22 新しきヴァンパイア
凶悪なブリザードドラゴンの脅威も、次々と追加で現れる増援もなくなった、ブルザーク大迷宮最下層のスケルトンウォリアーの群れ。
それはもはや辺境の姫将軍率いるザヴジェル特務部隊<ザヴジェルの刺剣>と、新たな能力に覚醒したヤーヒムの敵ではなかった。
二時間ほどで最奥の間に残ったスケルトンウォリアーを一匹残らず殲滅し終えた一行。【ゾーン】で強化され友軍と共闘するヤーヒムにとって、剣での攻撃しかないスケルトンウォリアーはもはや危なげなく処理できる獲物にすぎなくなっていた。
その後僅かに休憩を入れ、一行はヤーヒムの先導でラビリンスコアが鎮座していた円形闘技場の最奥へと足を運んだのだが。
「な――!?」
「え、コアが青くない?」
ヤーヒムのアイスブルーの瞳が気まずそうに見詰めるのは、強烈な青光が消え失せて無色透明になったラビリンスコアの残骸。事前の約束では共闘報酬として二番目に大きな破片ひとつをヤーヒムが、となっていたが、それ以前の問題となってしまっている。
「……すまない。こんな有様だが、欲しければ両方とも持っていってくれ」
「ああ、いや、驚いただけだ。こんなに澄んだコアなど――いや、少し待ってくれ」
遠巻きに足を止めたヤーヒムをよそに、アマーリエを先頭に<ザヴジェルの刺剣>の面々が興味津々といった顔でコアへ歩み寄っていく。
「ううむ……内包する魔力量は変わらぬようだ。いや、却って余計な属性が抜けて澄みきっているというべきか。これはとんでもない代物になっているかもしれん。これがあれば我がザヴジェル領の問題は大きく――ヤーヒム、いいのか? コアに関して遠慮はしないぞ」
「構わない。それに……目標は達した」
琥珀色の瞳を見開いて興奮気味に振り返るアマーリエに、ひっそり安堵のため息を零すヤーヒム。するとそこに、奥歯に物が挟まったような顔をしたフーゴが近づいてきた。
「なあヤーヒム、あんまり詮索する気はねえんだけどよ……もらっといても良くねえか? 元々そういう約束だったんだし。まあ、目標を達したってことはあんたならではの事情があったんだろうけどよ――コアとも会話してたみてえだし……幻みてえになったりとか、ドラゴンの頭の上に突然出現したりとか……俺、全然ついていけてねえけどさあ……」
後半はぶつぶつと独り言になっていったフーゴだが、それは皆も思うことだったのだろう。<ザヴジェルの刺剣>の面々、特にリーディアが何気ない風を装いつつ、その紫水晶の瞳でちらちらと二人の様子を窺っている。
ヤーヒムは小さく息を吸い、軽く瞳を閉じた。
どこまで話すべきだろう。実はラビリンスはヴラヌスという種族で、自分達ヴァンパイアはその幼生であり、いつか結晶化してラビリンスになる存在なのだ――そう話して良いものなのだろうか。ヴラヌスの主食は人であり、幼生の内は人の血を直接啜り、結晶になればその命を貢がせるために空間を司る能力でラビリンスを形成していく、そんな事実を明かしてしまっても良いものなのか?
そして、ヤーヒムの心臓にもその結晶の核が備わっていると断定され、若さにもかかわらずそれが全身を結晶化させる一歩手前まで成長していて、コアの干渉で危うく自身が新たなラビリンスになってしまう寸前だったことまでも?
