75 アマーリエの決断とヤーヒムの願い(後)
「な――!? ヤーヒムお前さん、自分が何を言ってるのか分かってんのか!」
「駄目よヤーヒム! 私そんなもの作りたくない!」
ヤーヒムの唐突な提案に、その意味を理解したフーゴとリーディアが激しく抗議する。
けれどもそのアイデアが実現すれば、その有用性は非常に高い。二人も頭では分かっているのだ。亡国の危機が忍び寄っている今、感情的なわがままを言っている場合ではないことを。
「ヤーヒム殿、良いのですか? その、自分の首元に剣を突きつけるようなものですぞ?」
「……ああ。ここにいる皆は元より信頼している。構わない」
「よし、分かった。さすがは我が妹が見込んだ男、その心意気に従おう。そして、このアレクセイ=ザヴジェルの名に賭けて悪用はしないと誓う。今回のみの使用とし、アイデアを含めた全てにおいてこの場にいる人間以外への口外を固く禁じる。皆、いいな?」
総大将アレクセイの鶴の一声で場は決した。
そして遠征部隊の四人にふたつめの任務が追加される。
即ち、山脈を越えてきたヴァンパイア勢に対する、少数精鋭での遊撃戦による時間稼ぎである。
ただしそれはヤーヒムのアイデアを基にリーディアが魔法具の試作品作成に成功した場合の話であり、作成に失敗したり、成功したとしてもその試作品を使い尽くせば戦闘任務は解除されることとなる。
リーディアがブシェクまでの移動の中で、シェダ本家の知識を総動員して用意を進めるよう要請が為されたその試作品。かつて誰も思いつかなかったそれがあれば、確かにかなり有利に対ヴァンパイアの遊撃戦を展開できるだろう。二千からのヴァンパイアの軍勢の大半を削れる可能性すらある。そして――
「――ヴァンパイア勢の侵攻が杞憂であることを祈っている。だが、我らは何としてもこの地を守るのだ! それぞれが、それぞれに出来ることを、全力でやるんだ。いいな!」
アレクセイの振り上げた拳に、「応ッ!」という一同の声が重なった。
たった一人のヴァンパイアがその気で襲撃してくれば、それだけでひとつの街を壊滅させることができる。
夜の闇の中で眷属が眷属を増やし、やがて街の住民全てが呑み込まれてしまうのだ。そんなヴァンパイアが、二千。
迫り来る王国存亡の危機に立ち向かうべく、人知れずザヴジェルの有志達が立ち上がった瞬間だった。
◇ ◇ ◇
ブシェク到着を翌日に控え、宿営の石壁の中で眠りに就いたダーシャを脇に、静かに互いの顔を見つめ合うヤーヒムとリーディア、そしてフーゴ。
今しがたフーゴが「目途は立ったか」とリーディアに尋ねたものはまさに問題の試作品であり、具体的には――
「ええ、もうだいたい出来てるわ。見る? ……それにしてもヤーヒム、よくこんなことを思いついたわね。何度も言うけれど、絶対に悪用はしないし作るのはこれっきりだから、そこは信じてほしいの」
そう言ってリーディアがマジックポーチから取り出したのは、これまでヤーヒムがカラミタから得てきた幾つものコアだ。
もちろん青の力はすっかりヤーヒムに吸収され、無色透明で純粋魔力だけの高品位なものばかりとなっている。その表面にぐるりと刻まれている、純白の微細な光を放つ魔法陣こそがリーディアの苦心の産物だった。
「ええと、これはヤーヒムの言うとおり、封魔の六面魔法陣を応用したものよ。……その、ヤーヒムが囚われていたブシェクの地下牢で使われていたものと、ほとんど同じ原理のやつ」
俯き加減で眉をきゅっとひそめ、気遣うようにヤーヒムに視線を伸ばすリーディア。
ブシェクの地下牢。それはヤーヒムの心に未だに残る、百余年に及ぶ忘れたくとも忘れられない大きな傷だ。けれどもヤーヒムはリーディアの澄んだ紫水晶の視線を正面から受け止め、小さく頷いた。
