第197話 迎撃に向けて
南の大陸の灼熱、そして神話の厄災という理不尽な重圧を跳ね除け、完成したばかりの『新しいクワ』をその手に、俺と相棒の黒龍ヴェルダは、文字通り風を裂くような速度で中央大陸へと向かっていた。
空を飛ぶ黒龍の背中で、俺の手の中にある真新しい農具は、世界樹の枝の淡い黄金色の光と、アダマンタイトの底知れぬ漆黒の波紋を静かに放っている。
柄と刃を繋ぐ黒龍の逆鱗が、時折鼓動のように脈打つのを感じるたび、俺の中で失われた半分の命の喪失感よりも、頼もしい相棒と共に戦えるのだという高揚感が勝っていた。
「見えてきたわよ、ガイウス。……懐かしい中央大陸の海岸線よ」
徹夜の飛行を続けてくれたヴェルダが、少し疲労の滲む声で、それでも誇らしげに眼下を指し示した。
朝日が昇り始め、紺碧の海と豊かな緑が織りなす見慣れた大地が、朝霞の中からその雄大な姿を現す。
(メリル王女たちも、今頃は鍛冶師の街の復興に向けて動き出している頃だろうか)
俺は、南の大陸を飛び立つ直前のことを思い出していた。
ドワーフ王や王子たちと共に、鍛冶師の街に残る決断をしたメリル。
彼女は最後まで俺たちに同行しようとしたが、「この国の王族として、お父様たちと共に民を救うための後方支援を全うしたいのです」と、涙を堪えて気丈に振る舞っていた。
あの弱々しかった王女が、今では立派に国を背負う覚悟を決めている。
彼女たちの想いに報いるためにも、俺たちは絶対にこの中央大陸を死守しなければならない。
だが、この美しい景色をのんびりと堪能している猶予はなかった。
ヤマトが率いる数万の精神操作されたドワーフたちによって建造された巨大な『魔導飛空艇艦隊』。
そして、彼と契約を結んだ七柱の神話級魔人たち。
彼らがこの大陸へ向けて進軍を開始するまで、残された時間はあと数日しかないのだ。
あの圧倒的な質量と権能による空からの無差別蹂躙が始まれば、俺一人で大陸のすべてをカバーすることは不可能だ。
魔人が俺に気を取られている間に、飛空艇の砲撃が大陸の都市を次々と火の海にしてしまうだろう。
「ヴェルダ。エーデル村へ帰る前に、少し寄り道をお願いします。……北西の山岳地帯、魔族領へ」
「魔族領ね。……わかった。しっかり捕まってなさい!」
ヴェルダが大きく旋回し、進路を魔族領へと向ける。
世界の破滅を防ぐためには、この大陸に住むあらゆる勢力の協力が不可欠だった。
♦︎
魔族領の中心、険しい岩山を切り開いて築かれた堅牢な魔王城。
上空からヴェルダが降下し、城の中庭に巨大な黒龍の姿のまま着陸すると、城内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
しかし、ヴェルダの背から降り立った俺の麦わら帽子姿を見るなり、魔族の近衛兵たちは武器を下ろし、一斉に道を開けた。
「ガイウス殿! それにヴェルダ殿も。突然の来訪、歓迎いたしますぞ」
騒ぎを聞きつけて足早に現れたのは、カインだった。
「カイン皇太子、お久しぶりです。突然押し掛けてしまい申し訳ありません。魔王陛下に、至急お耳に入れたいことがあるのですが」
「ガイウス殿の頼みとあらば、父上もすぐにお会いになるでしょう。さあ、こちらへ」
カインの案内で、俺たちは魔王城の奥深く、玉座の間へと通された。
そこには巨躯に豪奢なマントを羽織った魔王が、険しい顔つきで待ち構えていた。
「よくぞ参られた、ガイウス殿。……貴殿がそのように焦った顔を見せるとは、よほどの事態が起きているのだな」
「ええ。単刀直入に申し上げます。南の大陸にて、神話の時代に世界を滅ぼしかけた『七柱の魔人』たちが目覚めました。
数日以内に、この中央大陸へ向けて大艦隊で進軍を開始します」
俺が端的に事実を告げると、魔王とカイン、そして周囲に控えていた魔族の重鎮たちは、一様に絶句した。
「魔神とそれに七柱の魔人……おとぎ話の厄災ではないか!」
「それが、飛空艇の大艦隊を率いて……? ガイウス殿、それは真実なのですか!?」
カインが信じられないというように声を荒らげる。
「残念ながら、事実です。俺はつい先ほどまで南の大陸で奴らと対峙し……一度、敗走を余儀なくされました」
俺が己の敗北を素直に口にすると、玉座の間は水を打ったように静まり返った。
かつて人間と魔族の戦争において、単騎で戦況をひっくり返したガイウスが「敗走した」という事実の重みは、彼らにとってどんな説得の言葉よりも、事態の絶望的な深刻さを物語っていた。
「……なるほど。あのガイウスが退くほどの敵か。して、我ら魔族に何を求める?」
魔王が、額に冷や汗を滲ませながらも、王としての威厳を保って尋ねた。
「俺は、新しい『農具』を作りました。七柱の魔人は、俺とヴェルダで必ず全員『駆除』します。
ですが、ヤマトの率いる飛空艇艦隊が空から大陸を爆撃し始めれば、俺の手には負えません。
……魔族の誇る飛行部隊と、強力な魔術師団で、空の防衛戦線を構築していただきたいのです」
俺が頭を下げると、魔王はしばしの沈黙の後、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ふはははっ! 頭を上げよ、ガイウス! 我が魔族領は、貴殿によって慢性的な食糧難から救われたのだ! その大恩人からの頼み、断る理由などあろうはずがない!」
魔王が玉座から立ち上がり、力強くマントを翻す。
「全軍に布告せよ!! 竜騎士部隊、有翼魔族の空戦部隊、および第一魔術師団は、直ちに完全武装にて出撃準備に入れ! 我らの恩人の畑を、そしてこの美しい大陸を、南の小童などに荒らさせてなるものか!!」
「ハッ!!」
魔王の号令に、城内の空気が一気に戦意へと塗り替わる。
「ガイウス殿」
皇太子であるカインが一歩前に出て、己の胸に拳を当てた。
「俺も、次代の王として精鋭部隊を率い、必ずや空の防衛を担ってみせる。
……それに、あの美味いトマトとキュウリが食べられなくなるのは、死ぬよりも辛いからな」
「カイン皇太子……ありがとうございます。皆さんの援護があれば、俺は魔人の駆除に専念できます」
俺はカインと固く握手を交わし、魔王に深く感謝の意を伝えた。
これで、上空からの無差別爆撃に対抗する手立ては整った。




