お気に入りのコーヒーも買えたし、運よく隣の席も空席だ。
ゆっくりと走り出した新幹線は、あっという間に最高速度に達して車窓の景色が流れていく。
早速、リュックの中から白い箱を取り出す。
家を出る時にテーブルに置いてあったやつだ。
白い箱に白いリボン。そして白いカード。
今日の雪景色みたいだ。
カードを抜き、リボンをほどく。
そっと蓋を開けると……
「え?これ、触って大丈夫なやつ?」
思わず声が出た。
だって、箱の中にきれいに並んでいるチョコはすごく薄い。
触ったら割れてしまいそうなほど繊細に見える。
色の違う三種類。多分、味も違うんだろう。
そっと、その中の一枚を手に取り、口に入れる。
「これ……」
ハチの気遣いに、心が温かくなった。
あまりチョコが得意ではない俺でも食べられるようにしてくれたんだって分かった。
うん、コーヒーともよく合う。
新幹線の中なのに、こんなにゆったりできるなんて。
流れていく車窓の景色は一面真っ白な田園風景だ。
そんなのどかな景色を、頬杖をつきながらぼーっと眺める。
昨日まで雪が降っていたが、今日は朝からきれいな青空が広がっていた。
太陽の光が雪に反射して眩しい。
でも……
「雪が溶けるときって、キラキラしてて綺麗だよな」
新幹線が速度を落としていく。
「え?もう新横?」
気づいたら箱の中は空になっていた。
リボンをたたみ、箱の中に入れ、リュックにしまう。
あっ、カード……。
手に取り、文字をそっと指でなぞる。
そうだ。
スマホのケースを外し、その中に“裏返し”にして入れる。
これなら、見られても大丈夫…だよね。
ただの白いカードにしか見えない。でも…。
思わず口元が緩む。
俺もテーブルの上に置いてきたけど、ハチ、気づいてくれるかな。
もう一度カードを見てから、リュックを肩にかけデッキに向かった。
次回、第四層の更新は3月14日のホワイトデーの予定です
少し間が開きますが、お待ちいただけると嬉しいです