そう。
ヤーヒムにとって忘れようもない心の傷だからこそ、自分と同じヴァンパイアが攻めてくると知って思いついたアイデアなのだ。けれども今のヤーヒムはそんな心の傷など乗り越える術を知っている。ダーシャ、リーディア、フーゴ、アマーリエ……かけがえのない者達を守る為ならば、過去の出来事など何ほどのことでもないのだ。
「……遠慮は無用だ、リーディア。問題があれば自ら提案などしない」
「そう、ね。一応ひととおり説明しておくわね」
リーディアはそう前置きをして、完成した試作品の概略を説明し始めた。
ひと言でいうと、それはヤーヒムを百年に亘って地下牢に閉じ込めていた元凶、封魔の六面魔法陣を簡易的かつ広域に発動させるものだ。
そもそもその六面魔法陣は特殊な独房などで使われているように、中の者の魔法はもちろん、対象者の身動きを封じてしまう強力なものだ。対象者の魔力が強ければ強いほど効果が強く、そしてヴァンパイアには絶対的な効果があると言われている。
魔法を使えないヴァンパイアになぜそんなに効果があるのかは謎だったが、今のリーディアは知っている。ヴァンパイアは皆、とんでもない強さの空間属性だけを宿した魔法使いであるとも言えるからだ。
リーディアは一旦そこで言葉を切り、話が逸れちゃった、と小さくため息を吐いて話を戻した。
「ええと、封魔の六面魔法陣についてだったわね。確かに強力なものだけれど、それには正六面体の部屋とか大きな六対の精確で複雑な魔法陣とかのかなり厳しい敷設条件があって、おいそれと設置できるようなものではないわ。でも」
手の平からカラミタのコアのひとつを摘まみ上げ、リーディアはゆっくりとそれを目の高さにまで持ち上げた。
「これだけ高純度、高出力の魔鉱石に直接魔法陣を刻めば、その制限は力技で捻じ伏せることができるのではないか――結論を言えば、そう、ヤーヒムの言ったとおりだったわ。かなり苦労したけど、これが完成した試作品。笑っちゃうぐらい魔力の無駄遣いをするけれど、どこでもその場で、広域の封魔領域を作ることができるわ」
「ううーん、なんていうか、『さすが姫さん、シェダ家秘蔵の姫君ってのは伊達じゃねえ』って褒めるところなんだろうなあ」
「ふふ、こればっかりは自慢する気にはならないわね。確かにシェダで教わった技術を限界まで使ったけど、一番の要因はひとつの街の動力をまるまる補えるようなコアを惜しげもなく使ったことだもの。もったいなくてそんなこと誰もしようと思わないし……それに、ね」
ハイエルフの血が濃く表れた可憐な美貌を切なげに歪め、リーディアはヤーヒムをそっと見詰める。
隣で馬体を横たえるフーゴもまた不満そうな顔を隠そうともしていない。確かにこうして封魔の六面魔法陣を屋外に携行して使えるようになれば、迫りくる悪夢の軍勢に対して決定的ともいえる奇襲を仕掛けることができる。
二千からのヴァンパイアとはいえ、太陽が出ている日中に活動できるのはそのごく一部なのだ。
ヤーヒムの【ゾーン】でハナート山脈を行軍中の彼らを捕捉し、日差しを避けてその行軍を止める日中を狙って、ごく一部の日中でも活動可能な中核部隊を封魔の魔法陣で無力化してしまえば。
上手く行けば、一度の奇襲で相手を全滅させることすら可能だろう。
だがそれは同時に、この手のものを世に出すということは、ヤーヒムもまた簡単に狩られる手段を世に広めてしまうことを意味しているのだ。
「……使い方は、いつだったか渡した通信の魔鉱石と一緒よ。手に握って魔力を通せば魔法陣が起動して、後はコアの持つ魔力で効果が持続していく。救いはひとつだけじゃ封魔の効力が拡散して、ほとんど意味をなさないことね。本来の六面魔法陣のように上下左右前後の六方向で使えとまでは言わないけど、少なくとも力場平面を作る感じ、三方向から囲むように使わないとあまり効果はないと思う」
