ネムのヒモになる
俺はネムを、オリガミの本体が眠る地下研究室へと案内することにした。
物置の奥、古いスチール棚を横にスライドさせると、コンクリートで固められた階段が現れる。
「へえ、秘密基地みたいで、かっこいいじゃないか」
わかる!秘密基地みたいだよな!
こういうのドキドキするよな!
俺は、ワクワクを隠せていないネムを先導して、足元に気をつけながら下っていく。階段を降りきったところで、重たい鉄扉の取っ手を握る。
「開けるよ」
「ああ……!」
扉をガラッとひらくと、ひんやりとした空気がこちらに流れ込んできた。
「おおー!」
ネムが感嘆の声をあげる。
その声に背中を押されるように、俺も中へと足を踏み入れた。
※※※
奥に広がるのは、二十畳ほどの研究室。床はコンクリート剥き出し、天井にはパイプとケーブルが複雑に走っている。無機質な照明が、冷たく静かに空間を照らしていた。
手前にはサーバーラックとワークデスク。デスクの上には、2×2に並んだ4台のモニターが無音で光を放っている。黒背景に走るライン、チラつくログ、そして静かな稼働音。
もちろん、以前のような「塩基枯渇アラート」は、どこにも表示されていない。
※※※
「ここが……」
ネムが息を呑む。
「ここが、オリガミのある研究室か……」
目を見開いて、ネムはキョロキョロとあたりを見渡した。その目は驚きと興奮に満ちていて、まるで未知の遊園地に迷い込んだ子どものようだった。
そして、彼女の視線が部屋の中央に止まる。
部屋の中央には、真っ黒な一メートル四方の立方体。そこに白く浮かび上がる折り鶴と、その下の"Origami"の文字。
「正太郎、これか?」
「ああ。これがオリガミの本体だ」
※※※
「これが、オリガミの本体……」
ネムが立方体に顔を近づけながら、ぽつりとつぶやいた。
「こんな小さいのか……この中に、AGIに到達した人工知能が……」
指先が震えている。感動とも、緊張ともとれるその動き。彼女の声に徐々に熱が入っていく。
「コンピューターで構築するAIが馬鹿みたいだな……人類が初めて到達した、人類を超える知性……」
視線が天井をさまよい、独り言のように続ける。
「ほとんど電力も必要ないし、思考も学習も光反応……」
「データさえあれば、ほぼ一瞬で学習を終える……性能は、学習データの品質次第ってところか……」
ネムは、ゆっくりと立方体に手を伸ばし、触れようとした。しかし、寸前で止める。彼女は深く息を吐いたあと、少し笑って言った。
「DNAニューロンでのAI構築……本当にすごいな。正太郎のお父上は、間違いなく天才だよ」
※※※
ネムのスイッチが切り替わった感じがした。
心の奥からこみ上げる感情が、明らかに表情に出てきていた。
頬が徐々に赤みを帯び、肩が小刻みに震え始める。抑えきれない興奮が、彼女の身体を支配していく。目の焦点がふわりと泳いだ。
あ、くるぞ、ネムの「あれ」がくる。
「おほっ♡おほおおおおおおっっっ♡つた、伝わってくるぅ……!静かな光と、知性のきらめきィ……ッ!」
例の声が研究室に、鳴り響いた。
「……なんだか少しムラっとくるな……」
そんなことをボソッとつぶやきながら、俺はそっと半歩、ネムから距離をとった。
※※※
ネムはそのまま十数秒ほど、視線を宙に泳がせ、顔を真っ赤にして震えていた。完全に沸騰している。
……が、それもやがて徐々に収まっていった。
深呼吸を何度か繰り返し、ぐしゃぐしゃだった前髪をかき上げると、ようやく目に理性の光が戻る。
※※※
そして、さっきまでの恍惚が嘘だったかのように、ネムは表情を引き締めて言った。
「だからやっぱり、注意しなきゃ駄目だ」
ネムの声色が変わった。さっきまで興奮していた目が、一転して鋭くなる。