ヤーヒムの心は千々に乱れ、息を吐き出すことさえ忘れて彷徨っていく。
そう、危うくラビリンスになってしまうところだったのだ。
その危険が今更ながら思い起こされ、ヤーヒムは無意識の内に左手の甲に同化した紅玉に触り、仄かに微笑んだ。
いつも支えてもらってばかりだが、今回も助けてもらったな――そう心の中で語りかける。
この紅玉は、かつて別れに際してラドミーラがその心臓から抜き出したものだ。
きっと今のヤーヒムの心臓にも同じものがあるのだろう。あの結晶体はこれを見てヴルタのなり損ないだと言っていた。ということは、この不滅の紅玉はある意味でラドミーラの結晶体、本体でありラドミーラ自身ということなのだろうか。
今のヤーヒムには、それが真実だというように感じる。この結晶を取り出した後、果たして彼女はどれほど生きられただろうか。
――私の心はずっと、永遠に貴方と一緒よ。
ヤーヒムの胸に、彼女の最後の言葉が鮮やかに、静かな感動と共に甦った。確かにヤーヒムはずっとこの紅玉に強くラドミーラを感じていた。そして、今回のコアとの戦いで支えられたのはもちろんのこと、これまでにもどれだけの力を貰ってきたことか。
ヤーヒムは静かに目を開き、己の手の甲で艶やかに輝く不滅の紅玉をそっと撫でた。かつてのラドミーラの瞳の色と全く同じその輝きを、懐かしむようにじっと眺める。
コアはこれを見て、紅に固執する愚かものだとも言っていた。
だが、そうだろうか。長く孤独な生から逃れようと永遠の伴侶を必死になって求め、今でもこうしてヤーヒムの手で当時と同じ輝きを放ち続けて、ラビリンスにはならずに共に存在し続けようとするラドミーラ。今ならそれも理解できる気がした。彼らヴラヌスが最終的に青い結晶となって孤独に永遠を生きる種族ならば、ヤーヒムだってそんな進化はごめんだった。病的なほどに孤独を恐れていたラドミーラ。おそらく全てはそんなヴラヌスの進化を知った上での行動だったのではないだろうか。
「――その左手の甲の紅玉だって、普通のヴァンパイアにはないもんだよな? そんなに目立つのに、昔話も含めて一度も聞いたことねえし」
ヤーヒムが視線を上げると、放置した形になってしまったフーゴが未だぶつぶつ言っていた。
どこかで見た光景――そう、いつだったか戦いの後、食事を勧めに来てくれた時だったか。あれから握手をして、その後ガーゴイルの包囲網の中に駆けつけた時は、最高の笑顔で迎えてくれた。気持ちの良い男なのだ。
「……そうだな。これは、特別なものだ。唯一無二、我にとってかけがえのない、な」
もうあの時のように彼を無視するつもりはない。ヤーヒムは左手の紅玉を撫でながら再びそこに目を落とした。
この不滅の紅玉は本当の意味でラドミーラ自身ではない。彼女の精髄、エッセンスとでもいうべきだろうか。だが、孤独を嫌い、瑞々しい感情と共に生きることを渇望するその本質は、ヤーヒムの心と強く共鳴するものがあるのだ。
彼女のように人の血を必要な犠牲と割り切ることはできないし、彼女が最終的にどんな形を目指していたのかすら分からない。
少なくともヤーヒムに人の血を飲ませ、更なる成長へと導こうとしていたのは事実だ。その後のヤーヒムの訣別宣言で衝動的に己の結晶化を選んだ彼女だったが、元々の思惑では二人で生を保ったまま共に永遠に時を過ごす形だった筈だ。五千年を生き長らえた狂気のヴァンパイア、孤独を病的に恐れるラドミーラは永遠の番いと公言していたヤーヒムとの旅路に、はたして何を目論んでいたのだろうか。
「……なんだか、恋人にもらったものみたい」
いつの間にか傍まで来ていたリーディアが、遠巻きに紅玉を見詰めながら寂しげに呟いた。
エルフの血を引く可憐な顔からはいつもの溌剌さが影を潜め、紫水晶の瞳はありありと複雑な感情で彩られている。その人間らしい瑞々しい感情の起伏もまた、ヤーヒムから見れば眩しいもので――
「この後どうするのだ、ヤーヒム?」