「三方向か、良くも悪くも微妙ってところだな。……ちなみにそれぞれの距離はどのくらいまで広げられるんだ?」
「うーん、それは試してみないと何とも。障害物のない場所であれば、今後の調整次第ではもしかしたら街ひとつ分ぐらいは行けちゃうかも。コアの潤沢な魔力を動力源にしているだけあって、出力自体は高いから」
「街ひとつかあ。なおさら喜んでいいのか悪いのか分かんねえなあ。そりゃ今回使うには広い方が便利に使えそうだけどさあ」
複雑な顔で試作品を前にするリーディアとフーゴに、ヤーヒムが困ったような淡い微笑みを浮かべた。
途方もない危機に対して非常に有効となる妙案にもかかわらず、ヤーヒムの後々のことを考え、気遣ってくれるのはありがたいことだった。心の裡を素直に言葉にすれば、嬉しくもあり照れくさくもあり、というものになるだろう。だが、そんなことを言っていられる場合ではもちろんない。
アマーリエはあの話し合いのさなか、王都のアンデッドを駆逐してブシェクに向かうのには時間が足りないと口を濁していた。おそらく普通にやっていれば、ジガがブシェクに来襲するタイミングにザヴジェル軍を間に合わせるのはかなり無茶なことなのだろう。
だからこそ、ここでヤーヒムたち先遣隊がヴァンパイア勢を叩いておくことが肝心なのだ。
最良はリーディアの試作品を使った奇襲で完全に駆逐すること。が、おそらくはそこまで都合良くはいかないだろう。ヴァンパイアにとって日中の安全確保は種族の根幹に紐付いた重大な関心事項である。陽の下でも動ける高位の者達の警戒態勢しかり、分散して身を隠しているであろうことしかり、そうそう簡単に決定的な襲撃を許してくれるとは思えない。
けれども、一度の奇襲で決められなくともせめて数を削り、勢いを削いで時間を稼ぐことは絶対に必要となってくる。熟練の魔法兵を多く含むザヴジェル軍が強行してブシェクに辿り着いたとして、それだけで簡単に勝てる相手ではない。どこまで事前に相手の数を減らしておけるかが勝負となるはずだった。
そのために提案をし、そのためにリーディアに試作品を作ってもらったのだ。
後々ザヴジェル軍が駆けつけてからの戦いでも非常に有効に活用できるだろう。
そしてヤーヒムには口には出していない、もうひとつの思いもある。
それは、ヴァンパイアの大軍が迫る中、万が一という時にその試作品がリーディアやフーゴのお守りになってくれれば、という密かな願いだ。
言えば微妙な顔をされるであろうその願いは、ヤーヒムが心の底から切に願っているもの。ダーシャには諸刃の剣となってしまうし、聞かされた三個の同時使用という制限は微妙ではあるのだが、それでもやはり二人には生き延びてもらいたく――
「……フーゴ、リーディア。便利に使えればその方が良い。状況を分かっているのであろう? 我に配慮してくれるのは嬉しく思うが」
「うーん、そうね。作ったり使ったりするのはこれっきり、そう決めているものね。うん、ヤーヒムがそう言ってくれるんだったら私、もうちょっと頑張って調整してみる」
「おし、じゃあ俺は実験につきあうか。魔力がほとんどない俺じゃあ効力の実験にはならねえみたいだけど、その手前の実験とかなら何でもつきあうぜ?」
「……ならば我は効力の実験だな。我を封じられれば大抵のヴァンパイアは確実に封じられる筈だ」
「分かった、じゃあ頑張って調整するわ! 少し時間かかるからちょっとだけ横になって待ってて。早速やってみるから」
少しだけぎこちないが、リーディアとフーゴの顔にいつもの笑顔が戻った。こちらはこちらで、これでいい――ヤーヒムは内心で密かに頷き、仄かな笑みを浮かべた。
