01
空にはどんよりとした灰色の雲が垂れ込め、今にも泣き出しそうな気配がしているからか心の中も空模様と同じくらい、ずっしりと重い。
「クーラカーナ、君との婚約は破棄させてもらう。君はもう伯爵家には必要ない」
冷酷な声が脳裏にこだまする。目の前にいるのは元婚約者、トウマス・ヘテルイナタラといい、この国で最も権力を持つヘテルイナタラ伯爵家の嫡男。
見捨てられるなんて。
「なぜ……?」
震える声で尋ねるがトウマスに冷たい視線を向けられ、心臓が痛い。
「君の家は、もう借金まみれだ。このままではヘテルイナタラ家の名に傷がつく。それに、君には伯爵夫人としての品格がない」
心は凍りついた。品格がない?
確かに、他の令嬢たちのように優雅なピアノを弾くことも、刺繍をすることも、華やかな社交界で微笑むことも苦手だった。
代わりに父の古い研究室で、本を読み漁るのが好きなのが多分ダメだったらしい。
「ごめんなさい、トウマス様。私が至らなかったばかりに……」
謝罪の言葉を口にするとトウマスはため息をついた。
「もういい。これで解放されると思うと。それに、君にはこの紙切れがあるだろう?」
一枚の書類を目の前に突き出したのは父が持っていた、屋敷の借金の肩代わりをヘテルイナタラ家がするという契約書。書類を震える手で受け取った。
「感謝いたします、トウマス様」
深々と頭を下げるとトウマスは無言で屋敷を後にしたが残されたのは広すぎる屋敷、借金という重い現実だけ。
部屋に戻り、ベッドに身を投げ出したら涙が止まらない。トウマスが好きだったので結婚して、幸せな家庭を築くことを夢見ていたのに夢は、あっけなく打ち砕かれた。
どれくらいそうしていたのか。やがて、心に一つの声が響いた。
(泣いてる場合じゃない! 私はクーラカーナ・グレイではなく前世の私なんだから!)
そうだ。転生した転生者で、しがない寿司職人。
父が寿司屋を経営していて、幼い頃から店を手伝い、腕を磨いたらなぜかこの世界ではショップスキルという、特殊な能力を与えられた。
職業に関連するスキルを使えるというもので己の場合はもちろん、寿司職人のスキルだったけれど、過去の寿司屋を継ぐことはできなかった記憶もある。
なんせ父の店は時代の波に飲まれ、閉店してしまったからもう一度、寿司屋をやりたかった。でも、伯爵令嬢という立場が邪魔をしていたし、婚約者であるトウマスは寿司屋をやることに猛反対だったことで、諦めるしかなくて。
「君がそんな卑しい仕事をするなんて、ヘテルイナタラ家の名折れだ!」
そう言って夢をことごとく否定したが、今回で邪魔者はいなくなったのだし、あんなエセ男も伯爵令嬢という立場ももう、関係ない。
たかだか、借金があったからと捨てた人に気持ちを向けたくなんかないと奮起。
(これで心置きなく、寿司屋ができる)
悲しみの感情はいつの間にか高揚感に変わっていた。
ベッドから飛び起き、クローゼットの奥に隠しておいた作業着を取り出してから、屋敷の庭に向かうと立派な離れがあり、そこは生前父が趣味の書斎として使っていた場所だ。
そこなら、人目を気にせず店を構えることができると早速、離れに向かうと、中を見る。埃をかぶった古びた本や、ガラクタばかりのそれらを、すべて運び出して掃除を始めた。
「ショップスキル、発動」
心の中でそう念じると、目の前に透明のパネルが現れた。
ゲームのようなスキル一覧。
【ショップスキル】
・スキル名:魚の目利き
・説明:魚介類の状態を見抜くことができる。
・スキル名:包丁捌き
・説明:あらゆる食材を、思い通りに切ることができる。
・スキル名:シャリ作り
・説明:最適なシャリを作ることができる。
・スキル名:握りの技
・説明:美味しい寿司を握ることができる。
パネルには、他にも様々なスキルが表示されていた。
(すごい……前世の経験が、そのままスキルになってる)
感激した。これがあれば、きっと美味しい寿司が作れる。
「まずは、お店の準備だなぁ」
決意し、掃除と模様替えを始めた。床を磨き、壁を塗り替え、窓を拭きガラクタを片付ける。
「開かないと」
何日もかかって、ようやく離れは、すっかりきれいになったので、次に必要な道具を揃えなければならない。
包丁、まな板、炊飯器、ネタケース。
道具は、前世のものとは少し違うと、確認も兼ねて町の市場に出かけ、道具を買い漁った。元伯爵令嬢が、質素な作業着で買い物をするのは、なかなか奇妙な光景だったらしい。
「あの人、誰だろう?」
「グレイ伯爵家の令嬢じゃないか?」
「どうしてあんな格好で?」
うるさい。囁き声が聞こえてくるが、平気なフリをして買い物を続け、最後に残ったのはネタの仕入れ。
寿司にとって、ネタは命。新鮮で美味しい魚が手に入らなければ、話にならないと町の漁港に向かうと朝市が開かれており、たくさんの漁師たちが獲れたての魚を並べている。
「おじさん!魚、見せてください!」
威勢のいい声で漁師に話しかけると、値踏みするような目で見た。
「お嬢ちゃん、魚なんて買ってどうするんだい?」
「お店で使いたいんです」
答えると、漁師は鼻で笑った……なんだろう、腹が立つ。
「はっ! お嬢ちゃんに、魚の良し悪しなんてわかるのかい?」
何も言わず、魚を手に取り心の中で魚の目利きスキルを発動させると、魚の鮮度や状態がしっかりとパネルに表示される。
(このアジは、鮮度が抜群。イカも、身が締まってていい。でも、このマグロは……少し鮮度が落ちてる)
内心で分析し、漁師に告げた。
「このアジとイカをください。でも、このマグロは結構です」
漁師は驚いた顔をした。
「どうして、マグロは買わないんだい?」
「少し鮮度が落ちているようです。寿司には使えませんから」
言い切る言葉に、漁師はさらに驚いた。
「まさか、お嬢ちゃん……本当に魚の目利きができるのか?」
微笑み、頷いた。
「ええ、少しだけ」
漁師は、ただのお嬢様だと思っていたらしいが、目利きをしたら敬意を払い、最高の魚を譲ってくれた。