コアの回収を済ませたアマーリエが、黙り込んでしまったリーディアの後ろからさばさばとした声を掛けてきた。
「良ければ我らと一緒にザヴジェル領に来ないか。このブシェクから馬車で二ヶ月の所にある我らが領土だ。そこで北の魔の森から押し出してる魔獣の相手や、他の未攻略ラビリンスを巡ってコアを集める手伝いをしてくれないか? 貴殿の素性を知った上での申し出だ。ここのコアの礼もある。ザヴジェルの名に賭けて、悪いようにはしないことを誓おう」
あくまでも口調は軽めだったが、彼女の真剣さはその鋭い琥珀色の瞳にまざまざと表れていた。
「あ、それ良いわね! 私も手伝うわ! なんだか違法奴隷の調査の方も自滅という結果でなし崩し的に終わったっぽいし、それに、連れて帰れるか分からないけれどダーシャを保護したということも実績にはなるわ。一族の課題もきっとこれで達成、だから私も一緒に――」
「ふふ、少し落ち着けリーナ。なあヤーヒム、フーゴから聞いたのだが、人の血は飲まぬ、そう誓いを立てたのは本当か?」
急に生き生きと喋り出したリーディアを嗜めたアマーリエが、真剣な色を残したままヤーヒムにじっと視線を注いだ。
「……ああ」
「ならば問題は何もない。煩いことを言う輩、邪なことを企む輩はこのアマーリエ=ザヴジェルが全力をもって黙らせよう。望むなら過去の不埒な輩に制裁を下すのにも手を貸そう。それにザヴジェル領は元来が人種に寛容な土地柄だ。辺境伯家自体が虎人の血を引いてもいるしな。あわよくば貴殿の終の棲家にもなろう。どうだ?」
覚悟のこもった凛とした眼差しを注ぐ辺境の雄、ザヴジェル家長女のアマーリエ。そこには憐憫や同情の色は一切なかった。ただ、ヤーヒムという個人を真摯に見詰める気高い騎士の姿があるのみ。
思わず言葉を呑み込んでしまったヤーヒムだったが、そこにフーゴが前脚で地面を掻きながら割り込んできた。
「おおお? 何だよ俺だけ仲間外れかよ。なあ姫さん、そういうことならいっそのこと俺もこのままザヴジェルで雇ってくんねえか? なんだかこの街とかユニオンとかから妙に愛着が失せちまってよ、向こうじゃ四六時中ずっと魔獣の群れと戦ってんだろ? 俺は絶対に役に立つぜ?」
「ふふ、<暴れ馬>フーゴなら皆も大歓迎だろう。細かいことはマクシムと詰めてくれ」
「よし、決まりだ! じゃ、またしばらく一緒だな。楽しくなってきたぜ!」
「――すまないが」
勝手に盛り上がっていく面々に、ヤーヒムが低い声で待ったをかけた。その頭にあるのは二つ。
一つ目は、彼がヴァンパイアであること。
彼らはああ言ってくれているが、ヴァンパイアに対する恐怖は人間社会の奥深くまで根付いている。更に、彼の血が人に与える治癒効果の問題もある。絶滅したと噂の、しかも真祖直系の希少な高位ヴァンパイアの血だ。既にこのラビリンスの外では、欲深き者達が手ぐすね引いて彼を待ち構えている可能性が高い。一歩間違うと、国をも巻き込んだ凄惨な争いが巻き起こる可能性だってあるのではないか。
アマーリエの言葉に嘘はないことは分かっている。きっとザヴジェルとかいう辺境貴族家を引き込んで全力でヤーヒムを守ろうとしてくれるだろう。だが……やはり、そこまでの迷惑はかけられない。
そして何より。
彼らの申し出に甘えられない理由の二つ目は、これから己がどう生きていくかということ。
確かにヤーヒムは人の血を飲まぬと誓った。その誓いを反故にするつもりもない。だが、今回この大迷宮で分かったのは、成長するならラビリンスコアを喰らっても良いということだ。その方が格段に効率的で早かったりするのだ。そして、そうやって成長をしていけば、もしかしたらラドミーラが自分を騙してでも人の血を飲ませて成長させようとした、その目指していた場所に辿り着けるかもしれない。それはおそらく――ヴァンパイアがラビリンスにならずに生き続けられる道、それで間違いない筈だ。
五千年を生きた彼女は何を知っていたのだろうか。