こんなところで二人に気を遣わせるのは本意ではない。
何より、この笑顔が続くように自分に何ができるか、準備できることは全て準備しておかなければならない。
ヤーヒムは何度目かの決意を改めて固め、魔石灯に照らされた石壁の中、意気込みも新たにコアに向き直るリーディアの生気に満ちた横顔を見つめ続けた。まるで、その横顔を目に焼き付けるかのように。
◆ ◆ ◆
「おーい、この辺でいいかー?」
翌朝。
あれからリーディアは深夜まで試作品の調整を続け、疲れ果てた顔で崩れるように眠りに就いていった。
やがて空が白み始め、護衛の兵達も全員が揃った一緒の朝食を摂り、ようやく目が覚めてきたリーディアが「さっそく実験してみよう」と皆に協力を要請して、今。
「はーい、そこでお願いー! 魔法陣をこっちに向けて置いてきてー!」
「リーナ姉さん、じゃあ私はあの辺に置いてくればいい? ……うん、任せて」
獅子の形をした丘の、その平たい背の上で。
試作品二個ではやはり効果がないことを確認した上で、今度行おうとしているのは三個を三角形に配置した場合の効果の確認だ。リーディアの指示どおり百歩ほど離れた場所にフーゴが二個目の試作品を設置し、三個目はダーシャが大人の仲間入りとばかりに真剣な顔で設置場所めがけて駆け出していく。リーディアに保存の魔法をかけてもらった白詰草の花冠は、今日はマジックポーチの中に仕舞われているようだ。
リーディアの説明によれば、この試作品は一度魔法陣を起動させれば置き去りにしても大丈夫らしい。
再び魔法陣に魔力を流して停止させるか、コアの魔力が尽きるまでは効力を発揮し続けるとのことだった。とはいえ、呆れるほどに魔力効率が悪いようで、街ひとつの動力を賄えるこれらのコアでも半日で魔力が尽きて停止してしまうらしいのだが。
そして、フーゴに「魔法陣をこっちに向けて」云々と指示していたのが昨夜のリーディアの調整の成果だ。
それまでは全方位に効力を霧散させていたものを、魔法陣がある面に限定して集束させているらしい。その他にも色々と改善を施しているようなのだが、夢中になって説明を続けるリーディアの言葉をヤーヒムはもちろんフーゴもダーシャもさっぱり理解できていない。とにかく魔法陣のある面を向き合わせて使えばいい、そんな理解程度だ。
「よし、じゃあここのコアを起動するわ。準備はいい?」
三個目のコアを置いてきたダーシャが戻るのを待って、リーディアが皆の顔を見回した。
この試作品の秘密厳守の観点から護衛兵たちは全員遠ざけられており、この場にいるのはリーディアとフーゴ、ヤーヒムとダーシャの四人だけだ。それぞれが内心で感じている異なる緊張感が微妙に混じり合い、リーディアの手にあるコアが存在感を持って朝の日差しに輝いている。
今はフーゴが置いてきたものとダーシャが置いてきたものだけが起動してあり、リーディアの持つコアは未起動のままとなっている状態だ。現状だと二個だけの起動なのでやはり何の効果も発生していないが、初めから三個を起動させておくとフーゴやダーシャが三角形の位置に運ぶ際に何かがあっても困るし、この三角形での起動自体を観察したいというリーディアの意図に沿った手順となっている。
「おう、なんだか緊張するな」
「……ダーシャ、もう少し我の方へ」
無表情を保ったヤーヒムがダーシャの肩を引き、護るように己の半身後ろに誘導する。
予想される効果はただ全身の力が入らなくなるというだけのものであり、三角形の外側にいる分には殆ど影響がないと説明されてはいるのだが、忌まわしき地下牢の記憶があるせいか、やはり微妙に身体が強張っている。そんなヤーヒムをリーディアが紫水晶の瞳で覗うようにチラと見上げ、小さな頷きを待って三個目のコアを発動させた。
