第142話 魔術の真理と、究極の家庭菜園
ガイウス考案の「究極の家庭菜園」生活が始まってから、五年が経過した。
十七歳になった俺は、身長も師匠を追い越し、すっかり農夫としての体つき(ただし内側には星を滅ぼす魔力を圧縮している)に成長していた。
『静寂の谷』の隠れ家の裏庭は、今やただの家庭菜園ではなく、恐るべき魔法技術が惜しげもなく投入された「超高効率・多品種栽培農場」へと進化を遂げていた。
「……ガイウス。今日教えようと思っていた【時空間絶界】だが。対象の時間を切り離し、いかなる物理・魔法攻撃も無効化する神話級の防御魔術だ」
「ああ、それなら昨日マスターしましたよ、師匠。ほら」
俺は作業小屋の隅に展開した、四角い光の箱を指差した。
「この空間だけ時間を完全に停止させました。これで、収穫したばかりの葉物野菜も、一生シャキシャキのまま保存できます。最強の『完全保冷庫』の完成です」
「……神話級の魔術を、野菜の鮮度維持に使うな。古代の魔術師たちが草葉の陰で泣いているぞ」
縁側で特製のハーブティーをすすりながら、ソフィアが呆れたようにため息をつく。
この数年間、俺はソフィアから魔導の真理たる様々な超位魔術を教わった。
だが、そのすべてを俺は「農業の効率化」のためだけに独自進化(魔改造)させていった。
大地を隆起させ城壁を築く【土竜の城塞】は、シカやイノシシの侵入を防ぐ「獣害対策の柵」に。
敵軍を幻影で惑わす【千の幻魔】は、カラスから畑を守る「全自動カカシ」に。
「本当に、お前というやつは……。魔術の歴史を根底から覆すような大発明を息をするように行いながら、その目的が『美味しいキャベツを育てるため』から一歩もブレないのだからな」
「当然です。魔術など、農業という至高の営みを補助するための道具に過ぎませんからね。……はい、師匠。今日のお昼は、採れたての夏野菜を使ったラタトゥイユです」
俺が湯気を立てる大皿をテーブルに置くと、ソフィアは「俗物が」と悪態をつきながらも、嬉しそうにスプーンを手にした。
「……美味いな。五年前、私が一人でこの谷にいた頃は、魔力で生成した味気ない栄養食の丸薬だけをかじって何百年も生きていたというのに」
「食事を疎かにするから、師匠は細すぎるんですよ。もっと食べて、土に触れて、太陽の光を浴びないと」
「老人扱いするな。私はこれでも、見た目は二十代の美女のままだぞ」
ソフィアはふふっと笑い、ラタトゥイユを美味しそうに口に運んだ。
俺と師匠は、血の繋がりこそないが、まるで本物の祖母と孫、あるいは親子のような穏やかで温かい時間を共有していた。
俺にとって、ここは間違いなく理想郷だった。
誰にも迷惑をかけず、自らの魔力で極上の環境を整え、愛する土と植物に向き合う日々。
師匠という最高の理解者と共に食卓を囲み、明日の作物の成長を語り合う。
前世で過労死するまで追い求めた「究極の農業」と「平穏なスローライフ」が、この秘密の谷でついに完成したのだ。
「ガイウス」
食後。縁側で俺の淹れたミントティーを飲みながら、ソフィアがふと空を見上げて口を開いた。
「お前は、この先もずっと……この谷で、私と二人で畑を耕して生きていくつもりか?」
「もちろんです。外の世界には興味がありません。戦争だの魔物だの、面倒なことばかりでしょう。
俺はこの谷の土壌をさらに改良して、来年は師匠が食べたがっていた東方の『米』の栽培にも挑戦しようと思っています」
俺が笑顔で答えると、ソフィアは少しだけ寂しそうな、慈愛に満ちた目を向けた。
「……そうか。だが、お前も薄々気づいているだろう、ガイウス」
「……え?」
「私の魔力が、少しずつ『澱』を見せ始めていることに」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
気づいていなかったわけではない。いや、気づきたくなかったのだ。
ソフィアの纏う、かつては凪いだ海のように完璧だった魔力の波動。それが最近、わずかに波打ち、枯れ葉が落ちるように弱まっていることを。
人間でありながら、魔術の力で何百年も生きてきた「隠匿の大賢者」。
その超常の生命維持魔法が、ついに限界を迎えようとしている事実を。
「……師匠。俺の魔力を分けます。俺の魔力なら、いくらでも」
「馬鹿を言え。生命の寿命を他者の魔力で無理やり延長するなど、お前が最も嫌う『不自然な理』だろうが。枯れた作物は土に還る。それが自然の摂理だ」
ソフィアは俺の頭を優しく撫でた。
「ガイウス。お前とのこの五年間は、私の何百年という退屈な魔術探求の歴史の中で……一番、美味しくて、騒がしくて、幸福な時間だった」
「師匠……」
「だが、私はもうすぐ逝く。そして、私が消えれば、この谷を隠している結界もいずれ解ける。……お前は、一人で外の世界へ出なければならない」
ソフィアは金色の瞳で、俺を真っ直ぐに見つめた。
「お前のその規格外の力は、あまりにも優しすぎる。外の世界の悪意に触れれば、お前は深く傷つくかもしれない。……だからこそ、死にゆく師から、最後に一つだけ『呪い』をかけさせてくれ」
静寂の谷に、冷たい風が吹き抜けた。
それは、俺の愛した完璧なスローライフの終わりを告げる、残酷で、そしてあまりにも温かい師からの「最期の願い」の始まりだった。




