2018.05.26の昼過ぎから夜中
さて、後半戦のスタートです♪
人が人として生きる上で、ああ幸せやなぁと思える瞬間は人によって千差万別であろう。
だが、99.999999……%の人が共感出来るワードがあるとするならば、多分これであろうか。
「美味い物食って、満腹満足」
膨れた腹を摩りながら……残念ながら六人の内四人くらいは満腹でなくても腹が出ていたりするけれど。
さぁ行くぜ、<曽根遺跡群・平原遺跡>!
昭和40年に偶然発掘された弥生時代後期とされる墳丘墓群を含む歴史公園なり。
中国からの輸入品と国産の銅鏡の破片が多数出土しており、特に「大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)」は直径が46.5cmもある、所謂<八咫>サイズの超大型銅鏡だったそうな。
ぼんやりと見たらキャプテンアメリカの楯っぽい意匠の銅鏡のレプリカを眺めつつ、公園内をウロウロと。お空はすっかり晴れ、とってもエエ天気なのでオッサンの散歩の足取りも軽い軽い♪
公園の脇に小粋な御家があり、お庭にはピザ専用と思しき石釜が。
へぇ~と思った途端、視界に飛び込んで来たのは<フランス料理>の看板!
アルさんと二人、何だコレ?と首を傾げつつ「フランス料理に於ける石釜の存在意義と伝播する文化による波及効果」について軽くディスカッション。結論を出す必要の無い駄弁り、ともいいますが。
公園の端には、<旧藤瀬住宅>なる古民家が一軒。元文2(1737)年に建てられた庄屋さんの御屋敷だったのだそうな。御邪魔しまんにゃわ、と靴を脱ぎ上れば一間を除き全て板の間。
畳が敷かれていたのは、藩の役人を迎え入れる場所だけで。詰まり、家人は全員、板の間に布団を敷いて寝ていたって事で。
時代劇だと江戸の街には長屋であっても畳敷きだったりしますが、地方では違うのですよね。畳も高価な時代があったって訳で。今だとフローリングなのですが、床暖房無し、フカフカの布団無し、絨毯もクッションも無い時代、ナマクラな私には到底生活出来そうに無いお屋敷でした。
私達が出るのと入れ替わりに近所に住んでいるのであろう子供達が数人、やって来ました。「今日は!」と言ってくれたので此方も「今日は」と返し、お屋敷を後にする。
後ろでドタバタと走り回る元気な足音は、実に素敵なBGMでござんしたよ。広い場所なら走り回るのが子供だもの。社会に息づく歴史的遺物って、ホンマに大事な存在でした。
車は再び平野部から山手の方へ。
到着したのは<雷山千如寺大悲王院>。
神亀2年(725年)に、インドから渡来の僧・清賀が聖武天皇の勅願を受けて開山したという真言宗大覚寺派の古刹なり。
当地だけではなく日本中世史においてもポイントとなるお寺で、南北朝動乱時には後醍醐天皇・足利義冬公が、元寇の際には後伏見天皇が、戦国期には大内義隆公・竜造寺隆信公・豊臣秀吉公が発せられた書状が展示されておりました。
山寺ですので、境内の建物は山の斜面に沿って立体的に配置されており、堂と堂を繋ぐのは廊下よりも階段で、えっちらおっちら登って本堂へ。
御本尊は丈六超え(5m弱)の「十一面千手千眼観世音菩薩」。昔々は秘仏でもあったようですが、戦後にフリー拝観出来るようになったとの事。明治の国宝で、昭和の重要文化財でありまする。
脇侍の仏像も平安時代の作で、裏堂には私も初めて名を知る諸天像があったりと、見所満載の御寺さんでした。
さて此処で、教えて戴いたのが「こんたいりちふに」という言葉。
漢字で書くと、「金胎利智不仁」。真言の教えにある「金剛界」と「胎蔵界」は一体であるという思想でありんす。曼荼羅で見た事ありませんか? 因みに曼荼羅の真ん中の字は「荼」であって「茶」ではないですよ。偶に「曼茶羅」って書いてあるのを見て「まんちゃら、って……」と(苦笑)。
中国の道教思想・陰陽五行思想の影響を大きく受けた結果で、宇宙二元論世界の教えなのが「金胎利智不仁」。
胎蔵曼荼羅は、物質的生成原理を説き、客観の理を表す曼荼羅。金剛界曼荼羅は、精神的原理を説き、主観の智を表す曼荼羅。二つの曼荼羅世界は不可分なので「金胎理智不二」。
真言宗道場では、その理念を立体で表す為に本堂の中心を結界で囲い、結界内に多種多様な法器を並べ金剛と胎蔵の両界曼荼羅を表したりするのですよ。
って、文字で書いても判り難いと思いますので、出来れば何処かの真言宗寺院に赴かれて直に拝見あれ。百閒は一見に如かず、ですよ♪
おわかり戴けたであろうか? 「百聞」と書く処を「百閒」と誤記している事を。
塗香で身を清めて、堂内で回向に参加し、伝来の御話を拝聴し、境内をグルグルと見聞したら、車は更に山道へ。
御山の名の由来でもある<雷神社>に到着!
佐竹さんが眩しそうに見上げる其の先に聳えるは、何とまぁ立派な御神木であろうか!
ミクロマンが手を繋いで一周取り囲むには何十体いるのやら?