「…………ん?」
ヤーヒム同様に身体を強張らせて変化を待ち構えていたフーゴが、こてり、と首を傾げた。
彼の体感では何の変化もない。広々とした丘、初夏の爽やかな早朝の日差し、草をなびかせ渡っていくそよ風。もしや失敗かと振り返れば、ヤーヒムとダーシャが揃って眉をしかめ、そっくりの顔で固まっていた。
「あー、成功、なのか?」
フーゴの問いに、ゆっくりと頷くヤーヒム。
そして自分が頷けたことに驚いたのか、視線を落として指を動かしてみて、それからフーゴとリーディアを見て答えを口にした。
「……ああ、まず間違いなく成功はしている。ただ、これは流石に」
「あの、すごく鳥肌が立つというか、これ以上近づきたくないというか」
ダーシャも身をすくめながらヤーヒムの補足を入れてくる。及び腰になって腕をさすっているその仕草を見るに、余程の違和感があるようだ。
「ええと、効果範囲からは確実に外れているはずなんだけど、二人は何か感じているのよね? 体は問題なく動く?」
「……ああ」
「うん、それは大丈夫」
やや後ずさりつつも軽く身動きを試し、それぞれに肯定の言葉を返すヤーヒムとダーシャ。
追加のリーディアの質問を受けて色々と試した結果、どうやら魔封じの効果は出ていないものの、ヴァンパイアの二人だけが感じる「嫌な気配」がその効果範囲から出ていて、近づけば近づくほどそれが強くなるらしい。
そして続いて試した、肝心の三角形範囲内の魔封じの効果については――
「ううーん、そっちはほぼ予想どおりだったわね。皆、協力ありがとう。嫌な経験だったわね」
――そんなリーディアの言葉のとおり、そちらは概ね問題なく効果も出ているようであった。
それぞれに対する効果を列挙すれば、ヤーヒムは立ち上がって歩くぐらいならばなんとか、ダーシャはその場で崩れ落ちて一切の身動きが取れなくなり、リーディアは全身の倦怠感に加えて魔法が全く使えなくなって、そしてフーゴは全く普段どおり、そんな結果である。
「私の反応が典型的な魔法使いのもので、フーゴは魔力をほとんど持たない人の反応ね。それは間違いないわ」
「そうか、なら良かったぜ。くかか、なんか俺だけ普通だったからさ、俺だけ風邪をひかない何とかみたいで」
「ぷっ、違うわよもう。種族的に魔力が少ないケンタウロスは皆同じ結果になるはずよ? 問題はヤーヒムとダーシャちゃんの違いなんだけど……」
無駄遣いはもったいないとコアに魔力を流して効果を停止させたリーディアが、明らかに異なる反応となった二人を順番に見比べる。
この試作品の目的は押し寄せるヴァンパイア達を封じるためのものである。複雑な思いを呑み込んで試作品を作り上げたリーディアにとって、身内のヴァンパイア二人にこうまで差が出るのは軽視できない大問題であるらしい。
困惑を隠せないリーディアの問いにダーシャは困ったような笑顔を返すだけだが、ヤーヒムは己の指先を見詰め、自らの身体と対話をするかのように考え込んでいる。そして、躊躇いがちに口を開いた。
「……いや、ダーシャの反応の方が一般的なヴァンパイアのものであろう。我は少し、特殊かもしれぬ」
ヤーヒムの感覚では、魔封じの感触や強度自体は過去に経験した地下牢と比べても遜色ないものだった。
が、全ての力が抜けそうになったのは初めの一瞬だけで、すぐに抵抗が可能になったのだ。それが翼となってひとつの体に同居している創造神ケイオスの残滓が影響しているせいならば良いのだが、己が身に蓄えた青の力のせいならば若干の問題ではあった。
