茜と幹隆の待ち合わせ(中編)
「嘘……予約完了できた……」
カリスマ美容師、切原葉子の予約はだいたい百倍以上の倍率と言われていて、めでたく予約が取れた者は相当な運の持ち主か、一生の運を全部使い果たす、とまで言われている。
「実際に予約を取れた人がその後SNSで感想を書かないということは、運を使い果たして……なんて噂もあるんだよね」
そんなのはできの悪い都市伝説だろうと茜は思っている。と言うのも、切原葉子の予約を受け付ける際に条件としてこう書かれているのだ。
――感想をSNS等で公開することはお控えください――
要するに「予約取れた!」からの「こんな仕上がりに!」というのは規約違反とされているわけだから、感想が書かれるわけが無いのである。
「よし。これで、あとは……」
一つの懸念をクリアしたところでクローゼットを開き、崩れ落ちた。
「き……着ていく服がない……」
普段着は山ほどある。それこそ幹隆と出かけていくのにも困らないくらいに。だが、今回は特別だ。待ち合わせ、デートなのだ。
「買いに行くしか!」
今日は水曜日。待ち合わせは土曜日の午後。カットの予約は土曜日の午前なので、金曜までに服を用意すればいい。
「ちょっと緊張する……」
仕事を終えた帰り、まっすぐ帰らずに駅前まで。あと一時間もすれば営業時間終了というデパート入り口で、すこし尻込みしている。普段着ている服は動きやすさ重視のファストファッションが多いので、こういったデパートに入っているお高い店、いわゆるブティックには縁が無く、私なんかが入っていいのか、と尻込みしているのである。
「服を買いに行くための服が無い」
今着ているのも動きやすさ重視のTシャツにチノパンと薄手のジャケット。
かろうじてジャージは避けた。
季節的には問題ないが、一着五桁が当たり前の店に行くにはちょっと……
「ううん。ちゃんとしたのを買うって決めたじゃない!」
パシッと両手で頬を叩き、気合いを入れて店内、三階のレディスファッションフロアへ向かった。
「店長」
「んー、あともうちょっとで閉店だから、その後にしてもらえる?」
「いえ。急ぎ……緊急です」
「何かしら?」
「あちらを」
エスカレーター脇の店、セルシオールの店長谷口は店員の指し示す方向を見て、二度三度と瞬きをし、メイクが崩れるのもかまわずにゴシゴシと目をこすってもう一度確認した。
「あ、あれ……は……」
「どうします?」
「……萩原さんは?」
「あちらで接客中です」
「なんとか交代して。あのお客様は私が対応しますので、萩原さんに後方支援を任せると」
「わかりました」
なじみの客の相手をしようとしていた萩原は店長の指示と聞いて、渋々、本当に渋々といった感じで客に断りを入れて裏に入る。そしてすぐに、店長と同じリアクションをしたのち、すぐに立ち直ってキーボックスからキーを取り出して壁の扉を開く。そこには内線電話が一つあるだけだが、なんでそんなものがここに?というのと、なんでそんな厳重な管理?という疑問が数名の店員の頭をよぎる。
「ふう……コール開始、と」
一つだけある赤いボタンを押すと萩原は通話を開始する。
「こちらチャーリー、こちらチャーリー。アルファ、応答願います」
『こちらアルファ。この緊急回線は通常使用するものではないはずだが』
「承知している。だが、今から伝える内容を聞けば納得するはずだ。ターゲット・マダースカーレットを確認。総員へ、第一種戦闘配置を要請」
『!……了解した。アルファーより総員へ。第一種戦闘配置!』
これまで幾度となくその姿をデパート店内で見かけたことはあっても、カジュアルなファストファッションのフロアに吸い込まれていく姿を見送るしかできなかった彼らにとって、これはまたとない好機。
あの人間離れした――ハーフエルフだから当然だ――容姿に、どのような服が似合うのか。閉店後にプライベートで開催される飲み会で何度も議論され、取っ組み合いの喧嘩に発展したことは数知れず。
二年と経たずにすべての店の間で協定が結ばれた。
「いずれ来店することもあるだろう」
「そうだな」
「来るべきその日に備える」
「ああ。そしてそのときには」
「どの店に訪れたとしても」
「互いに協力し合う」
「ノーサイドの精神で」
なお、デパートの支店長まで巻き込まれているのだが、むしろ支店長は「本部にも許可を取り付けた」と実に前向きな姿勢を見せ、緊急用の内線まで手配してみせたのである。