山鳥の声が聞こえ、燦燦と降り注ぐ陽光の中、神域に踏み入れば其処は別世界。
春夏秋冬、自然には様々な美しさがありますが、青葉が目に優しい季節なればこその美しさが目の前にあり、澄み切った空気がありましたのですよ。
さて此の日、私達が周遊致しておりましたのは、糸島市。
昔々大昔、『三国志 魏書』第30巻『烏丸鮮卑東夷伝倭人条』に登場する<伊都国>でありました。
明治22(1889)年、怡土郡と志摩郡が合併し、紆余曲折あって、2009年に糸島市となりました、とさ。
糸島市を車で廻る途中、至る所に<伊都><怡土><志摩>といった地名、住所表記に遭遇しました。
<志摩>は午前中の歴史資料館で、そして遂に私達は<怡土>の地に。
福岡県の西部、糸島市と福岡市の境をなす標高416mの高祖山にある、<太祖山金龍寺>。
福岡県糸島市にある曹洞宗の寺院で御本尊は釈迦如来。漢の高祖劉邦の末裔を称する大蔵朝臣原田家の菩提寺にして、福岡藩主黒田家准菩提寺でもある寺院なり。
御住職に挨拶をし、裏を御案内して戴くと、原田家と黒田家の立派な墓地がございました。
https://hakataboy.com/temple.php?dirpath=temple/Fukuoka/ItosimaGUN/KinryuJI/
参詣後、山道を上り辿り着いたのは<高祖神社>。本日最後の素敵スポットのハイライト!
高祖山の西麓に鎮座する創建年不明の古社で、通称「高祖宮」。
御祭神は彦火々出見命・玉依姫命・息長足姫命(=神功皇后)の三柱。
此処がまた素晴らしい神社でした。
こんな山の中、と言えば失礼な物言いであるやと思いますが、人里離れた不便な土地に何故昔の人は斯様に立派な社殿を建立し、大切に祀り、現在に至るまで護り続けているのだろう。
<桜井神社><雷山千如寺大悲王院><雷神社><太祖山金龍寺>と何れも今のように舗装された道路を車でスイスイと行けなかった昔々。
平野部から見上げる御山を神として崇め、仏として帰依した山岳信仰。
大自然の象徴たる御山を畏れ、恐れ、怖れ、惧れ、懼れた人々が形作った思いを追体験する旅でございましたのですよ、ホンマに。
帰途、<怡土城(いとじょう/いとのき)址>も訪ねました。
吉備真備が、天平勝宝8年(756年)から神護景雲2年(768年)に築いた中国式山城。古代の大和朝廷が海の向こう、大陸や半島に対する為に築城したお城でした。
結局、実戦に使用される事はありませんでしたが、九州の人々が朝廷が恐れた事は後に、元寇として襲い掛かって来ます。
福岡県の沿岸部には、今でも多くの元寇防塁の址が残されています。
海の向こう、大陸や半島からは恐怖だけではなく、様々な文化や技術もやって来ました。其れは幸、と呼んで良いモノでしょう。
糸島市は山に信仰の聖地が幾つもあり、平野部には古墳が無数にございます。
何となくね、奈良県の飛鳥一帯・桜井市を連想する土地でありました。併せて、大阪府の南河内一帯を。
私は「邪馬台国九州説」と「東漸説」が正しいと思っているので、似ているのもむべなるかなと思うのです。
さぁ、車を返却したら美味しい物の中心地である<天神>地区へ!
今夜はモツ鍋だ! モツ鍋の出汁は甘辛いスキ焼風と醤油味の二種類だ!
御店の名前は<玄海庵>♪
博多一口餃子だ! 串焼きだ! モツの鉄板焼きだ!
さぁ呑もう! 下戸の私は緑茶酎ハイで、読むだけさんはカシスドリンクで、他は生中で、乾杯だ!
伊藤さん、一気飲みかよ、もう御代わりか!?
筑前さんも佐竹さんも負けてないねぇ、男だねぇ。アルさんはちょいとローペースか?
読むだけさんはボチボチと、私はチビチビと。
呑んだ飲んだ食った喰った、くっちゃべった、お喋りした! 愉快痛快ワイワイと!
しかし、楽しい時間も間もなくお開きに。
私と読むだけさんは新幹線に乗らないとね。
天神駅で筑前さんと、博多駅で佐竹さんとアルさんと伊藤さんと、又の邂逅を約束してアディオス・アミーゴ!
私と読むだけさんは慌しく新幹線ひかり号の喫煙席へと滑り込んだのでした。
グリーン車のゆったりシートに凭れ、煙草をプカプカと燻らせながらお互いの四方山を語り合う、本日最後の至福の時間。
新大阪に到着後、タクシーに乗って帰宅したら後数分で日付が変わる処。
色々と準備をして、風呂に入ってお休みなさい。
5月27日は午前10時半からキチンと、お坊さんらしく御葬式を勤めさせて戴きました。
因みに朝御飯は、美味しいベーグルを頂戴致したのですよ。ごっつう美味かったっす♪
ああ、土曜日はホンマに楽しかった!
筑前さん、読むだけさん、佐竹さん、アルさん、伊藤さん、皆さんおおきに有難う!
また来年も集りましょう、楽しく時間を過ごしましょう!
次回は何処へ行こうかな?
私の希望としては、福岡県内ならば<宗像神社>に行きたいな!
福岡以外ならば、広島県も良いな♪
大阪・京都・奈良でもOKですよ♪
お喋りの内容は多岐に亘り、しょうもない話から怪談まで。
何でもかんでも話せる仲ですので、何でもかんでも喋りましたよホンマに。
問われた事から問われてない事まで。
全部記すのは語弊と誤解を招き捲るので大幅に割愛しましたが、何か?