「……だが、抵抗出来るとしても、真祖ジガやエヴェリーナのような一部のカラミタだけと思われる。それは間違いないだろう。そしてその抵抗できる者も、ほぼ確実に我と同じく動きは鈍る。……うむ、これは良いものだ。このようなただの思いつきをよくぞここまで仕上げてくれたな、リーディア。礼を言う。ありがとう。そして我を気にせず、使う時は躊躇いなく使うのだぞ」
「え……」
いつになく饒舌な答えが返ってきて、そしていつになく真っ直ぐに告げられた感謝と賞賛の言葉に、リーディアが不意打ちを受けたかのように息を飲んだ。
そして、慌てたように喋り始める。
「あ、いえいえいえいえ、こちらこそだから! それに、ええと、そう! まだどこまで効果範囲を広げて大丈夫なのかとか、木とかの障害物がたくさんある場所だとどうかとか調べなきゃいけないし! 実際に使うの、森の中なんでしょ!?」
「あ、ああ」
「くかか、姫さんも素直に喜んどけばいいのに。まあでもその辺は確かめなきゃいけないよな。あと、ちょっと気になったんだが、ヤーヒムと嬢ちゃんの初めの鳥肌ぶりを思うに、もしかしてコレ、前もって設置して罠を仕掛けるには厳しかったりするか? 二人はどう思う?」
リーディアをからかうような目の煌めきと共に話に割り込んだフーゴが、真面目な顔になってヤーヒムとダーシャに問う。
そう、ヴァンパイアである二人ともが効果範囲を前にしてあれだけ強い違和感を訴えていたのだ。事前に設置しておく罠としては致命的な欠点かもしれなかった。
「……ああ、そうだな。流石に展開されているこれに近づこうとは思わぬな。まず警戒し、確実に迂回を選択するだろう」
「うん、私もそう思う。使うとしたらみんなで森の中に隠れておいて、相手が来たらせーのでリーナ姉さんのコアを使うとか、そんなのがいいのかな?」
先ほどの感覚を思い出し、厳しい表情で答えるヤーヒムに、ダーシャが実に自然に自分から提案を付け加えてきた。
この実験に自分も必要とされているのが嬉しいのもあるのかもしれないが、奴隷から解放されてすぐに比べれば別人のように生き生きと積極的に周囲に関わってきている。
良い傾向だった。こんなところでもダーシャの変化を感じ、ヤーヒムはそっと残る大人二人に視線を流した。フーゴとリーディアも同じことを感じていたようで、三人は目を見交わして密かに微笑みあった。そしてフーゴが代表して口を開く。
「――おお、嬢ちゃんも考えるようになったなあ! そだな、ふたつは起動して仕込んでおくとしても、最後の一個は誰かが頃合いを見てその場で起動させればいいもんな。で、一緒に隠れてた俺が出ていったり姫さんが魔法を使ったりする、と。いい段取りじゃねえか、なあ姫さん?」
「そのとおりねフーゴ。後は実地でいろいろ調整あるのみね」
「……ああ、それでいいだろう」
「だな。よし、そうと決まったら騎士さん達をあんまり待たせても悪いし、そろそろ出発の準備に取り掛かるとするか。嬢ちゃん、またいいアイデアがあったら頼むぞ」
「うん!」
跳ねるような足取りのダーシャを先頭に、一行は獅子の形をした丘を宿営地の方へと下っていった。
いよいよ今日はブシェクに近づく。
予想されるヴァンパイア勢の来襲まではまだ少し日があるが、けしてのんびりはしていられない。
今回の彼らの役割は、基本的には哨戒と時間稼ぎ。本格的な戦闘は熟練の魔法騎兵を多く擁するザヴジェル軍が来てからのこととなる。
だが、相手は二千からのヴァンパイアだ。末端のヴァンパイアほど真祖の支配を受けやすいことを考えれば、もしかしたら真祖ジガが直々に率いてくる可能性も高い。一筋縄ではいかない相手だ。
――全てが杞憂であり、ヴァンパイアの軍勢など来ないでくれるといいのだが。
丘を駆け降りていくダーシャの後ろ姿に、隣を歩むフーゴとリーディアという素晴らしい存在に、心の底からそう願わざるを得ないヤーヒムだった。
次話『呪われた街(前)』