「いらっしゃいませ。今日はどのようなものをお探しでしょうか?」
「え?あ、はい、あの、えっと」
「あら、驚かせてしまいましたか?」
「い、いえ。こういうところに来るのは初めてでして、あははは……」
「ご安心ください。誰でも初めてというのはありますから」
「で、ですよねー」
「それで、どのようなものをお探しでしょうか?お客様のご希望に添うコーディネートをご提案させていただきます」
「えっと、実は……その、お……お……」
「お?」
「お、幼なじみの……ア、アイツと……えっと、その……デ、デートじゃない、ま、待ち合わせをすることになりまし……て」
「あら、素敵じゃないですか」
接客用スマイルを顔面に貼り付けたまま谷口は背後でハンドサインを萩原に送り、店内各所にある鏡越しにうなずいたことを確認する。
これからが本番だ。
「チャーリーよりアルファへ」
『こちらアルファ、どうした?』
「コードフォックスの発令を要請」
『コードフォックスだと?!滅多なことを言うな!それがどれだけのことになるかわかっているのか?』
「最前線より入電。オ・サ・ナ・ナ・ジ・ミ・ノ・ア・イ・ツ・ト・マ・チ・ア・ワ・セ。以上を持って、コードフォックスの発令を要請する」
『了解。ヒトハチサンマル、現時刻をもってコードフォックスを発令。総員、全力を持って支援せよ!』
『ベータ、了解』
『デルタ、腕が鳴ります!了解』
『エコー、祭り会場はここね?』
事務室内だけに聞こえるボリュームに調整されたスピーカーから流れてくる声はこのフロアにある別の店の店長クラスの声。あの客にそんな何かがあるのかと、つい先月入ったばかりの新人は戸惑いを隠せない。
「あの……一体、何が始まるんです?」
「第三次世界大戦よ」
「は?」
もちろん比喩でしかないが、こんな田舎のデパートで世界最高レベルの客相手にどんなコーディネートをすればいいのかという意味では戦争である。
「さて、店長は……な!何?!」
萩原が慌てて受話器を手にする。
「チャーリーよりアルファへ!アルファ、応答して!」
『こちらアルファ、どうした?』
「エマージェンシーを要請!入電内容はカ・ミ・ハ・キ・リ・ハ・ラ・ヨ・ウ・コ・オ・マ・カ・セ・デ!以上!」
『なっ……!そ、総員!エマージェンシー対応に切り替え!「切原葉子のお任せ」に対応できるコーディネート……全力だ!総力戦を想定!』
ファッション業界で切原葉子の名を知らぬ者はいない。
そのカリスマという単語では足りないほどのセットは少しでも気を抜くと服の方が負けてしまう一方で、気合いを入れすぎると服の方が勝ちすぎてしまいバランスが悪くなるという、繊細なセットが多い。それだけでも相当に気を遣うのに、「お任せ」でセットなどされたら……並大抵のコーディネートではどんな服を着せても霞んでしまうだろう。
「店舗を超えた……いえ、上のフロアにも協力を仰ぐしかないか……」
カジュアル寄りだけどちょっと気合いを入れたおしゃれ向けの店の多い三階に比べ、四階はフォーマル、ラグジュアリーがメイン。あえて組み合わせてアンバランスさを出して髪のセットに負けないようにするか……それとも……うん、ダメだ。私の経験程度でどうにかできるものではない。
「こちらチャーリー。上のフロアへも……その……支援を」
『問題ない』
「え?」
『すでに手配済みだ』
なるほど言われてみれば、事務室裏側、つまりスタッフ専用の通路を行き来する数多くの足音が聞こえる。店舗の、フロアの垣根を越えたミッションに全員が取り組んでいるのだ。
「では……」
『ああ。こちらアルファ。総員に告ぐ。現時刻をもって当作戦を狐の祝福と呼称。総員、作戦開始!』
『了解』
『アイ、マム!』
『腕の見せ所です!』
『アルファより各員へ。各店舗の総力を結集せよ。これは演習ではない。繰り返す、これは演習ではない』
『出し惜しみはなしだ!』
『残弾を恥と知れ』
本来、各店舗にはそれぞれのブランドの色とでも呼ぶべきものがある。それは文字通りの色系統というだけでなく、形やどういったシチュエーションに合わせるかといったところまで含む、ブランドの個性、特徴である。
だが、この日、すべての店がそのブランドという垣根を越えて、全力を見せることとなった。
なお、この日、幹隆が同行していなかったのは幸いだったと言える。
何しろ幹隆に関しては未だ協定が結ばれていないのだから。




