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Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました  作者: 仁科異邦


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第105話 収穫

エーデル村の朝は、風が麦の穂を揺らす、ざわめきのような音で始まった。


数ヶ月前、まだ雪が残る土に種を蒔いたあの日のことが、遠い昔のように感じられた。

ガイウスは、朝日が昇るのと同時に自慢の麦畑に立っていた。


一粒、穂を手に取って親指の爪で割ってみる。パチン、と乾いた良い音が響いた。

水分が適度に抜け、澱粉でんぷんがぎっしりと詰まった、完璧な収穫のサインだった。


「……上出来だ」

ガイウスは独りごちた。

かつて王宮で、数千人の魔導師を指揮して広域殲滅魔法を展開した時よりも、目の前の一粒の麦が完璧に熟したことへの達成感の方が、今の彼には大きかった。


「おーい、ガイウス! 準備はいいか! 村の連中はみんな、やる気満々だぞ!」

村長のゴードンが、使い古した、だが手入れの行き届いた大きな鎌を担いでやってきた。

その後ろには、村の男たちや、エプロンをきゅっと締めたリナたちの姿があった。



この収穫には、例年にはない「戦力」が加わっていた。

「……ふん。この俺を、こんな草刈りに駆り出すとはな」

文句を言いながらも、カインは自慢の魔力で強化された『特製・超速刈り取り鎌』を無造作に振り回していた。

魔族の皇太子にとって、これは軍事演習ではなく、一種の「効率化の極致」を求める知的ゲームに変貌していた。


「何を言うんだ、カイン殿! 収穫こそ、農家の、いや『食の守り手』としての真剣勝負ではないか!」


エリック王子は、すでに鼻に少し泥をつけながら、村人たちに混じって手際よく麦を束ねていた。

かつての優雅な装束は見る影もなく、袖を捲り上げたその腕には、数ヶ月の労働で培われた確かな筋肉が宿っていた。

彼は今や、村の若手の中でも一目置かれる「働き手」となっていた。


「わらわは、この麦がパンになるまで、ここで見張っているからな。一粒も無駄にするのではないぞ」

ヴェルダは、近くの切り株に腰掛け、尻尾をゆらゆらと揺らしながら「監視」を決め込んでいた。


もっとも、彼女の頭の中にあるのは、収穫祭で振る舞われるであろう、焼きたての大きなパンのことだけだった。


「よし、始めるぞ! 怪我だけはするなよ!」

ゴードンの合図と共に、一斉に鎌が振るわれた。 ザクッ、ザクッ、とリズムの良い音が、村のあちこちで共鳴し始めた。


ガイウスたちのチームは、特に異彩を放っていた。

カインが、空気抵抗を極限まで減らした魔力刃で、一振りで十数列の麦を同時に刈り取る。

その後をエリックが追いかけ、驚異的な速さで麦を束ねていく。

「エリック様、腰が入っていますね! 素晴らしいですよ!」 エルの応援の声が飛ぶと、エリックの動きはさらに三割増しで加速した。


「ははは! 見ていてくださいエルさん! 私がこの畑の麦を、一粒残らず宝の山に変えてみせる!」

空回りしているようにも見えたが、その表情には、王宮での退屈な儀式では決して見せることのなかった、生の輝きがあった。


昼時になり、一行は木陰で休憩を取ることにした。

リナが大きな籠に入れて持ってきたのは、素朴なパンと、冷えたハーブ水だった。


「ふーっ……。ガイウス殿、どうだ。私の束ね方は、ベテランのマルク殿にも褒められたのだぞ」


エリックが誇らしげにパンを齧る。 その横では、カインが自分の鎌の刃こぼれを真剣にチェックしていた。


「……なあ、ガイウス。この麦を全部刈り終えたら、どれだけのパンが焼けるんだ?」 カインが、ふと空を見上げて尋ねた。


