表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました  作者: 仁科異邦


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/201

第9話 閑話 宰相閣下の長い一日


ガイウス・ノアを追放してから、一週間が経った。

宰相ハーヴェル・クロスは、執務室の椅子に深く沈んで、山積みの報告書を見る。


正確には、眺めていた。

正直、読む気力が今朝から出ない。


「閣下」

扉が開いて、部下の官僚が入ってきた。

三十代の、生真面目な男だ。名はロウ。

「どうしました?」


「城壁東側の防術結界なのですが——」

「それは昨日も聞きました」

「実は状況が昨日より悪化しておりまして」

ハーヴェルは目を閉じた。


防術結界というのは、城を外部の魔術攻撃から守る、王城で最も重要な魔術設備だ。


百年前に構築されて以来、定期的に補修が必要になる。

去年の秋、東側の結界に亀裂が入った。

魔術師団が補修しようとしたが、術式が複雑すぎて手が出なかった。


それを結局、ガイウスが一人でやった。

一晩で。


そのことを、ハーヴェルは知らなかった。

報告書に記録が残っていなかったからだ。

今朝、古い日誌を掘り起こして初めて知った。

「ガイウスが補修していたのは、東側だけですか」

「いいえ」

ロウが羊皮紙を広げた。


「過去三年の記録を調べたところ——東側、西側、南塔の基部、正門上の結界石、中庭の魔力遮断壁……合計11か所です」

「11箇所も‥」

「全て、ガイウス殿が単独で対処しておりました。 報告書への記載は最小限で、ほとんど誰も把握していなかったようで」

ハーヴェルは額に手を当てた。


「現在の状態は」

「東側の亀裂が再び広がっています。 このままでは、一か月以内に機能を失う可能性が」

「他の魔術師では無理なのですか」

ロウが少し間を置いた。

「団員全員の力を合わせれば……ただ、時間と費用が相当かかります」

「どのくらい」

「1箇所で半年、金貨は三千枚ほど」

ハーヴェルは黙った。


(ガイウスは一晩でやっていた。 おそらく無報告で、残業代もつけずに。)


「……わかりました。検討します」

ロウが退室した。

入れ替わりに、別の官僚が入ってきた。


「閣下、医療部門から緊急の連絡が」

「今度は何ですか」

「上級回復薬の在庫が底をついたそうで。 次の入荷の目処が立たないと」


ハーヴェルは眉を上げた。

「補充は薬師に発注するだけでしょう。なぜ——」

「そ、それが‥」

官僚が口ごもった。


「王城への上級品の定期供給は、三年前からガイウス殿が個人で行っていたそうで。 正規の業者より品質が高く、更には値段も安かったため、いつの間にかそちらに切り替わっていたようで」

