✦ プロローグ 迷子の帰り道 ✦
夕方。
校舎の裏は、風の音だけが響いていた。
陽向は壁にもたれ、浅く息をつく。
制服の袖が、少し汚れている。
「……ごめん」
こぼれた声は、小さい。
「また謝ってる」
「早っ」
笑い声が重なる。
軽いはずのそれが、胸の奥に冷たく沈む。
カバンを押されて、体がよろけた。
とっさに壁に手をつく。
痛い、というより。
なにかが、ぎゅっと縮む感じがした。
(なんで、ぼくなんだろ)
チビで、おとなしくて、反応しやすい。
それだけで十分なんだ。
「ほら、泣きそう」
「泣くなよ」
「中学生だろ」
唇を噛む。
泣きたくない。
「泣いたら、もっと弱くなる気がした」
「……帰れよ」
誰かの声。
それだけで十分だった。
陽向は小さくうなずいて、その場を離れる。
足が、少しだけ震えている。
校門を出ると、夕焼けが広がっていた。
オレンジ色の光が、やけに眩しい。
(帰りたくないな……)
家に帰っても、母はまだいない。
静かな部屋は、少しだけ苦手だった。
伸びた影の中で、ふと立ち止まる。
「……迷子みたいだ」
小さくつぶやいて、
少しだけ笑った。
そのとき。
「陽向?」
聞き慣れた声。
振り返ると、ふたつ年下の紬が立っていた。
陽向より背が高くて、
夕焼けの中で、少しだけ大人びて見える。
「迎えに来たの。遅いから」
近づいてきて、袖の汚れに気づく。
「……またなの?」
責めるでもなく、
ただ少しだけ困ったような声。
陽向は答えられない。
紬は小さく息をついて、
そっと頭に手を置いた。
「帰ろ。ごはん、作るから」
その声は、静かで。
どこか、安心する温度をしていた。
陽向は、小さくうなずく。
(紬がいてくれてよかった)
そう思った。




