父と俺と折り紙
保育園に通っていた頃のことだ。
「すごいな、正太郎。折り紙、本当に上手だな?」
父の言葉に、幼い正太郎はぱあっと笑顔を咲かせて答えた。
「うん! 保育園の先生が教えてくれたんだ!」
「そうか。楽しいか?」
「うん!」
「そうか。楽しいことはいいことだな。完成したら父さんにみせてくれな?」
「わかった!」
当時の俺は、折り紙に夢中だった。父に褒められたの事で拍車がかかり、どんどん折り紙にのめり込んでいった。みんなが外で遊んでいるときも、俺は室内でずっと折り紙をしていた。
周りからは浮いていたかもしれないけど、父は何も言わなかった。いつも優しく見守ってくれていた。
***
――それから数年が経ち、俺は小学二年生になっていた。
その頃も、俺は相変わらず折り紙に夢中だった。毎日放課後になると、ランドセルを放り出して紙を広げ、ひたすら折る。
気がつくと、外が暗くなっていることもよくあった。折っているあいだは、時間の感覚なんてどこかにいってしまっていた。
ある日、いつものように夢中で折っていたとき、背後から父がそっと近づいてきた。視線を感じて振り向くと、父が俺の手元を覗き込んでいた。驚いたように目を見開いていた。
「なあ、お前の折り紙すごいことになってないか?」
俺は、少し胸を張って立ち上がると、作品をひとつずつ机の上に並べはじめた。
最初に置いたのは、塔のように複雑に折り重なったサグラダ・ファミリア。次に広げたのは、端正な屋根が何層にも重なった姫路城。最後に、丸く膨らんだ奇妙な形の深海魚であるデメニギスを並べた。
そして、得意げな顔で言った。
「すごいでしょ! これがサグラダ・ファミリア、こっちは姫路城! で、これがデメニギス!」
「……なんでデメニギス?」
「この目のところ、めっちゃこだわったんだ!」
父は思わず顔を近づけ、デメニギスをじっと見つめた。
「……たしかに。なんか……透けて見えるな」
首をかしげつつも、声には感心した色がにじんでいた。
「なあ正太郎、どうやって、こんなすごい折り紙作ってるんだ?」
「え?」
「本とかネットとかで調べたのか?」
「ううん、ちがうよ」
「じゃあ……どうして折れるんだ?」
僕は少し考えてから、正直に答えた。
「うーん……なんとなく、頭の中に浮かぶんだ。どこをどんな順番で折ればいいか、見えるの」
「考えてるわけじゃなくて?」
「うん、“見える”って感じ」
「……そうか。とにかく、すごい折り紙だ。さすがだな」
「うん! 折り紙だいすき!」
父は作品を見つめながら、小さな声でなにかをぶつぶつとつぶやいていた。
「特殊な共感覚……?それも後天的な……?そんなものあるのか?」
難しい言葉だったから、当時の俺にはよくわからなかった。でも、父がすごく真剣に考えているのは伝わってきた。
折り紙の話をしてるのに、なんでそんなに難しい顔してるんだろうって、不思議だった。
***
その次の日の午後、父はリボンみたいな細長い紙を持ってきた。
「なあ正太郎。父さん、ちょっとこういう形のモノを折り紙で作りたいんだ。リボンみたいな、この細長い紙でできるか?」
正太郎は紙を手に取り、じっと見つめる。
「なにこの紙? 細いね。んー……たぶん、できるよ。ちょっと時間ちょうだい」
「ああ、いくらでも待つぞ」
しばらく紙とにらめっこしたあと、折りあげた作品を父のもとへ持っていった。
「とうさん! できた!」
「もうできたの?一時間もかかってないぞ」
「すごいでしょ!」
「完璧じゃないか……!これはすごい!また頼んでもいいか!?」
「いいよ!でもこれ、なんなの?デコボコしてて、なんか変な形」
父は少し困ったように笑った。
「父さんの仕事で使うんだ。まだたくさん、この“デコボコな物体”を作らなきゃいけなくてな」
「そっか!またいつでも言ってよ!」
「ああ、助かるよ。よし!今日は正太郎の好きなものを買ってやるぞ!お礼だ!」
「やった! じゃあ、大量の紙と、いろんな図鑑がほしい!」
「いいぞ!いくらでも買ってやる! 出かけよう!晩ごはんも、正太郎の好きなもん、なんでも食わせてやる!」
「やったー!」
そんなふうに、俺と父さんは、いつも笑いながら暮らしていた。何気ない日々だったけれど、今思えば、それはすごく幸せな時間だった。
***
母さんは、俺が物心つく前に病気で亡くなったらしい。
寂しくないと言えば嘘になる。けれど、父さんはいつも、俺の大切な瞬間にいてくれた。
仕事も自宅勤務に変えてくれていたみたいで、ひとりでいる寂しさを感じることは、ほとんどなかった。
つらいと思ったことも、あまりなかった。
***
その父さんがこの世を去ったのは、俺が高校に入ってすぐのことだった。
学校から帰ってきて、制服を脱ぐ間も惜しんで、俺は机に向かっていた。あと少しで完成する予定だった、折り紙の戦艦大和。細かいパーツをひとつずつ組み合わせながら、今夜中には仕上がるだろうと思っていた。
そのときだった。スマホが鳴った。少し遠くで響くような、妙に冷たい音だった。
「藤崎さんのご子息ですか? お父様が倒れられました。救急車で搬送中です。今すぐ、豊洲総合病院までお越しください!」
何を言われたのか、最初はうまく頭に入ってこなかった。ただ、“倒れた”とか“病院”とか、単語だけがバラバラに刺さってくる感じだった。気づいたときには受話器を置いて、玄関に向かって走り出していた。
靴を履いた記憶もない。自転車をこいだのか、走ってきたのか、それすらあやふやだ。ただただ無我夢中だった。時間の感覚もなかった。
気がつけば、病院の受付で名前を告げていた。
案内された処置室の前で、白衣の人たちが何か話していた。けど、耳に届いてこない。言葉の意味が頭に入ってこない。周囲の音が遠ざかっていく中で、ひとつだけ、はっきりと伝えられた。
父は、すでに息を引き取っていた。
死因は、心筋梗塞だった。あまりにも突然で、あっけなくて、なんでこんなふうに終わるのか、理解が追いつかなかった。
何を考えたのかも思い出せない。ただ、その日のことを振り返るたびに、なぜか未完成の戦艦大和の姿が頭に浮かぶ。
そしてその日から、俺の家族は俺だけになった。
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