年若きヤーヒムは何も知らない。他のヴァンパイアは知っているのだろうか。ヤーヒムの中には元々他のヴァンパイアを探して回るという目標があったが、それが今、より確固たる欲求となってヤーヒムの胸を焦がし始めていた。
「――申し出は有り難いが、人とは寿命が違い過ぎる。長く時間を共にすれば情が湧くだけ虚しくなる。それに、元から決めていたのだ。ここを出たら他のヴァンパイアを探して回ろうと」
その途中、ラビリンスがあれば積極的に潜ってコアを屠り、その力を取り込んでいくのだ。
ここのコアから啜った青の力は、ヤーヒムに【ゾーン】や【霧化】といった新たな力をもたらした。コアが持っていた本来の力を考えると取り込めたものは微々たるものだが、【ゾーン】は更なる近接戦闘能力を、【霧化】は課題であった回避能力を大きく底上げしてくれた。
使い方を間違えずきちんと己の物にし、油断をしなければ魔法使いを揃えたヴァンパイア狩りにもそうそう捕まることはないだろう。今のヤーヒムなら、終ぞ敵わなかったラドミーラとの戦闘訓練でも一本を取れるかもしれない程にはなっている。
そして、そうやってヴァンパイアとして成長していくことは、ラドミーラが目指していたであろう答えに近づくひとつの方法だ。人の血を飲まぬと誓ったヤーヒムにとって、その成長手段はヴラヌスという己の種族に真っ向から立ち向かうものとなる。だが、構うものか。その答えを求め、己が足で生を歩み続ける。それがヤーヒムの進むべき道であり、ラドミーラへのせめてもの手向けとなる、そんな確信があった。
「……そうか」
アイスブルーの瞳に浮かぶ固い意思を見て、アマーリエがため息を吐いた。
「想いは伝えた。無理強いはしない。気が変わったらいつでも声をかけてくれ。用意はしておこう」
「ヤーヒム……」
「ね、ねえヤーヒム、私の祖父が昔の伝承にとても詳しいの。ひょっとしたら他のヴァンパイアの手掛かりとか知ってるかもしれないし、あの、ええと、せめて、せめて祖父宛の紹介状だけでも書かせて。ザヴジェル領の外れのヘジュマンという山奥に住んでいるの――」
アマーリエのさっぱりとした返事と対照的に、ヤーヒムの手を握らんばかりに必死に言い募るリーディア。痛ましげに眉をしかめるフーゴの脇から、マクシム以下の騎士達が傷だらけの騎士鎧を軋ませて一歩前に足を踏み出してきた。
「ヤーヒム殿」
長年の風雪に負けず己を磨き続けてきた彫りの深い実直な顔に厳粛な表情を浮かべ、誇り高き錆色の瞳でまっすぐに眼前のヴァンパイアを見詰めているマクシム。侵しがたい威厳が周囲を支配する中、残る二人の騎士達もすっとマクシムの背後で直立不動の姿勢を取った。
「共闘に心からの感謝を。誇り高き古の騎士よ、御身に神のご加護があらんことを」
マクシム=ヘルツィーク、鉄壁を誇る辺境ザヴジェル騎士団の上級騎士三名が、一斉に踵を鳴らして流麗な騎士礼を施した。
想いのこもった美しい騎士礼だった。拳で複雑に左胸を叩き、古めかしくも典雅な騎士答礼を返すヤーヒム。
「…………」
皆、相変わらずなことだ――だが、胸が震えるほどに好ましい――ヤーヒムは遥か昔に諦めていた、自分を忌避しない稀有な人間達に向けてその鋭くも整った闇の種族の顔に仄かな微笑みを浮かべた。底の底まで凍っていた筈の心に、春の日差しのような温もりが確かに感じられる。紫水晶の美しい瞳に涙を浮かべるリーディアに何か言おうとして、思いもよらない言葉が口をついた。
「――ただ、他のヴァンパイアを探しに行く、その前に……少しだけダーシャの顔を見させてくれ。遠くからで良い、旅立つ前にあの子が笑う姿も見ておきたい」
ダーシャ。
ヤーヒムが解放した奴隷で忌み子の少女。
目の前の面々にとってもそれは予想外の言葉だったのだろう。
皆ぽかんと口を開け――そしてリーディアが花も綻ぶような笑顔を浮かべて答えた。
「ええ、ええ! もちろんよ! ダーシャも喜ぶわ!」
