第106話 豊穣祭
朝。エーデル村の空は、見事な晴れだった。
吹き抜ける風が、刈り取られたばかりの麦の香ばしい匂いと、広場から漂う肉の焼ける匂いを運んでくる。
「さて、いよいよ豊穣祭ですね」
俺が呟くと、隣で真新しいエプロン姿のリナが嬉しそうに頷いた。
「うん! 今年は例年になく豊作だし、お母さんも朝から気合入れてご馳走作ってるよ。はい、ガイウスさん、これ味見してみて」
差し出されたのは、俺が畑(実は薬草以外も育ててた)で育てた野菜をふんだんに使った熱々の串焼きだった。
一口かじると、肉の野性味あふれる旨味と、野菜の強烈な甘みが口いっぱいに広がる。
「……美味しいです。素晴らしい出来ですね」
「よかった! じゃあ、どんどん運んでくるから、いっぱい食べてね!」
リナが足早に広場の中央へと駆けていく。
今年の広場は、村人たちだけのささやかな行事だった例年とは比べ物にならないほど人口密度が高かった。
右のテーブルには、黒い甲冑を少し着崩した魔王軍の面々。
カイン殿下を筆頭に、ベルグやドリスが、村の女たちが作ったシチューを不思議そうな顔で覗き込んでいる。
普段の豪勢な王都の食事とは違う、素朴だが温かい村の料理に舌鼓を打っていた。
本来なら剣を交えるはずの両者が、今日は同じ広場で、同じ麦から作られたパンをかじっている。
「おお、ガイウス。お前さんの育てたカブ、驚くほど甘いじゃないか!」
「ふむ。我が痩せた土地では、これほど瑞々しい野菜は育たん。見事なものだ」
村長のゴードンが愉快そうに笑い、その隣で、魔王ヴァルドが当然のような顔をして座り、朝からジョッキを傾けている。
(魔王様はいつ来たのだろう)
村長と魔王。傍から見れば卒倒しそうな組み合わせだが、ここではただの「気のいい酒飲み仲間」だ。
トンッ、と。
魔王の空になったジョッキの横に、新しいエールが置かれた。
「おや、すまんな」
「……」
酒屋の親父であるグラントさんは、無言で短く頷き、また次のテーブルへと樽を転がしていく。
多くは語らないが、その背中は「今日はいくらでも飲め」と雄弁に語っていた。
広場の少し離れた席では、エリックと、ファレルが座っていた。
「ファレル! 見ろ、この肉の厚さを! 王都の晩餐会でもこれほどのものは出ないぞ!」
エリックが大きな肉の塊に齧り付きながら、興奮した声を上げている。
その向かいで、ファレルは小さくため息をつきながら自身の額を押さえていた。
「エリック殿下……声が大きいです。ここは魔王も来ている公の場なので、あまり羽目を外しすぎないようにしてください」
「固いことを言うな! 今日は祭りだ。それに、この村の飯は信じられないくらい美味い! ほら、ファレルこのサラダを食べてみろ。シャキシャキだぞ!」
エリックに半ば強引に木の皿を押し付けられ、ファレルは渋々といった様子でフォークを手に取った。
俺が畑で育てた、少しばかり魔力を吸って育った特製のレタスとトマトのサラダだ。
ファレルルが一口それを口に運ぶ。
その瞬間、顔が驚愕に染まった。
「なっ……!? こ、これは……ただの野菜ではありません! 噛んだ瞬間に、微かな、しかし極めて純度の高い魔力が体内に浸透して……長旅の疲労が急速に回復していく!? 一体どのような土壌で、どんな高度な魔法薬学を用いればこのような作物が……ッ!」
「ハッハッハ! 細かいことは気にするな! 飯が美味ければすべて良しだ! ちょっとおかわりをもらってくる!」
「ああっ、殿下! お待ちください!」
駆け出していくエリックの背中を見つめ、ファレルは「昔の殿下はどこへ‥いつから筋肉で思考する様になったのでしょうか……」と呟きながらも、ちゃっかりとサラダのふた口目を食べていた。
どうやら、俺の育てた野菜はお気に召したらしい。
一方、広場の反対側では、魔王軍の面々が別の意味で圧倒されていた。
「そこの魔族! 突っ立ってないで、この大鍋をあっちのテーブルに運びなさい! 冷めたら味が落ちるでしょ!」
村の女性陣を束ねるリナのお母さんが、お玉を片手に容赦のない指示を飛ばしている。
「な、なんだと!? 俺は魔王軍の皇太子、カインだぞ! なぜ俺が下働きのような真似を……」
カインが抗議の声を上げようとした瞬間、スッと目を細めた。
ほんの一瞬だけ漏れ出た圧倒的なプレッシャーに、カインの顔色が一気に青ざめる。
「……何か文句あるのかしら? それとも、あなたが代わりにこのお鍋の具材になってくれる?」
「い、いえ! ただいまお運びいたしますッ!」
魔王軍の皇太子が、大鍋を抱えて小走りでテーブルへと向かっていく。
その後ろを、ベルグやドリスといった側近たちも大量の皿を抱えて泣きそうな顔で続いている。
「あ、ガイウスさーん! お疲れ様! お母さんの特製お肉、持ってきたよ!」
リナが山盛りの皿を抱えて走ってくる。
マルクも「僕も手伝う!」と嬉しそうにコップを運んできた。
グラントさんが、無言で俺の前に新しいエールのジョッキを置く。
「ありがとうございます。いただきます」
熱々の肉を頬張りながら、俺は手元のぬるくなりかけていたエールに、周囲に悟られないよう指先からごく微弱な【氷結魔術】を流し込んだ。
キンと冷えたエールを喉に流し込む。
宮廷魔術師時代には、貴族の道楽や魔力は人を殺すため、あるいは国を守るための『兵器』でしかなかった。
それが今では、酒を冷やし、美味い野菜を育てるために使われている。
陽が落ちると、広場の中央に大きな焚き火が焚かれた。
「せっかくだから、楽器でも演奏するかのう」
ゴードンが村の者達に声をかけて素朴な楽器を鳴らし始めた。
軽快な音楽が夜空に響き渡る。
最初は互いに牽制し合っていた騎士たちと魔族たちも、今ではすっかり酒が回り、肩を組んで踊りの輪に加わっていた。
カインもまた、村の子供たちに「お兄ちゃん、角かっこいい!」と群がられ、満更でもない顔で手品のような小さな魔法の光を見せていた。
「平和ですね」
俺が呟くと、隣に立ったゴードンが鼻を鳴らした。
「ああ。お前さんがこの村に来るまでは、まさか魔王や王都の騎士と一緒に酒を飲む日が来るとは思わなかったがな」
「俺もですよ。……グラントさん、おかわりを」
トンッ。
相変わらず無言で、だがどこか嬉しそうな目をしたグラントが、新しいジョッキを置いていく。
パチパチと爆ぜる焚き火の光が、笑顔で溢れる広場をオレンジ色に照らしていた。
俺は風の魔術を微かに操り、焚き火の火の粉が子供たちのほうへ飛ばないように軌道を逸らす。
「ガイウスさーん! 一緒に踊ろう!」
リナがこちらに向かって大きく手を振っている。
「……俺は踊りは苦手なんですがね」
そう言いながらも、俺は椅子から立ち上がった。
騒がしくて、面倒なことも多い。
それでも目の前にあるこの景色は悪くない。
俺は冷えたエールのジョッキを掲げ、静かに息を吐いた。
スローライフは、今日も――最高に騒がしく、そして順調だ。
エリック(結局エル殿には声をかけられなかった‥)




