第188話 魔神の思惑と、蠢く堕ちた美徳たち
南の大陸、ドワーフ王国の地下都市。
その最深部に広がる広大なドックでは、絶え間ない槌音と、魔力炉の重低音が響き渡っていた。
「……素晴らしい。あと少し、あと少しで、俺の思い描いた『最高の盤面』が完成する」
地下都市の全景を見下ろす高台のテラス。
ヤマトは、片手に高級な赤ワインが入ったグラスを揺らしながら、眼下に整列する鋼鉄の大艦隊を見つめていた。
精神操作を受けた数万のドワーフたちが、休むことなく働き続け、ついに『魔導飛空艇』の建造は最終段階へと突入していた。
分厚い装甲板、山を消し飛ばす大口径の魔力砲、そして空を自在に舞うための巨大な推進器。それらが数十隻という規模で並ぶ様は、まさに圧巻の一言である。
「ヤマト様。第十二艦隊ノ魔力炉心、接続完了シマシタ。全艦ノ出撃準備、残ルハ最終調整ノミ。……十日後ニハ、中央大陸ヘ向ケテ進軍可能デス」
瞳にドス黒い闇を宿したドワーフの技術長が、機械のような声で報告を上げる。
「十日後か。うん、ご苦労様。引き続き作業を進めなさい」
ヤマトは技術長を下がらせると、グラスのワインを一口含み、不敵な笑みをこぼした。
飛空艇の完成は、もはや時間の問題だ。
だが、ヤマトの頭を占めているのは、この鉄屑の艦隊のことではない。
「……『七柱の魔人』か」
ヤマトはテラスから背を向け、さらに地下深く――先ほどガイウスたちと対峙し、魔人たちを退避させた『奈落の祭壇』がある方角へと視線を向けた。
神話の時代に世界を滅ぼしかけた、七つの厄災。
彼らはヤマトを「原初の魔気を持つ器」「新たなる主」と呼び、恭しく忠誠を誓ってみせた。
(――だが、どいつもこいつも、腹の底では俺を見下していやがる。俺の持つ『魔気』を啜るための、ただの巨大なバッテリー(餌)くらいにしか思っていないんだろうさ)
ヤマトは冷たく鼻を鳴らした。
彼はバカではない。
絶対的な自我と狂気を持つ魔人たちが、ぽっと出の魔神に心から服従するはずがないことくらい、痛いほど理解していた。
今の彼らが大人しいのは、数千年の封印で枯渇した魔力を、ヤマトから補給しなければならないからだ。
完全に力が戻れば、彼らは真っ先にヤマトの首を刎ね、自分たちが世界の覇者になろうとするだろう。
「……上等だよ。化け物ども。俺だって、お前たちのことなんか微塵も信用しちゃいない」
ヤマトの瞳に、歪んだ暗い炎が宿る。
「お前たちは、あの理不尽な農家とトカゲ(ヴェルダ)をすり潰すための『極上の使い捨ての駒』だ。
飛空艇の砲撃と、魔人の権能。
その両方を同時にぶつけられれば、いくらあのデタラメな男でも無傷じゃ済まない」
双方が削り合い、共倒れになったところを、俺が最後の一撃で総取りする。
それが、ヤマトの描く最悪のシナリオであった。
ヤマトが冷酷な計算を巡らせている頃。
王都のさらに地下深く、瘴気が渦巻く暗黒の広間では、解き放たれた七柱の魔人たちが集まっていた。
『……忌々しい。あの男、我が絶対の断頭剣を、錆びた農具などで受け止めおって……』
広間の中心で、黒き非対称の甲冑に身を包んだ『堕ちた正義』の魔人が、怒りに満ちた唸り声を上げていた。
一撃必殺であるはずの処刑剣がピタリと止められ、あまつさえ強引に退却させられたという事実は、彼の狂ったプライドをひどく傷つけていた。
『ククク……。まさか、神話を恐怖に陥れた我らが「正義」が、たかが人間の農夫のクワに剣を止められるとは。数千年の封印で、お前の天秤もすっかり錆びついたようですね』
暗闇の中から、無数の目玉と巨大な脳髄を剥き出しにした異形――『堕ちた知恵』の魔人が、耳障りな声で嘲笑した。
『黙れ、「知恵」よ。アレは只人ではない。世界の理の外に立つ異常者だ』
「正義」は兜の奥の目をギラリと光らせる。
『この屈辱、必ずや我が手で絶対の死の執行を以て雪いでくれる』