「そうですね。村全員が冬を越して、魔族への分配、さらに王都へ出荷してもお釣りが来るくらいですよ。……来年は、さらに面積を広げる予定です」

「そうか。……悪くないな」


カインの言葉は短かったが、そこには「破壊」以外のことに己の力を使うことへの、小さな充足感が含まれていた。

黄金色の穂が風に揺れ、穏やかな笑い声が広がる。 南の空はどこまでも高く、青かった。


そこから、破壊の風を纏った精霊たちが近づいていることなど、今の彼らには想像もつかないことだった。


平和な、あまりに平和な、エーデル村の収穫の一日目は、こうして過ぎていった。


「……っ、身体が重い」

二日目の朝。


ベッドから這い出そうとした瞬間、全身の筋肉が抗議の声を上げた。


王都の演習で重装鎧を纏って三日三晩駆け回った時ですら、これほどの「芯にくる痛み」はなかった。


剣を振る筋肉と、鎌を振る筋肉。

似ているようでいて、その実は全くの別物だ。

「ガイウスさん! 生きてますかー!?」

階下からリナの容赦ない声が響く。


俺は這いずるようにして一階へ降り、彼女が差し出した「特製・疲労回復スープ(めちゃくちゃ苦い)」を一気に煽った。

「……よし、行くか」



畑に出ると、すでに村の男たちが一列に並んで鎌を振るっていた。

昨日よりも確実に黄金の面積が減り、代わりに刈り取られた麦の束が整然と並んでいる。


俺もその列に加わり、昨日ゴードンに教わった「引く」動作を繰り返す。

(……効率が悪いな)


一振りで数株。それを何度も繰り返す。

王都の魔導工学に基づいた「最短経路」と「最小出力」の計算が、無意識に脳内で動き出す。

俺は周囲に人がいないことを確認し、鎌を持つ手にごく微量の身体強化魔法を、指先に**風のウィンド・カッター**を極薄く展開した。


「……ふんっ」

鎌を横に一閃する。

本来なら「ザシュッ」と音がするところだが、俺の鎌は空気をも切り裂き、「スッ」と音もなく一列分の麦をなぎ倒した。


「……これだ」

力はいらない。ただ、リズムを刻むだけ。

俺の周囲だけ、まるで時間が加速したかのように麦が倒れていく。

背後で麦を束ねる係のマルクが、「えっ、ええっ!?」と声を上げて困惑しているが、今は気にしないことにした。


昼時。

大樹の木陰で、村人たちと肩を並べて座る。

配られたのは、麦の全粒粉を贅沢に使った大きな握り飯と、塩をきかせたカブの漬物。


「ガイウス、あんた……後半の追い上げが凄まじかったな。どこの流派だ、その刈り方は」

ゴードンが呆れたように笑いながら、冷えた井戸水を差し出してきた。


「……『自己流』です。ただ、急がないと雨が降るかもしれないと思ったので」

「ほう、勘がいいな。確かに、この風の湿り気は夜から崩れるかもしれん」


ゴードンは空を見上げて目を細めた。

王都では「予報官」が魔道具を使って算出していた天気が、ここでは老人の鼻と肌感覚で決まる。

それが不思議と心地よかった。


「あーあ、ガイウスさんが早すぎて、私たちが追いつかないじゃないですか!」

リナが頬を膨らませてやってくる。

その手には、デザート代わりの野苺が握られていた。

不平を言いながらも、彼女の目は達成感で輝いている。

「……すいません。午後は少しペースを落としますね」


「嘘ばっかり! どうせまた、夢中で刈り続けるんでしょ?」

笑い声が黄金色の畑に溶けていく。

滴る汗も、泥に汚れた手のひらも。


かつての戦場では「不快」でしかなかったものが、今は自分がここで生きている証のように感じられた。


夕暮れ時、最後の麦が刈り取られた瞬間。

村人たちの間から、地響きのような歓声が上がった。


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