「……いつの間か?」


「正式な契約書もなく、ガイウス殿が毎月持ってきていたものを、医療部門が受け取っていたと」

「なぜ正式な契約を——」


「ガイウス殿が『面倒なので』と断ったそうです」

ハーヴェルは返す言葉がなかった。

面倒なので。

あの男のことだから、本当にそう言ったのだろう。


「他の業者から調達できないのですか?」

「同等品を供給できる業者が、現在王都に存在しないそうで。 他の街から取り寄せると、一本あたり金貨四枚以上になるとのことです」


ハーヴェルは窓の外を見た。

王都の空が、憎らしいほど晴れていた。

「……わかりました。予算を確保します。下がっていい」


午後になった。

今度は侍女頭が来た。

ハーヴェルは顔を見ただけで頭が痛くなった。

「王妃様のご用件ですか」

「‥はい」

侍女頭が深々と頭を下げた。

「ミミのことで——」

「猫ですね」

「はい。 木の上から降りられなくなってしまって」

ハーヴェルは目を閉じた。


王妃の愛猫ミミは、月に二度は木に登って降りられなくなる。

そのたびに誰かが呼ばれるのだが、猫というのは気難しい生き物で、知らない人間が近づくと爪を立てる。


ガイウスは何かの術を使って、ミミをいつも静かに降ろしていた。

「団員に頼めますか」

「三人試みましたが、全員引っ掻かれて」

「梯子は」

「ミミが怒ってしまい、さらに高い枝に登ってしまいまして」

「……ガイウスは何をしていたのですか、具体的に」

侍女頭が少し考えた。


「何か小さな石を取り出して、猫に向けてそっと術をかけていたようで。 するとミミがうとうとして、自分から降りてくるんです。 それがもう三年……」

三年。

ハーヴェルは何も言えなかった。

「王妃様がたいそうご心配で——」

「わかりました。私が行きます」

「閣下が?」

「他に誰がいるのですか」


中庭に出ると、確かに大きなモミの木の高いところに、白い毛玉がいた。

ハーヴェルが下から見上げると、ミミも見下ろしてきた。 目が細くなった。

「……おいで」

ミミが顔を背けた。

ハーヴェルは手を伸ばしたまま、しばらく立っていた。

侍女たちが遠巻きに見ている。


結局、日が暮れるまでかかった。

最終的にミミは自分で降りてきて、ハーヴェルの横を素通りして城の中に消えた。


「‥‥」

ハーヴェルは木の下に立ったまま、空を見上げた。

夕焼けだった。


執務室に戻ると、ロウが待っていた。

「閣下、一つご報告が」

「また今度は何ですか」

「セルジオ騎士より、北部調査の報告書が届きました。 魔獣の制御問題は解決されたとのことです」

「誰が」

「……報告書に名前の記載がなく、『協力者』とだけあるのですが、 セルジオ騎士の手紙には、こう書いてあります」

ロウが手紙を読み上げた。


「『元魔術師を名乗る農家の方に助けていただきました。 遺跡の魔道具を二時間で無効化し、問題を解決されました。 なお当人は報告書への記載を辞退されました』」

ハーヴェルはしばらく黙っていた。


「……農家」

「はい」

「元魔術師」

「はい」

「辺境の」

「おそらくは」

ハーヴェルは机に肘をついて、顔を両手で覆った。

そいつは先週追放した。

自分が怒鳴り込んで、その日のうちに城から叩き出した‥ガイウスだ。


それが今、辺境の村でのんびり農業をやりながら、依頼があれば王国の問題を片付けて回っているらしい。

「閣下」

「何ですか」

「追放令の件なのですが……見直しを検討される気は——」

「全くありません」

ロウが少し首をすくめた。


「追放した手前、今さら呼び戻せるわけがない」

「はあ」

「国民に示しがつかない」

「はあ」

「何より……あの男が、戻ってくるわけがない」

ロウが黙った。

ハーヴェルも黙った。

どちらも、それが正しいとわかっていた。


ガイウス・ノアは、追放されたとき「わかりました」と言って出て行った。 怒りもなく、未練もなく、ただ淡々と。


あの顔は、解放された人間の顔だった。

ハーヴェルは十年間、それに気づかなかった。

「……防術結界の補修費用の件、明日の会議に上げてください」

「わかりました」

「上級ポーションの代替業者も、早急に探すように医療部門に伝えてください」

「はい」


「ミミの件は……また明日考えます」

「畏まりました」

ロウが退室した。


執務室に一人残されたハーヴェルは、椅子に深く沈んだ。

窓の外に、夜の王都が広がっていた。

あの男が十年間、一人で補っていたものの大きさを、いなくなってから知る。

宰相として、それは正直、情けなかった。


ただ。

「面倒なので、か……」

ハーヴェルは呟いた。

そういう男が、今ごろ辺境の村でエールでも飲んでいると思うと、腹も立てられなかった。

立てる立場でも、もはやなかった。


書類に目を落として、ため息をついた。

長い一日だった。

明日も、きっと長い。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

続きが気になる方はブックマークを

面白いと思った方は評価お願いします!

(どちらも大歓迎です!)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