✦ 17話 静かな夜 ✦
夜
勉強が終わったあと、机の上にはノートが広がったままになっていた
紬は大きく伸びをする
「はー、今日はここまで」
陽向は少し疲れた顔をしていたけれど、どこか満足げだった
「……できた」
紬は嬉しそうに笑う
「うん、よく頑張ったわね。ちゃんと解けてたわよ」
ノートを閉じながら、紬は陽向の頭を軽くなでた
「本当に?」
「本当よ。紬お母さんの教え方がいいからかしら。……なんてね、自分で言っちゃった」
陽向は椅子から立ち上がり、紬の服の裾をそっと引いた
「紬お母さん」
「なあに?」
「約束……覚えてる?」
紬は首をかしげる
「約束?」
陽向は期待に満ちた瞳で見上げた。
「お勉強が終わったら、遊んでくれるって言った……」
紬はあの日のことを思い出し、ふっと笑った
「ああ、言ったわね」
陽向の表情がぱっと明るくなる
紬は棚から小さな箱を取り出した
「はい、どうぞ」
中には陽向が昔遊んで大切にしていた人形が入っていた。
陽向の目がきらりと輝く。
「……懐かしい、ありがとう」
紬は床に座り込む。
「じゃあ、少しだけね」
陽向も向かい合わせに座り、人形を手に取った。
紬は声を少し柔らかくして言う。
「こんばんは、陽向くん」
陽向も自然な声で返す。
「こんばんは」
紬は母親のような口調で尋ねた。
「今日は何をしていたのかしら?」
陽向は少し考えてから、照れくさそうに答える。
「……お母さんと、お勉強してた」
紬は一瞬だけ動きを止めたが、すぐに優しい笑顔になった。
「そっか。偉いわね」
紬は何も言わず、
ただそっと陽向の髪に触れた
ゆっくり、ゆっくりと撫でる
「……うん」
それだけを、優しく返す
しばらくして
陽向の呼吸が、少しずつ穏やかになっていく
紬はその変化を感じながら、手を止めなかった
「ねえ、陽向」
小さく呼ぶ
返事はない
もう、半分眠っている
紬は少しだけ微笑んだ
「明日も、ちゃんと行くのよ」
答えはない
けれど、陽向の指が、布団の中で少しだけ動いた
紬は静かに立ち上がる
部屋の灯りをさらに落とし、
扉の前で一度だけ振り返った
「……大丈夫」
誰に言うでもなく
小さくつぶやく
その声は、もう迷いのないものだった
(私が言う“大丈夫”は、ちゃんと届く)