思わぬ展開にヤーヒム自身が一番驚いていた。
だが、美しい紫水晶の瞳を輝かせて喜ぶリーディアの顔を見、あの絶望しかなかった忌み子の少女の緋色の瞳が喜びに輝くさまを見ておきたいという、己のその言葉に偽りはないことを実感した。その光景は眼前の妹と同じ紫水晶の瞳を持つこの乙女の笑顔と同様、今後のヤーヒムの大きな力となるだろう。
これからは厳しい戦いが待っている。
この大迷宮から一歩外に出れば、またヤーヒムの血を狙う輩との戦いが始まるだろう。加えて、人間は目の前の<ザヴジェルの刺剣>のような奇特な者達ばかりではない。ヤーヒムはヴァンパイアだ。他のヴァンパイアを求めて旅などすれば、それだけで人間の社会全体との戦いになる可能性だってある。だが、だからどうしたというのか。
ヴァンパイア狩りと渡り合う最低限の力は得た。己の種族ヴラヌスの上位種たるラビリンスを狩ってその青の力を啜れば、更に強化ができることも分かった。
それは文字どおり同族に牙を剥き、己の種に叛旗を翻す道でもある。孤独な戦いとなるだろう。茨の道となるのかもしれない。だが、覚悟は出来ている。
たとえ目の前に何者が立ち塞がろうとも。
自分自身のために、ラドミーラの想いを継ぐために。
ラドミーラが為そうとしていたこと、ヴァンパイアがラビリンスにならずに生き続けられる道、その答えを求め、己が足で生を歩み続ける。
それが新しきヴァンパイア、ヤーヒムの進むべき道。不滅の紅玉をその手に託された者の歩む道なのだ。
「――そろそろ行くか。帰還の宝珠はないからな、のんびりもしておれん」
「ま、六十階層まで戻りゃ転移スフィアで一気に戻れるし、二つ戻れば<常昼の無限砂漠>だ。六十まで戻らなくても、そっから先で誰かに会えれば譲ってもらえるさ。なんてたってラビリンス攻略の大英雄一行様だからな。ヤーヒムもそのダーシャって子に会いに行くんだろ? せめてそこまでは同行させてくれよ」
「え、あと、ええと、そう! 祖父宛の紹介状も書かなきゃいけないし、ダーシャもそのボロボロのローブじゃ吃驚するわ! 今後の旅の支度も併せて宿に何日か滞在して買い物とか――」
……相変わらず、賑やかで好ましい面々だ。
ヤーヒムはやわらかい微笑みを浮かべ、自らの胸に感情の灯火をもたらしてくれた人間達の顔を眺めた。その灯火はコアの冷たい青の力を打ち払うに足る確固としたもの。共に過ごしたのは僅かな時間でしかないが、この先、彼らと共に戦った記憶はずっと彼の胸を温め続けてくれるだろう。
だが、それだけに尚更彼らを巻き込む訳にはいかない。
ヤーヒムは静かにその鋭い顎を引き締めた。
これから待っているのは厳しい道だ。
ヴァンパイアを忌避する表の世界に踏み出し、欲に塗れた追手と渡り合い、己の種族ヴラヌスの上位存在たるラビリンスを狩っていく。人間社会も同族社会も周囲は全て潜在的な敵だ。だが、目の前に立ち塞がるものは何であろうと全力で抗っていく。それは社会にも種族にも立ち向かう叛逆の道。
けれども。
その先に、その彼方に、少なくとも一部の人間達――ダーシャやフーゴ、リーディアやアマーリエ、そしてどこか懐かしい騎士マクシム達のような、彼を忌避しない人間達――と共存する道があるのではないだろうか。
ヴァンパイアは人の血を飲まずとも生きていける。周囲と共に生きていける道が絶対にある筈なのだ。
「――さあ、行こうか」
新しきヴァンパイアの孤独な戦いが始まる。
<叛逆のヴァンパイア・第一部「Vampire & Labyrinth」―了―>
第一部「Vampire & Labyrinth」(ヴァンパイア&ラビリンス)は以上で終了です。
第二部「Vampire & Throngs」(ヴァンパイアと人々)は、数日のお休みを頂いてから再開します。
なお、第二部開幕となる『第二部プロローグ 追いかける者たち』『23話 包囲網(前)』、2話まとめての投稿予定です。お楽しみに。




