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Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました  作者: 仁科異邦


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第112話 帝国の闇

アルヴヘイム帝国の最奥、鬱蒼たる緑に包まれた『精霊樹の玉座』。


かつては清謐な魔力が満ちていたその聖域は、今や淀んだ泥のような、重く息苦しい空気に支配されていた。


「……申し訳、ありません。我が軍の誇る精霊魔導機部隊は、たった一人の人間の男と、一柱の黒龍によって完全に瓦解させられました」


満身創痍の姿で玉座の前に平伏し、将軍ゼルギスは血を吐くような声で報告した。

恐怖と屈辱で全身が震えている。

何千という軍勢と最強の呪詛兵器が、辺境の農家を名乗る男の、まるで児戯のような魔法の前に塵芥のごとく散らされたのだ。

その報告を静かに聞いていた若き皇帝カエルムは、憐れむような、しかし酷く冷ややかな瞳でゼルギスを見下ろした。


「……一人の人間に、我が帝国の悲願が打ち砕かれたと? 弁明の余地もない大敗だな、ゼルギス」

「し、しかし! あれは人間の枠を逸脱した化け物です! 大気中の魔力を使わず、己の力のみで事象を反転させるなど、我々の魔導理論では到底……!」


「黙れ」

カエルムの静かな一言が、ゼルギスの言葉を切り捨てた。

「理を逸脱した異物が存在するというのなら、それごと飲み込む力を持てばいいだけのこと。……やはり、世界を救うという大業を、弱き力しか持たぬ者たちに任せたのが私の間違いだったようだ」


