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時が過ぎた。
その間、何処かの国が戦をし、何処かの国が滅び去り、何処かの国では飢饉に見舞われ、また別の何処かでは繁栄を極めた。
意志を持つ魔の森。明けの森は、そのいくらかの時の流れの間も増えもせず減りもせず、やはり変わることなく在り続けた。
そして古森の中心、静の湖の畔にそびえる高い塔の窓辺には、やはり変わることない魔女の姿があった。
「本当に居たとは驚きだな」
低くよく通る声が、魔女の意識を塔の外から内へ引き戻した。
「一房紅い虹色の髪に、虹色の衣。美貌の魔女は黄金の瞳。確かに聞いた通り」
魔女は振り返ると、突然の訪問者に目をやった。
深い湖のように静穏な双眸は、長身の男を映していた。厳めしさ漂う精悍な美貌。野伏の装いを着けた逞しい体躯。漆黒の髪。薄明の空の瞳。
奇視感に魔女はひとつ瞬いた。
しかし、ただ一点のみが異彩を放つ ――― 左の瞳は、夕映えに煌めく湖の色。
魔女は何も言葉を発さなかった。そうして暫く男と視線を交えていた。
先に沈黙を破ったのは男の方だった。
「貴女は沈黙の魔女に、間違いないな?」
「確かに私が沈黙の魔女」
白い魔女は、表情ひとつ変えずに答えた。
男は色違いの瞳で魔女を見下ろしたまま、尋ねた。
「私が誰だか分かるか」
「身分ならエウダージュ王国太子。名はセラージュ・アルダノ・エウダージュ。初対面で名乗らぬ礼儀のなさは父親に瓜二つだ」
魔女が無表情に答えると、男は口の端を上げて笑った。
「成る程、蛙の子は蛙と言うしな」
「貴方も沈黙の魔女と契約を結ぶことを望むか」
すると男は笑みを掻き消した。
「今日、私は貴女に伝えることがある」
男は一度目を伏せると息を吸い、口を開いた。
「我が父、エウダージュ国王陛下は現在病床にある。医者はもはや手の施しようがないと言う。いつ身罷られてもおかしくはない」
「それで、沈黙の魔女に王の治癒を望むのか」
「いや。私は沈黙の魔女と契約を結びに来たのではない。言伝てを伝えに来ただけだ」
魔女は小さく首を傾げた。虹色の髪がさらりと揺れた。
「陛下は最期一目、貴女に逢いたいと仰せだ」
沈黙の魔女は男に視線を据えたままゆっくりと瞬いた。
「・・・それは不可能だ」
男は不満げに眉を顰めた。
「何故だ。今にも死に行く人間の望みを叶えるだけだぞ。エウダージュ国王は貴女を今でも愛している。想い報われぬまま30余年貴女を愛し続けた。我々子どもたちに貴女の話をして聞かせて育てたほどだ。王妃も貴女のことは認めている」
「話を聞いているならば知っているだろう。沈黙の魔女は明けの森から出ることなどない」
低く静澄な声が淡々と答えた。男は金の瞳を眇めた。
「ほんの僅かさえも無理なのか」
魔女は言った。
「あの男は死に至るまで約束を果たさなければならない」
「――― 約束?」
「二度と私と関わらず、二度と私の前に姿を現さず、二度とこの森へも来ないこと」
「貴女は・・・」
男は躰の脇で拳を握った。
「父を、愛していたのではなかったのか」
しかしそれに対して魔女は笑った。初めて男、自らが産み落とした男の前で笑った。
「愛。そのようなもの、魔女は持たない。魔女は人を愛さない。人間は愛に夢見るのが好きだが、愛など何の役にも立たない」
男は絶句し、次いで双眸を怒りに染めた。
「・・・・・笑いながら言うことか。貴女に人間味などない。話に聞いていたものとも違う。父は貴女を愛情深い心優しき女性だと言ったが、貴女は魔性のようだ」
微笑んだまま、沈黙の魔女は静かに答えた。
「貴方の父親は有能だが、自らに都合の良いものしか見えていなかった。魔女とは元来そのようなものだ」
「“ローフェンアルダ”!」
叫びが部屋の中に響き渡った。
魔女は笑みを消すと、静かな眼で男を見た。
「それが貴方の名だと、父は貴女の名を大切に抱いていた。“沈黙して与え続けるもの”よ。沈黙の魔女は言い換えれば慈愛の魔女なのだ。父は貴女に赦しを乞いたいと、30年貴女を愛しながら苦しみ続けた。最期にその枷から解放してはくれないのか。貴女の名を直に呼ばせてやってはくれないのか」
「全て、あの男が自ら招いたことだ。その尻拭いまではしない。沈黙の魔女は個に関わらない」
「―――――」
男は苛立ちを隠しもせず魔女を睨んだ。しかし魔女は終始無表情であった。
長い沈黙が流れた。
男は拳を握り締めながら、微動だにせず魔女を見続けた。
魔女は人形のように窓辺に座し、沈黙を守った。
5分か10分か、黙りこくった後、男は深い嘆息をした。
「どうあっても聞いてくれないのか」
魔女は目を伏せた。
「答えろ、沈黙の魔女」
「・・・契約の力は誰も逆らえない。私と会したその時が貴方の父親の死ぬ瞬間だ」
「逢いたいという意志は、あるのか」
しかし魔女は、瞑目するともはやなにも答えなかった。男はそれ以上追求することを諦めた。代わりに呟きを洩らした。
「私は33年をエウダージュ王子として生きた。父の死後は私が王位を継承することになっている。私は実の母を知らなかったが、何にも不足なかった。私を謗る者たちはいたが、父は私を愛してくれた。家族も私を愛してくれた。だから今に至るまで私は幸福だ。私は貴女を母と呼ぶことはしない。だが契約とはいえ、私を産んでくれたことは感謝している」
魔女はやはり何も答えない。
「森は私に寛容だった。貴女の血を引くからだろうか。実は魔術を使えるのだ。父が訓練を受けさせたお陰で魔力を制御できるし、周辺諸国で私の魔術にかなう者もいない」
「・・・・・そうか」
「何か、父に伝えることはあるか」
「何もない」
躊躇いなく答えた魔女を悲しげに見た男は「貴女方は生まれた時代が違ったなら、或いは理解し合えたやもしれなかった」と残して、塔を後にした。
風が塔の窓から入り込み、悪戯に魔女の髪を乱した。
再び独りきりになった魔女は窓辺に頬杖を突くと、溜め息を洩らした。
そして、魔女は虚空に呟いた。
「魔女は決して愛さない」
決して届かない言葉を。
「愛しても、失うだけ」
Fin
終了です。拙作にお付き合いいただきありがとうございます。