『ギャハハハッ! 傑作だぜ! お前が手こずるほどの獲物なら、オレがこの牙で引き裂いてやるよ!』
轟音と共に岩壁を砕いて現れたのは、全身を返り血で染め、狂ったように笑う獣戦士――『堕ちた勇気』の魔人であった。
『血だ! 闘争だ! 破壊だァ! 早く地上で暴れさせろォ! 強い奴の腸を引きずり出して、俺の勇気の糧にしてやるッ!』
『……争いはいけませんわ、「勇気」。』
狂乱する獣戦士を静かにたしなめたのは、両目を太い糸で縫い付けられ、黒き茨の光輪を頭上に頂く修道女――『堕ちた信仰』の魔人だ。
彼女は胸の前で両手を組み、うっとりとした表情で天を仰いだ。
『あの不敬なる罪人にも、等しく原初の泥による「救済」を与えましょう。祈りなさい……世界を静寂に包む、絶望という名の美しい祝福を……』
『……腹が……減った……。祈りなど……腹の足しにもならん……』
地の底から這い出るような怨嗟の声を漏らしたのは、全身を太い鎖で縛られた、骨と皮ばかりの餓鬼――『堕ちた節制』の魔人。
『魔力も……命も……何もかも足りない……。すべてを枯らし、干からびさせ……平等の飢餓を……我に、もっと喰わせろォ……!』
『ねえねえ、だったらボクが、そのお百姓さんに「希望」を見せてあげる!』
無邪気な、しかし底知れぬ悪意を孕んだ子供の声が響く。
甘ったるい猛毒の光を放ちながら宙を舞う童子――『堕ちた希望』の魔人が、ケラケラと笑いながら空を飛んでいる。
『綺麗な夢を見ている途中で、ゆっくり、グチャグチャに溶かして絶望させてあげるんだぁ! 絶望に染まった魂って、すごく甘くて美味しいんだよね! あはははっ!』
『うふふふ……可哀想に。みんどうしてそんなに乱暴なのかしら』
最後に、広間の奥で蠢いていた巨大な肉塊が、震えながら甘ったるい女の声を上げた。
すべてを自身の内へと取り込み、融合しようとする『堕ちた愛』の魔人である。
『争うから傷つくのよ。すべて私のお肉の中に包み込んで、永遠に一つになりましょう……。
人間も、あの器の坊や(ヤマト)も……全部、全部、私の中で愛してあげるわ……』
七つの美徳が反転し、極限の悪意へと堕ちた七柱の魔人たち。
彼らの意思は決して一つではない。それぞれが己の狂った欲望を満たすことだけを渇望している。
『……当面の間は、あの「ヤマト」と名乗る器の指示に従ってやろう』
「堕ちた知恵」が、無数の目玉をギョロリと動かして結論づけた。
『我らの完全なる復活には、やつの持つ原初の魔気が不可欠だ。中央大陸とやらを蹂躙し、十分な魂と魔力を喰らった後……あの器も、我らの贄として処理すればよい』
『賛成〜! あの黒いお兄ちゃん、美味しそうだもん!』
『一つに……なりましょうねぇ……』
魔人たちは互いに不気味な笑い声を交わし、再び暗闇の中へと溶け込んでいった。
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「……くくっ。言ってくれるじゃないか、化け物ども」
通信用の水晶玉越しに、魔人たちの密談を盗み聞きしていたヤマトは、不快感を隠そうともせずに水晶玉を床に叩きつけて粉砕した。
「俺を食うだと? ふざけるなよ。お前たちの手綱は、最後までこの俺が握り潰してやる」
ヤマトは自らの掌から立ち上るドス黒い闇を見つめ、ギリッと奥歯を噛み締めた。
ヤマトと魔人たち。
そして、彼らが共通の敵として認識している最強の農家、ガイウス。
互いが互いを利用し、出し抜き、そして滅ぼそうと企む最悪の三つ巴の構図。
「十日後だ……。十日後、全艦隊と魔人たちを率いて、中央大陸の空を黒く染め上げてやる」
ヤマトは高らかに宣言し、誰もいないテラスで狂気に満ちた笑い声を上げた。
世界を破滅へと導くカウントダウンは、すでに最終局面へと差し掛かっていた。
残された「十日」という時間の中で、ガイウスたちは魔人を倒しうる術を完成させることができるのか。
決戦の時は、刻一刻と迫っていた。