皇帝が深くため息をつくと、玉座の奥から、透き通るような緑の髪をなびかせた絶世の美女――風の精霊王シルフィードが音もなく歩み出てきた。

しかし、その瞳にはかつての慈愛はなく、ただ漆黒の絶望と狂気だけが渦巻いている。


「……ええ。人間が星の理を歪めるというのなら、私たちが『新たな理』を創り出すしかありません。ゼルギス、可哀想な迷い子。あなたに、私の『真の加護』を与えましょう」


「せ、精霊王様……? ひっ……!?」

シルフィードが白く細い指先をゼルギスの額に触れた瞬間。

将軍の口から、この世のものとは思えない絶叫がほとばしった。

「ガァァァァァァアアアアアッ!?」

ゼルギスの端正なエルフの肉体が、内側から爆ぜるように膨張し始める。


皮膚を突き破って禍々しい黒曜石のような樹皮が飛び出し、両腕は捻じれながら巨大な丸太のような異形の腕へと変貌していく。

美しい金糸の髪は枯れ葉のように抜け落ち、背中からは腐臭を放つ緑色の瘴気が間欠泉のように噴き出した。

「あ、あああ……皇帝陛下! 精霊王様! 私の体が……自我が……ッ!」

「往きなさい、我が愛しき同胞よ。その忌まわしい肉体ごと、穢れた人間どもを蹂躙し、世界に死と凪をもたらす嵐となりなさい」


数秒後、玉座の間に立っていたのは、将軍ゼルギスであったもの。

理性も知性も完全に失い、ただ破壊衝動と高密度な呪詛の魔力だけで構成された、体長三十メートルを超える『巨大な異形の怪物』だった。


ズズンッ、と一歩踏み出すだけで、聖域の床がひび割れる。

怪物は主の命令に従い、空を覆うほどの瘴気を撒き散らしながら、一直線に南の国境(王国の領土)へと向かって歩みを進め始めた。



――その頃、王国の北端。エーデル村。

「ただいま戻りました」

夕暮れ時。宿屋の裏庭に黒龍がドスンと着地し、俺はその背中からヒラリと飛び降りた。

ヴェルダも周囲に黒い魔力を纏わせ、すぐにいつものエプロン姿の村娘の姿へと戻る。


「おかえりなさい、ガイウスさん! ヴェルダさんも! ちょうど串焼きが焼き上がったところだよ!」

「フフッ、いい匂いね。南の害虫どもを風で吹き飛ばしてやったから、お腹がペコペコよ。グラント、とびきり冷えたエールをちょうだい!」

リナが満面の笑みで山盛りの皿を運び、無口なグラントさんがドンッと二つの大きなジョッキをテーブルに置く。


「……ええ、いただきます」

俺はエールを一口飲み、香ばしい串焼きを口に運んだ。

結界のおかげで品質の落ちなかった野菜の甘みと、肉の旨味が疲れた体に染み渡る。


エリック殿下もファレルも、俺たちがたった数時間でエルフの先遣隊を壊滅させてきたとは露知らず、広場の向こうで村人たちと宴会の続きを楽しんでいるようだ。

平和だ。


これこそが俺の望んだスローライフであり、今日一日でその脅威は完全に排除したはずだった。

「……」

だが、なぜだろうか。

冷たいエールを喉に流し込んでも、俺の胸の奥にへばりついた『嫌な予感』が拭えない。


宮廷魔術師として数々の苦難を潜り抜けてきた、俺の直感。

エルフたちとの戦いで感じたあの狂信的な魔力は、単なる侵略者のものではなかった。


もっと根源的な、星そのものを腐らせるような『病』の気配。

「ガイウス? どうしたの、串焼きの手が止まってるわよ」

「いえ……なんでもありません」

ヴェルダに微笑み返そうとした、まさにその時だった。


「エリック殿下!! ガイウス殿!! 大変です!!」

広場の向こうから、王国の通信魔石を握りしめたファレルが、今まで見たこともないほど血相を変えて全速力で走ってきた。


普段の冷静沈着な側近の姿はそこになく、眼鏡がズレていることすら気にしていない。

「ファレル? どうした、そんなに慌てて」

エリック殿下が酒の入った杯を置いて立ち上がる。


「王都のハーヴェル宰相からの緊急通信です……! さ、先程……ガイウス殿が国境線に築いてくださった巨大な防壁が、たった一撃で粉砕されました!!」

「なんだと!?」

「防壁が破られた……?」

俺は思わず立ち上がった。


あの防壁は、エルフの精霊魔導機が何十台束になっても傷一つつかないほどの魔力密度で構築したはずだ。それを一撃で粉砕した?


「エルフどもの残存兵か!?」エリック殿下が叫ぶ。

「違います! 現れたのは……正体不明の、山のように巨大な『異形』です! 全身から草木を腐らせる瘴気を放ち、触れるものすべてを死の砂に変えながら、南部の領土を蹂躙し始めています! 駐留していた騎士団は、瘴気を吸い込んだだけで全滅状態……もはや、王国の南半分が死の土地に沈むのは時間の問題です!」


その言葉に、宴会で賑わっていた広場が水を打ったように静まり返った。

エリック殿下はギリッと拳を握りしめ、ヴェルダは不快そうに眉をひそめる。


「……なるほど。やはり、大人しく森に引きこもるつもりはないようですね」

俺は、半分残っていた冷えたエールを一気に飲み干し、テーブルにジョッキを置いた。


「どうやら、ただの害虫駆除では済まないようです。病の根源を断たなければ、いずれこの村の土壌にまで瘴気が届いてしまう」

俺は首に巻いていたタオルを取り、空間収納アイテム・ボックスから、ずっと仕舞い込んでいた『王立魔術師団・筆頭の黒ローブ』を取り出し、バサリと羽織った。


「エリック殿下。食後の運動にしては、少しばかり骨が折れそうですが……王国こちらの騎士団を、少しお借りしても?」

俺の言葉に、エリック殿下はニヤリと猛禽類のような笑みを浮かべ、腰の剣を抜いた。


「当然だ。俺も行くぞ、ガイウス殿! 王国の地を穢す化け物どもに、人間の意地を見せてやろう!」


南の空が、不吉な暗雲に覆われ始めている。

スローライフを守るための、真の規格外の戦いが幕を開けようとしていた。


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