「この技術を得た国が、次の覇権国家になる。こんなのが世に出たら、下手すれば世界大戦だ。絶対に秘密にしなきゃいけない」
ネムの言葉に迷いはなかった。これは冗談でも大げさでもないのだと、嫌でも伝わってくる。
「お前もだぞ、正太郎。……この技術の中核は、お前だ。バレたら、間違いなく狙われる。誘拐もある。拉致もある。国は守ってくれないぞ?大国に引き渡されても、おかしくない」
「正太郎の才能と、オリガミ。この二つは、絶対に外に出しちゃダメだ」
彼女の手が、拳を握る。
「でもな……秘密なんて、どこかで絶対に漏れる。完全な秘匿なんて幻想だ。だから、先に動かなきゃいけない」
「まずはオリガミの成長。それを起点にカネを稼ぐ。そしてそのカネを、またオリガミに注ぐ。全部、秘密裏にな」
「そして、いずれバレたとき……私たち自身の身を、自分たちの手で守れるようにしておかないといけない」
※※※
なるほどな。ネムの考えは、俺たちとまったく同じだった。だったら、やるべきことはひとつしかない。
「さて……オリガミ、始めるぞ」
『はい、お兄様。「ヒモ作戦」開始します』
※※※
俺は無言のまま、ネムの正面へと歩を進めた。
すでに覚悟は決めていた。男として、やるべきことをやらなければならない。
ネムがきょとんとした表情で、俺を見上げる。
その視線を正面から受けながら、俺は膝をついた。背筋を伸ばし、両手を丁寧に床へと置く。動作に迷いはない。そして、堂々と、深々と、頭を下げた。
土下座だ。俺はネムに向かって、土下座した。覚悟の土下座だ。
「ネムさん!お金を、お金を貸してください!ちょっとだけ。ちょっとだけでいいから貸してください!」
俺は頭を下げたまま、必死に声を絞り出した。
「……塩基不足でオリガミが暴走したことがあってさ。あのときの恐怖、まだ忘れられない。塩基のストックも、もう少ししかないんだ」
オリガミが外部にバレそうになったのも、あのときだった。あんなリスクは、もうゴメンだ。
「それにネムが言う通り、自分たちを守るための力をつけなきゃ、俺たち危ないと思う。だから、素材や設備を買うための資金が必要なんだ!」
少し息を吐いて、顔を上げる。ネムの目を見据えて、最後の一言をぶつけた。
「だから、お願いします!貸してください!」
ネムはあっさり答えた。
「ん?ああ、もちろん。いいぞ」
「……そこをなんとか!……えっ、いいの?」
絶対に渋られると思ってた。お金、大事だもの。
「いいよ。貸すんじゃなくて、あげる。だって、世界一のAIの開発に携われるんだぞ?最高にワクワクするじゃないか!?それに、オリガミが成長すれば、お金なんていくらでも手に入るだろうしな!」
ネムの目が本気で輝いている。
「え?まじでいいの?」
あまりにあっさりしすぎていて、内容が頭に入ってこない。え?お金くれるの?
「いいって言ってる。その代わり、今日からワタシもこの家に住むから」
急に話のレイヤーが変わった。え?住む?
「この家に住んで、しっかりオリガミの開発に携わるから!」
かまわないけど……俺、警察に捕まったりしない?
いや、ネムは俺より年上だ。絵面以外は問題ない。たぶん。
「わ、わかった……オリガミもそれでいいな?」
『はい、お兄様。大丈夫です。ネムさん、一蓮托生ですね。これからよろしくお願いします』
「まかせとけ!」
※※※
『「ヒモ作戦」が目標レベルに達したと判断しました。以上をもって作戦を完了といたします。お兄様、本当にお疲れ様でし……疲れてはないですね』
「全然、疲れてない」
※※※
こうして、俺たちは、ネムのヒモになった。
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